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私が訪れた名所旧跡です。

ケイタイやスマホのカメラで撮影したものもありますので画質があまりよくありません。
私の限られた感性での写真ですので、たいした作品でもありません。
自分自身の作品を、自分のために整理したものです。
東京  台東区 上野 寛永寺 

 上野恩賜公園(うえのおんしこうえん)は、略して上野公園と呼ぶことがあります。
この公園は、明治6年の太政官布達によって、
芝、浅草、深川、飛鳥山と共に日本で初めて公園に指定されました。

 ここは江戸時代、東叡山寛永寺の境内地でした。
当初は寛永寺社殿と霊廟、東照宮それに境内のサクラを中心にした公園でした。
今日では、博物館や動物園、美術館などが建てられ、
文化の香り高い公園へと衣替しました。
<東京都公園協会サイトより>



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上野恩賜公園内
東京国立博物館
上野寛永寺・開山堂
上野寛永寺・根本中堂 
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公式サイト: http://kaneiji.jp/ 

 寛永寺は天台宗の別格大本山のお寺です。

 寛永2(1625)年に、徳川幕府の安泰と万民の平安を祈願するため、江戸城の鬼門(東北)にあたる上野の台地に、慈眼大師(じげんだいし)天海(てんかい)大僧正によって建立されました。

 後には第四代将軍・德川家綱公の霊廟が造営され、将軍家の菩提寺も兼ねるようになりました。また東叡山主を皇室から迎えた(輪王寺宮)ことで、江戸時代には格式と規模において我が国随一の大寺院となったのです。

 しかし幕末の上野戦争により、敷地の大部分が上野公園となりました。
また関東大震災や太平洋戦争の被害もありましたが、戦後は新たに霊園を造営し一般のお檀家さまを受け入れるなど、開かれたお寺としての役割を果たすことを目指しています。

 寛永寺は来る創建400周年(2025年)に向けて、上野に刻まれた歴史の重みを今に伝えています。

天台宗

 宗祖は伝教大師最澄さまです

 ご本尊 秘仏 薬師瑠璃光如来(やくしるりこうにょらい)

 比叡山延暦寺の根本中堂のご本尊と同じく、伝教大師最澄さまが自ら彫られたと伝えられています。

 脇侍の日光菩薩・月光両菩薩は、慈覚大師円仁さまが自ら彫られたと伝えられています。

山号

 寛永寺の山号は「東叡山」です。京都を鬼門から守る比叡山に対し「東にある比叡山」ということから「東叡山」という山号が付けられたと言われています。

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東京 上野 寛永寺

 明治時代の文豪・幸田露伴の小説「五重塔」は、
東京上野にある寛永寺の五重塔がモデルといわれています。

元禄十一年(1698)に、上野公園内にある
大噴水があるところに建立されました。
これが寛永寺の起源ですが、
幕末慶応四年(1868)に彰義隊の戦争で焼失してしまいました。

現在の寛永寺・根本中堂は、
明治十二年に、川越喜多院にありました本地堂を
現寛永寺の地にありました大慈院があったところに移築し、
再建されたのです。
御本尊は、伝教大師最澄上人の御自刻とされる
薬師瑠璃光如来像(国指定重要文化財)を秘仏としています。

東京 上野 寛永寺 根本中堂



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門脇の石塔



寛永寺は、江戸の鬼門を守る
徳川幕府にとっては大切なところです。



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寛永寺・根本中堂

彰義隊の上野戦争時に焼失し、
明治十二年に、埼玉県川越市にあります
喜多院にありました本地堂を
この地に移築したものです。



元和八年(1622)、徳川幕府二代将軍秀忠が、
上野の地を天台宗の僧天海に寄進したことから、
寛永寺の歴史は始まります。
根本中堂の完成は元禄十一年(1698)です。



江戸末期までの寛永寺は、
いまの上野公園をはじめ、
その周辺にも堂塔伽藍や子院が立ち並ぶ文字通りの巨刹であり、
徳川将軍家ゆかりの寺にふさわしい威容を誇っていました。



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寛永寺の五重塔

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 寛永寺 根本中堂銅鐘・旧本坊表門


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銅鐘(台東区有形文化財)

 大きさは、総高177.2cm、口径91.8cmです。
4代将軍家綱(巌有院殿)の一周忌にはじまる延宝九年(1681)に
厳有院殿廟前の鐘楼として奉納されたものが、
この地に移されました。




 本鐘は、将軍家霊廟の儀式鐘で、
現在は、除夜の鐘や重要な法要の際に使用されます。

 東京台東区の有形文化財に指定されています。



鐘楼脇の地蔵菩薩



後は上野中学校校舎



西日を浴びるお地蔵さん
陰影良く、我ながらの自慢写真



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 ここで使われていた鬼瓦は、
現在「黒門」の通称で親しまれている、
寛水寺旧本坊表門(国指定【 重要 】文化財)に
据えられていたものです。



旧本坊表門の鬼瓦



鬼の顔をした鬼瓦

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 寛永寺 境内諸物


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尾形乾山墓碑
乾山深省蹟



尾形乾山は、琳派の創始者として著名な、画家・尾彫光琳の弟です。



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了翁禅師塔碑


了翁禅師

 了翁禅師(1630-1707)は、
江戸時代前期の黄檗宗の僧で、
隠元禅師に師事しました。



了翁禅師は、霊薬処方の夢を見て「錦袋円」という薬屋を甥に営ませました。
その利益で難民救済や寛永寺への寄附を行った功績を持つ人です。

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 寛永寺 本堂周辺


本堂前



本堂裏

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