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私が訪れた名所旧跡です。

ケイタイやスマホのカメラで撮影したものもありますので画質があまりよくありません。
私の限られた感性での写真ですので、たいした作品でもありません。
自分自身の作品を、自分のために整理したものです。
静岡県  伊豆半島 下田・爪木崎5 宝福寺 
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 【 注 】 「(秘)」は個人用資料 
■ 宝福寺

 日米和親条約は、嘉永7年3月3日(1854年3月31日)に、江戸幕府とアメリカ合衆国が締結しました。その時、日本全権の本陣となり、下田奉行所が置かれました。

 唐人お吉の菩提寺としても有名で、お吉記念館が隣接しています。

 このお寺では、日米和親条約締結以前のことですが、下田に滞在中の土佐藩・山内容堂に勝海舟が謁見し、坂本龍馬の脱藩の罪の許しを乞った寺としても知られています。

 日米和親条約は、「神奈川条約」とも呼ばれます。日本側全権は林復斎(大学頭)、アメリカ側は東インド艦隊司令長官のマシュー・ペリーでした。この条約によって日本は下田と箱館(現在の函館)を開港しました。徳川幕府の鎖国体制の終焉です。

  宝福寺の歴史
  http://www4.i-younet.ne.jp/~hofukuji/history.html

■ アクセス

 下田駅左手(東側)の広い通りを右折して、徒歩5分強のところにあります。龍馬の大きな看板が右手に見えますので、見落とすことはないでしょう。

 下田市1-18-26 TEL/FAX 0558-22-0960
 開館時間/午前8時~午後5時(年中無休)
 入館料 /大人400円、中・高校生200円、小学生以下無料



伊豆下田 宝福寺1 


龍馬の大きな看板が目に入ります



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立て看板



坂本龍馬の大きな石像

土佐藩・山内容堂に、勝海舟が
坂本龍馬の脱藩の罪の許しを乞う寺



容堂・海舟謁見の間のレプリカがあります



龍馬像の左の石灯籠

伊豆下田 宝福寺 本堂 


本堂手前の石のもとに咲く水仙



お吉桜

お吉が愛でたかどうかは解りませんが
本堂右手につぼみも堅い桜がありました



本堂

浄土真宗、山号「八幡山」

かつては鐘楼がありましたが、
第二次大戦で梵鐘は徴収されました



下田奉行所の木札

日米和親条約を結ぶときの拠点



浄土真宗、山号「八幡山」の扁額



扁額の外の入口欄間

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伊豆下田 宝福寺 本堂内部 


本堂内陣



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内陣前の香廬の頭



内陣の欄間

秀吉の時代の功労からか桐の紋章が入っています

明治に入り、宮城の修復のため寺有地の大半を売却して協力し、
菊の紋章の使用も許されています



本堂内陣左手



内陣右手



内陣右手の掛け軸の前の仏画



築地本願寺のようなデザインが入った現代アート
本堂とは異質な感じがしました



本堂内の大太鼓



本堂入口側の欄間

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伊豆下田 宝福寺 お吉の墓 


庭左手



お吉の墓前の「吉祥観音菩薩」青銅像



吉祥観音菩薩」青銅像



吉祥観音菩薩」青銅像



唐人お吉の墓

 お吉は身寄りもなく、宝福寺の第15代竹岡大乗住職が、慈愛の心で 法名「釈貞観尼(しゃくじょうかんに)」を贈り、当時境内に手厚く葬り、その後芸能人により新しく墓石も寄進され現在に至っています。



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 ペリーが日米修好条約を神奈川(横浜市)で締結後、ハリスが通商条約締結のため浦賀に来ました。幕府はこれをこばみ、下田へ上陸させ、玉泉寺を改修さ領事館としました。

 お吉がハリスの侍妾として奉行所より命じられました。お吉には、米側の真意を知る手段としても奉仕させました。その結果、お吉は恋人の鶴松に裏切られてしまいました。

 お吉は、世をはかなみ、豪雨の夜に下田川に身を投げました。触ると指が腐ると噂され、引き取り手がいませんでした。宝福寺の住職竹岡大乗師が引き取り、如来の胸に抱かれたきょうだいとして、ここに埋葬しました。



お吉の墓石


「お吉物語」その虚構と真実

 初代アメリカ総領事館には、お吉やお福を含め5人の女性が召使女として勤めました。なかでも「お吉」は、安政4年5月22日17才でハリスの召使として出仕しました。

 しかし、「お吉」の玉泉寺通いは、巷で伝わっているほど長いものではありませんでした。その年の8月に解雇手当が支給された受取書が、宝福寺資料館に残されています。実質的には、3日で解雇されています。

「物語」ではお吉の生涯はこの玉泉寺通いが原因となって、人々のお吉に対する蔑視と嘲笑に耐え切れず、酒に溺れ、世間から孤立し、貧困のなか、身を持ち崩し、50才でその生涯を閉じたという物語になっています。

 結末が哀れで、涙をさそうストーリーですが、フィクションと史実が混在していることを念頭において読まなければならないようです。

 すなわち、これは「いじめ」のお話なのです。新聞小説、歌謡曲、お芝居等で当時の日本人の反米意識になってしまったのです。

 19歳のお吉の写真が出回っているようですが、この時代、写真の撮影技術は日本では確立されてなく、ましてや、この時代の庶民が写真に写ることは考えられません。

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伊豆下田 宝福寺 本堂横の庭 


お吉の墓の向かい側



地蔵石仏

奥はボケ地蔵



如意輪観音石仏

何気なく置かれた石像は、如意輪観音の姿がかわいらしい



ボケ地蔵

ボケないようにお詣りする人も多いようです。



ボケ地蔵の隣に置かれた石臼他
いわれがあるのでしょうが、解りません



大石臼の隣の石像



休憩所前の石塔と石灯籠

奥は、ボケ地蔵



休憩所の菊の花



お食事中に失礼
お寺の猫でしょうか
そばに近寄ると警戒はしますが逃げませんでした


 
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静岡県 下田・爪木崎 

伊豆下田・爪木崎1  下田市内
伊豆下田・爪木崎2  昭和天皇歌碑、爪木崎・咲く岬とする灯台 
伊豆下田・爪木崎3  爪木崎 花咲く岬と白く花開く波
伊豆下田・爪木崎4  玉泉寺、ハリスの小道、寝姿山、至誠通天碑 
伊豆下田・爪木崎5  宝福寺1 本堂、庭、お吉の墓、ボケ地蔵 
伊豆下田・爪木崎6  宝福寺2 お吉記念館、龍馬・容堂謁見の部屋 
伊豆下田・爪木崎7  了仙寺 日米和親条約付録下田条約締結の地 
伊豆下田・爪木崎8  長楽寺 日露和親条約締結の地、日米和親条約批准の地 
伊豆下田・爪木崎9  稲田寺(唐人お吉の恋人が眠る)、海善寺 
伊豆下田・爪木崎10  八幡神社 下田の鎮守社で夏祭は有名 
伊豆下田・爪木崎11  大安寺 将軍献上品にまつわる悲話 
伊豆下田・爪木崎12  本覚寺 吉田松陰拘禁の跡 泰平寺
伊豆下田・爪木崎13  ペリーロード お吉を忍ぶ散策の小径
伊豆下田・爪木崎14  下田公園 四季折々の花と眺望
 
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