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私のサイトへの訪問をありがとうございます。

へたの横好きで撮った写真をここにまとめておくことにより、必要なときに見やすいようにと考え、単なる思いつきで着手しました。

他人様に見ていただくというより、自分の作品を整理するためのページです。

静岡県伊豆 曹洞宗 修善寺
公式サイト 関連資料(秘)  

■ 伊豆修善寺温泉

 伊豆・修善寺は、東京から電車で約2時間、静岡県伊豆市にある、“伊豆の小京都”とよばれる情緒あふれる街です。

 爽やかな竹林や川沿いの橋のある風景、歴史を感じる寺院ほか、点在する温泉スポットなどが盛り沢山です。


■ 曹洞宗修善寺

 修禅寺は、静岡県伊豆市修善寺にある曹洞宗の寺院で、山号は福地山、正式名称は「福地山修禅萬安禅寺(ふくちざんしゅぜんばんなんぜんじ)」です。略して「福地山修禅寺」とか、単に「修禅寺」といいます。「」を「」に変更したという説があります。

 修善寺温泉発祥の寺で温泉街の中心に位置します。平安時代初期の大同2年(807)弘法大師の開基と伝わる。鎌倉時代に北条氏が帰依したことから寺運が隆盛となり、堂塔が連なる大寺となりました。

 境内の隣接している宝物殿には頼家ゆかりの品や岡本綺堂の「修善寺物語」で有名な古面もあります。

 夏目漱石の「修善寺の大患」でも名高いです。

 大同2年(807)に、当時は、密教形式の堂宇が多い中、弘法大師とその弟子によって開かれた真言宗の寺院です。ご本尊の大日如来像(重文)は、源頼家が殺害されたときに歯は北条政子が作らせました。

 寛元四年(1246)に宋から渡来した、鎌倉建長寺開山の蘭渓道隆禅師(らんけいどうりゅうぜんじ)が訪れたことから、中国でも修善寺の名が広がり、臨済宗の寺として栄えました。

 その後、寺は荒れ充てましたが、北条早雲が、隆渓繁紹禅師(りゅうけいはんじょうぜんじ)を住職として延徳元年(1489)に再興し、今日に至っています。


■ アクセス

 東京方面から伊豆方面へは、特急踊り子・スーパービュー踊り子を利用すると、三島経由で乗り換えもなく2時間ほどで修善寺駅に着きます。

 新幹線を利用する場合には、三島で下車し、伊豆急行修善寺線で行くことができます。

 新宿バスタからは、高速バスで三時間で、修善寺駅または修善寺温泉駅(バスターミナル)に乗り換えなしで行くことができます。

 車で伊豆方面へのアクセス方法としては、東名高速沼津IC、新東名高速長泉沼津ICから、修善寺インターを出て、十分ほどです。

 修善寺温泉から各地に回るには、東海バスが運行するフリーパスが便利です。たとえば、土肥や浄蓮の滝、河津七滝などへは、「天城路フリーパス」が二日間乗り降り自由で2,000円程度です。



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修善寺 山門

■ 山門

 2014年に改修工事が完了し、改修に伴い、指月殿から金剛力士像が遷座されました。

 金剛力士像は、古くは修禅寺の総門があった横瀬大門にありました。そこで、寺の入口の守護をしていたのです。

 指月殿へ移されたのはいつの時代か不明ですが、現在は、金剛力士像は、山門の両脇に配されています。



金剛力士像(阿仰)


修善寺1  修善寺の山門へ 4分
修善寺は、温泉街のほぼ中央にあり、山門には藤原時代作の阿吽の金剛力士像が配されています。

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修善寺 手水舎・納骨堂
■ 手水舎 (ちょうずしゃ)

 立派な甍を持つ手水舎ですが、一見しますとどこにでもありそうです。

 近づいて龍の口から流れ出る水で手を清めてみてください。温かいのに驚くのではないでしょうか。

 手水というのは、通常は水ですが、ここでは空海が掘り起こしたという温泉水が清めてくれます。



納骨堂

本堂を正面に見て左手にあります。
ここで法事などが催されるのでしょう。
内部には金色に輝く仏像があり、
火灯窓もついていて、
厳かな雰囲気を醸し出してくれています。


