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私が訪れた名所旧跡です。

ケイタイやスマホのカメラで撮影したものもありますので画質があまりよくありません。
私の限られた感性での写真ですので、たいした作品でもありません。
自分自身の作品を、自分のために整理したものです。
静岡県  下田・爪木崎7 了仙寺
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 【 注 】 「(秘)」は個人用資料 

了仙寺 (りょうせんじ)

 了仙寺は、静岡県下田市七軒町3丁目にある法順山了仙寺という日蓮宗のお寺です。

 1854年、日米和親条約が締結されペリー艦隊が開港された下田に入港すると、了仙寺はペリー一行の応接所兼幕府との交渉場所となりました。ここで、日米和親条約の細かい取り決めである下田条約が結ばれました。現在は国指定史跡となっています。

 また境内には3,000点以上の開国に関する映像資料の原本を所蔵するMoBS黒船ミュージアムが併設されています。

 境内から参道にかけて無数のアメリカジャスミンが植樹されており、「ジャスミン寺」の別名も持つほどです。

 アメリカジャスミンは、ナス科です。因みに、ニオイバンマツリ(匂蕃茉莉、Brunfelsia australis)の別名の植物は、モクセイ科のジャスミンですので、それとは異なります。

■ アクセス

 伊豆急下田駅から左に折れ、広い通りを右折して直進しますと、突き当たりが了仙寺です。徒歩で20分弱のところにあります。バスで行くこともできますが、便数が少ないので、時刻表などで確認しておくと良いでしょう。

 下田市七軒町3-12-12 TEL/FAX 0558-22-0657 / -
  http://www.izu.co.jp/~ryosenji/
 山号を法順山とする。旧本山は、身延山久遠寺


伊豆下田 了仙寺 入口と山門 


↑ 拡大


 1854年、日米和親条約が締結された結果、了仙寺がペリー一行の応接所としても、幕府との交渉場所としても利用されました。

 それにより日米和親条約の細かい部分の取り決めが進められ、日米和親条約付録下田条約がここで結ばれました。

 現在は国指定史跡となっています。

 また境内には3,000点以上の開国に関する映像資料の原本を所蔵するMoBS黒船ミュージアムが併設されています。

 山号を法順山とする。旧本山は、身延山久遠寺

■ アクセス

 伊豆急下田駅から徒歩10分余のところにあります。路線バスもありますが、本数はそれほど多くはありません。

 下田市七軒町3-12-12 TEL/FAX 0558-22-0657
 http://www.izu.co.jp/~ryosenji/



下田駅を降りて左に行くと広い通りに出ます。
その通りの正面が了仙寺です。



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了仙寺へは下田駅より徒歩で十余分



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昔の了仙寺図



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山門

山門へは、ペリーロードから入ります。
大通りからは、了仙寺の横から入ることになります。


 境内から参道にかけて無数のアメリカジャスミンが植樹されており、「ジャスミン寺」の別名も持つほどです。

 アメリカジャスミンは、ナス科です。因みに、ニオイバンマツリ(匂蕃茉莉、Brunfelsia australis)の別名の植物は、モクセイ科のジャスミンですので、それとは異なります。



日米和親条約付録下田条約締結の地を示す石柱

山門を入ると左手に立っています。



山門扁額

「法順山」という山号の扁額
 旧本山は、身延山久遠寺



山門の飾り彫刻



 「立正安国論(りっしょうあんこくろん)」は、
日蓮が執筆し、文応元年7月16日(1260年8月)に、
時の最高権力者である、
鎌倉幕府第5代執権北条時頼に
提出した文書のことです。

伊豆下田 了仙寺 本 堂 


了仙寺本堂


 1854年、日米和親条約が締結され、ペリー艦隊が開港された下田に入港すると、了仙寺はペリー一行の応接所兼幕府との交渉場所となり、和親条約の細かい取り決めである下田条約がここで結ばれました。



「開国殿」の扁額



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本堂内陣



本堂横の多宝塔



和親条約付録下田条約締結の看板

日本側幕府全権は、林大学頭でした。
開国により鎖国が解かれ、
下田は、箱館(函館)とともに
日本で最初の開港場となりました。



本堂屋根
ちょっと変わった鬼瓦



甍(いらか、屋根瓦)も面白く見えました

伊豆下田 了仙寺 庭・横穴遺跡 


本堂横の桜と石灯籠



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本堂の横を入ると正面に遺跡があります



1300~1400年前の古墳時代の墓
副葬品から地域の有力者が埋葬されていたとみられます。



立ち入り禁止の柵が、
遺跡物とは異なる木材が散乱しているように作られていました。



横穴が遺跡を物語っています
人骨と共に勾玉や水晶製の切予玉などが出土

 
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静岡県 下田・爪木崎 

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