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私が訪れた名所旧跡です。

ケイタイやスマホのカメラで撮影したものもありますので画質があまりよくありません。
私の限られた感性での写真ですので、たいした作品でもありません。
自分自身の作品を、自分のために整理したものです。
東京  江東区 清澄庭園 
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 清澄庭園(きよすみていえん)は、東京都江東区清澄にある都立庭園のひとつです。池の周囲に築山や名石を配置し、泉水、築山、枯山水を主体にした回遊式林泉庭園として、東京都指定名勝に指定されています。

 「回遊式林泉庭園」という造園手法は、江戸時代の大名庭園に用いられたものですが、明治時代の造園にも受けつがれ、清澄庭園によって近代的な完成をみたといわれています。

 この地の一部は、江戸の豪商・紀伊國屋文左衛門の屋敷跡で、時代によっては、下総国関宿の藩主・久世大和守の下屋敷ともなり、現在の庭園が形づくられたようです。

 明治11年、岩崎弥太郎が、荒廃していたこの邸地を買い取り、社員の慰安や貴賓を招待する場所として庭園造成をしました。隅田川の水を引いた大泉水を造り、周囲には全国から取り寄せた名石を配して、今日の形が完成しました。

 関東大震災で大きな被害を受けましたが、避難場所としての役割を果たし、多数の人命を救ったと記録されています。

 昭和54年3月31日に東京都の名勝に指定されています。

■ アクセス

所在地  東京都江東区清澄二・三丁目
交 通  都営大江戸線・東京メトロ半蔵門線
     清澄白河(E14・Z11)駅下車 徒歩3分
問 合  TEL 03-3641-5892 清澄庭園サービスセンター
     〒135-0024 東京都江東区清澄3-3-9  午前9時~午後5時


 地下鉄から地上に出て、左前方に公園が見えますが、そのまま左に行きますと、横断歩道が遠いので、一旦右手の交差点を渡ってから向かいます。
 フェンス沿いに100mほど行きますと左手に正門があります。


 

清澄庭園 庭園入口

 地下鉄から地上に出て、左前方に公園が見えますが、そのまま左に行きますと、横断歩道が遠いので、一旦右手の交差点を渡ってから向かいます。



 フェンス沿いに100mほど行きますと左手に正門があります。



入口から左右どちらかの道を選ぶのですが、
私は左手・時計回りに出てみました。
踏み石がたくさん並んでいます。



泉水の回遊式林泉庭園として
美しい踏み石の代表格



松が多く、対岸には雪釣りの松が遠くに見えました。

清澄庭園 名石を見る


入口を入って直ぐ左手に手水鉢があります



伊予青石

隅田川の水を引いた大泉水を造りの庭園で、
池の周囲には全国から取り寄せた名石が
処々にゴロゴロと配されています。



苑内に多いのは伊豆石です



近代的な形をした「水鉢



佐渡赤玉石

苑内で最も高価な石のひとつ
東京では六義園など限られたところでしか見られません



大正記念館前の石組み

清澄庭園 大磯渡り


大磯渡りの入口にデンと構える大石



大磯渡りいる口付近から磯渡り・池北奥方向を見る



大磯渡りの入口

池の端に石が飛び飛びに配されていて、
そこを歩けるようにしてあります。



大磯渡り

広々とした池の眺めが楽しめるだけでなく、
歩を進める度に景観が変化するように配慮されています。



大磯渡りの右手



紀州青石

大磯渡りの右手にあり
縦縞模様に配されているのがおおしろく感じました



大磯渡りの終点には橋がありました



橋手前の石の形状がユニーク



左の緑色した石が伊予青石です



大磯渡りを振り返る



大磯渡り終点の端から見る長瀞峡
この奥に石橋があります

清澄庭園 廻遊式林泉庭園


この地は、紀伊国屋文左衛門等の邸宅が、
一時、荒廃していました。
明治11年、旧三菱財閥を起こした岩崎弥太郎が、
この邸地を買い取り、
明治13年に「深川親睦園」として 改修しました。
その後も造園工事は進められ、
隅田川の水を引いた大泉水としました。
明治の庭園を 代表する「回遊式林泉庭園」の完成です。