納骨堂前には、左右に羅漢像が拝されています。
一つ一つ顔かたちが異なります。


 納骨堂の前に、ハスがあり、ポンと音を立ててこれから咲きそうです。

 境内には10本ほどモミジがあり、秋になると赤く色づいて境内を美しく彩どってくれるそうです。山門、鐘楼堂、手水舎のあたりが特に見事だといわれています。


修善寺2  手水舎・納骨堂 5分
修善寺の手水舎では、水ではなく、空海による魔法の”水”が龍の口から流れ出ています。納骨堂には14体の羅漢像が配されてます。


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修善寺 本堂及び周辺

■ 本堂

 大同2年(807)に、当時は、密教形式の堂宇が多い中、弘法大師とその弟子によって開かれた真言宗の寺院です。

 ご本尊の大日如来像(重文)は、源頼家が殺害されたときに歯は北条政子が作らせました。

 
扁額「修善寺」

"空海以来の書聖"とたたえられる書家・政治家の
副島種臣(そえじま たねおみ)氏による筆

 【修善寺公式サイトより】

 本堂の正面に掲げられた「修禅寺」の寺号額は、明治三筆の一人とも言われた書家であり政治家である副島種臣(1828-1905年)の揮毫です。種臣は佐賀藩出身で伯爵、外務卿、内務大臣などの肩書きを持つ明治の元老。明治38年に78歳で没しています。
  弘法大師1050遠忌にちなみ、33世物應契先住職の代に修善寺温泉へ逗留していた種臣が、求められて揮毫したものです。蒼海または一々学人とも号した種臣は皇族や華族の定宿だった菊屋旅館の客でした。いずれも日付、肩書、落款は無いのですが、菊屋旅館にも三点の墨跡があり、また近年には修善寺小学校からも軸物が発見されています。

 額は横246cm、縦108cmで、表面は書を写して陽刻され、下地の朱色が金泥になじんで趣のある古色をおびています。裏側には明治21年4月21日の日付、寄進した三島宿有志中として川島忠兵衛ほか8名の世話人の名前や、製作に携わった人々の名前が墨書されています。
 平成18年春には種臣没後100年を記念して佐賀県立美術館で「副島種臣展」が開催されましたが、その際たまたまこの額は本堂大修復のため降ろされていたので初めて門外へ貸し出され展示されました。



屋根の甍や鬼瓦も立派です。



本堂前には、弘法大師(空海)の石像があります。


修善寺3  修善寺の本堂 6分
修善寺の本殿は著名人の筆による扁額や屋根瓦・鬼瓦だけではなく本殿前の松や空海像も見落とせません。

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修善寺 鐘楼と境内
 百度石と石灯籠

前面に並ぶ四基の一番右側の屋根付きの石柱が「お百度石」です。
"お百度参り"による願掛けは、
ここをくぐって本殿との間を百回繰り返し往復すると
願い事が叶うと言われています。



鐘楼堂

「鐘楼堂」は、構造・石積が全国有数の美しさを持つとして知られています。
平素は立入禁止ですが、
大晦日の夜は一般参拝者も除夜の鐘に参加できます。



鐘楼堂としての建物の美しさも知られていますが、
玉石による土台もまた注意深く見たいものです。



宝物殿

宝物殿には、頼家ゆかりの品や
岡本綺堂の「修善寺物語」で有名な古いお面もあります。


檀家さん達のために設けられた客殿


修善寺4  鐘楼と境内諸堂・諸物 6分
全国有数の美しい構造・石積を持つ鐘楼堂や背後の竹林は必見。宝物館前や境内処々に配されている諸物も見落とせません。

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修善寺紹介ユーチューブ

映像で見る 【カシャリ! ひとり旅】
 静岡県伊豆修善寺 伊豆修善寺トップ 
修善寺1  修善寺の山門 4分
修善寺は、温泉街のほぼ中央にあり、山門には藤原時代作の阿吽の金剛力士像が配されています。
修善寺2  手水舎・納骨堂 5分
修善寺の手水舎では、水ではなく、空海による魔法の”水”が龍の口から流れ出ています。納骨堂には14体の羅漢像が配されてます。
修善寺3  修善寺の本堂 6分
修善寺の本殿は著名人の筆による扁額や屋根瓦・鬼瓦だけではなく本殿前の松や空海像も見落とせません。
修善寺4  鐘楼と境内諸堂・諸物 6分
全国有数の美しい構造・石積を持つ鐘楼堂や背後の竹林は必見。宝物館前や境内処々に配されている諸物も見落とせません。
修善寺温泉  温泉街の散策
爽やかな竹林や川沿いの橋のある風景、歴史を感じる寺院ほか、点在する温泉スポットなどが盛り沢山です。




ユーチューブで楽しむ河津七滝

映像で見る 【カシャリ! ひとり旅】
 静岡県伊豆河津七滝 河津七滝トップ 
河津七滝1 河津七滝と踊り子歩道・猿田淵 7分
河津七滝2 奇景を醸し出す柱状節理の生成と釜滝 5分
河津七滝3 エビ滝・河津踊子滝見橋・蛇滝 8分
河津七滝4 最も人気の初景滝 8分
河津七滝5 最も小さなカニ滝 6分
河津七滝6 蒼い水と流れの変化の出会滝 6分
河津七滝7 最大の大滝と玄武岩 5分



 
 
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