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 私のサイトへの訪問をありがとうございます。

 へたの横好きで撮った写真をここにまとめておくことにより、必要なときに見やすいようにと考え、単なる思いつきで着手しました。

 他人様に見ていただくというより、自分の作品を整理するためのページです。

栃木県 日光

 日光の起源は、8世紀末に遡ります。

 日光を開山したのは、勝道上人で、四本竜寺を建立したのが日光の起源といわれ、日光山の中心寺院として発展してきました。

 1653(承応2)年に、三代将軍・徳川家光公の霊廟である大猷院(たいじゅういん)が境内に造営されて以来、徳川幕府の庇護を受けるようになりました。

 日光は、1999年(平成11年)に「日光の社寺」として世界遺産に登録されています。

 登録内容は、日光山内にある二荒山神社、東照宮、輪王寺です。総数103棟(国宝9棟、重要文化財94棟)が含まれています。

 私が訪れたのは10月下旬で、紅葉には一週間早すぎた感がします。それでも、処々に紅葉や黄葉した木々が、私を迎えてくれました。

     日光市公式サイト
     http://www.city.nikko.lg.jp/
     観光歴史情報
     http://www.city.nikko.lg.jp/kanko/rekishi/index.html

 日光
 輪王寺
 東照宮1 五重塔、表門、三神舎
    東照宮2 手水舎、輪蔵・鐘楼・鼓楼、鳴龍
    東照宮3 神厩舎、陽明門、神輿舎、唐門、眠り猫、奥宮
 二荒山神社 神橋・天海僧正像、拝殿・本殿・化燈籠、霊泉
 日光山寺社 常行堂・大猷院
 鬼怒川
   カシャリ!一人旅 インデックス

栃木県 東照宮3

 徳川家康の霊廟として元和3年(1617年)に創建されました。

 現在の主要な社殿は、寛永13年(1636年)、三代将軍徳川家光により造営が行われたものです。この東照宮の建築により、日本の代表的な神社建築様式である「権現造」が完成したといってもいいでしょう。

 また、彫刻や彩色などの建築装飾についても、当時の最高水準の技術が用いられました。本殿・石の間・拝殿、陽明門など8棟が国宝に、34棟が重要文化財に指定されています。

 境内の特徴は、自然の地形を生かした参道や階段を用い、バランス良く配置された社殿群が荘厳な宗教的空間をつくりだしていることにあります。

 さらに建物には、漆や極彩色がほどこされ、柱などには数多くの彫刻が飾られていますが、これらは単なるデザインではなく、信仰形態や学問・思想があらわされています。

 また、これらの社殿群は平成11年12月「世界文化遺産」に登録されました。

        出典:東照宮公式サイトより
            http://www.toshogu.jp/



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東照宮 神厩舎
 


神厩舎(しんきゅうしゃ)

神様をお運びする馬のための建物



東照宮の建物は、色づけされています。
ところがこの建物だけは素木造りなのです。



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厩舎には実際に白馬がいました。



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 三猿(さんざる)

誰もが知っている「見ざる、聞かざる、言わざる」は
東照宮にあることは知っていても
馬小屋にそれがあるとは想像できませんね。
叡智の3つの秘密を示しているいわれています。



厩舎の三面に、誕生から死ぬまでの一生を描いています。
三猿は、その一生の一時が表現されているのです。



神厩舎の西面

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東照宮 陽明門



陽明門は
優美(善美)なためにいつまで見ていてもあきないことから
日暮門とも呼ばれています。
また、後水尾天皇宸筆の勅額があることから
勅額門とも呼ばれています。



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陽明門

陽明門は、前回の根本修理から40年が経過し、
外層の痛みがひどくなってきました。
漆や彩色の塗り直しを中心に、平成25年から、
平成29年3月末日を目途に
保存修理工事に入っていました。
錺金具(かざりかなぐ)表面仕上げの再生や
木部腐朽箇所の補修を中心に行われます。
大修理は、何十年に一回しか行われませんので、
覆いをかぶった陽明門の写真もまた貴重です。



陽明門を正面に見て右手の飾り塀とその前に並ぶ石灯籠
この写真の右斜め後ろが鐘楼



陽明門前の石灯籠と並ぶ青銅灯籠



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葉面門左手の飾り塀



陽明門左側の灯籠群
正面奥が鳴竜
東照宮 唐門

陽明門を入りますと、正面が唐門で、その奥に本殿・石の間・拝殿があります。
2016年秋に訪れたときには、まだ工事中でした。
ただし、唐門は工事も終わり、その姿を見ることができました。