大磯渡りから見る



小さな岩の上に亀
清澄庭園は、野鳥だけではなく
多くの生き物が生息しています

清澄庭園 苑内燈籠


大池内にある松島の石灯籠



松島の石灯籠



山燈籠

長瀞峡の石橋の前にある大磯渡りに続く小島に立つ
関東大震災の折には倒れてしまったそうです



長瀞峡の石橋を渡ると
サービスセンター(入口)の裏の石灯籠が立っています



涼亭前の石灯籠

清澄庭園 長瀞峡から磯渡り


長瀞峡に架かる石橋



長瀞峡



苑内最も北
長瀞峡から傘亭への途中



長瀞峡の石橋や山灯籠が見えます



磯渡りから松島の多宝塔を見る



松島の多宝塔



磯渡りから石舞台方向を見る

清澄庭園 涼亭


磯渡りから涼亭を見る
たくさんの鴨が水面に群れをなしていました


 池に突き出るようにして建てられた数寄屋造りの建物は、池周辺のどこからでも見えます。庭園を日本情緒豊かなものにしてくれています。

 涼亭は明治42年、国賓として来日した英国のキッ チナー元帥を迎えるために岩崎家が建てました。

 震災と戦火の被害をまぬがれ今日に至っています。昭和60年度に全面改築工事がおこなわれました。集会場として 利用できるようになり、平成17年には「東京都選定歴史的建造物」に選定されました。



傘亭からみる涼亭(右)と松島(左)



磯渡りから見る涼亭



涼亭前に群れる鴨



磯渡りから見る涼亭



磯渡りから涼亭(右)、鶴島、中の島のあづまや(左)



自由広場側から見た涼亭



涼亭(左)と大正記念館(中央)



富士山前から見る涼亭

清澄庭園 自由広場


自由広場は、苑内最も西に位置した
ベンチなどがある広場です。
そのベンチのひとつに、目のクリッとした蜘蛛が遊んでいました



自由広場のあづまや



涼亭前の伊予青石



涼亭前の伊予青石



芭蕉の句碑

「古池や かはづ飛び込む 水の音」
松尾芭蕉の最も有名なこの句を刻んだ石碑が、
自由広場に立てられています。



↑ 拡大


自由広場前に咲くツワブキ

清澄庭園 涼亭から富士山


涼亭から富士山方向に行く小道



枯れ滝

富士山の麓にある枯れ滝



伊予青石でできた水鉢



富士山

この庭園で最も高く大きな築山。
関東大震災以前はこの築山の山頂近くには
樹木を植えず、サツキ・ツツジの灌木類を数列横に配して、
富士山にたなびく雲を表現したものだといわれています。

大磯渡りから見えた雪釣りの松は
富士山にあったのですね。



中の島から見た富士山



富士山の麓から、九重塔への小道

ここにもツワブキが咲いていました



九重塔(伊勢御影)

清澄庭園 中の島


九重塔前から中之島を望む



大池東半分

右は大正記念館
中央茶色の建物は芸術系の学校校舎
左は涼亭



中之島への橋



中の島から見た大正記念館



中の島から見た大池西側
左に傘亭の屋根が見えます



芦辺の浜から見る中の島



芦辺の浜から見る中の島



南の磯渡り

奥は涼亭

清澄庭園 清澄公園


↑ 拡大

 昭和52年に、清澄庭園の西側に隣接する敷地が開放公園として追加開園しました。

 芝生広場、パーゴラなどがあります。サクラの木が20 本ほど植えられ、春のお花見の場となっています。



パーゴラ(pergola)

 住宅の軒先や庭に設ける、つる性の植物を絡ませる木材などで組んだ棚。日陰棚(ひかげだな)、つる棚、緑廊(りょくろう)のこと。日本では藤棚(ふじだな)が一般的である。建築用語のひとつ。 (【Wikipedia】)



芝生の広々とした多目的広場



夏には水が流れているのでしょうか



ベンチもあります



時計塔まで続く水場

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