唐門

奥の工事は、拝殿と本殿

唐門

 唐門は、陽明門と拝殿の間にある、国宝の建物です。門の全体が胡粉(ごふん)で塗られていますので白い門として印象的です。
 中国の賢人、許由(きょゆう)と巣父(そうほ)や舜帝朝見の儀などを表す、細かい彫刻がほどこされています。

本殿・石の間・拝殿

  工事中の本殿、石の間と拝殿は、寛永13年(1636年)に造営されました。

 神社建築様式の一つであります「権現造り」になっています。神社の多くは、拝殿と本殿を渡り廊下で繋いでいます。ところが、権現造りというのは、拝殿と本殿を石の間という建物で繋いでいますので、この3つがひとかたまりの建物のようになっています。

 いずれの建物も第一級の技術者による、彫刻、漆塗、彩色、飾金具などのすぐれた装飾が施されています。



唐門透塀裏と内側天井



透塀裏側は胡粉の白が目立つ細かい彫刻


唐門天井画は龍

以前来たときには見落としていました



屋根には鰭(ひれ)切れの龍(昼の守り)とつつか(夜の守り)が飾られています。


左側の降龍

門の柱には、昇龍と降龍の彫刻
 


唐門右側の昇龍


唐門上部の破風

中国の賢人、許由(きょゆう)と巣父(そうほ)や舜帝朝見の儀などを表す
、細かい彫刻がほどこされています。



透塀は、唐門の左右に広がります

東照宮 祈祷殿・神楽殿・眠り猫・坂下門 



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一本燈籠

二代将軍秀忠の娘である東福門院が奉納
唐門回廊の前に立つ
右奥が祈祷殿



神楽殿

陽明門を入って右手、祈祷殿の横に位置する
奥が眠り猫


祈祷殿

本殿脇にあり、本殿への通用口の横


祈祷殿


眠り猫

左甚五郎作という眠り猫



眠り猫

陽明門の回廊の一部、
奥宮への入口である坂下門に通ずる入口上にあります。
後方左手が唐門


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 眠り猫

見ざる・聞かざる・言わざるの三猿と共に、左甚五郎の力作の一つ
ボタンの下で日光を浴びて寝ている子猫
この眠り猫の裏側(坂下門側)には
雀の彫り物があり、猫と雀で平和な状態を示している


 奥社への入口の門で、ここから奥社まで200段の石段とその横に石柵があります。

 寛永13年(1636年)に造営されました。屋根の葺き替え、塗装及び飾金具の変更をされたことはありますが、他には形式の変更はなく、そのままの姿で残されています。飾金具に七宝焼を用いるなど、優れた技巧が見られます。


坂下門

なムリ猫の下をくぐりますと階段となり、
家康の墓所奥宮に通ずる道があります。


拝殿

坂下門上から、坂下門、祈祷殿、拝殿を臨む

東照宮 御宝蔵・奥宮拝殿・鋳抜門・奥宮 



坂下門をくぐると200段に上る石段とその横に石柵があります。
石段も石柵も一つ一つが一枚石でできています。


石段をフーフー言いながら登ると
緑からのグラデーションの紅葉が励ましてくれます



御宝蔵

一段上がったところに外部全体を青銅で包んだ御宝蔵があります。
朝廷から家康や東照宮におくられた
官符宣命等の文書が修められています。


狛犬(阿仰)

松平正綱・秋元泰朝が家康に奉納したと言われる


狛犬(吽形)

松平正綱・秋元泰朝が家康に奉納したと言われる


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重要文化財 奥宮拝殿

奥宮の待てに立つ拝殿
建物全体が銅板で包まれ、その上に黒漆が塗られています


奥宮拝殿
将軍以外は商談を許されていなかった。


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重要文化財 鋳抜門

唐銅で屋根・柱・壁などを鋳造して組み立てられています。



重要文化財 鋳抜門

奥宮宝塔側から


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重要文化財 奥宮御宝塔

家康の神柩が押され希テイル墓所
高さ5mあり、九段の基盤の上に立つ
もともとは木製でありましたが、石造になり
綱吉の時代に唐銅製に改鋳されました。


御宝塔の前に立つ唐銅製の像

 
日光・東照宮2   日光・寺社
 
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経営コンサルタント・グロマコン 
 日本コンサルタントアカデミー
 (特)日本経営士協会

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