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 私のサイトへの訪問をありがとうございます。

 へたの横好きで撮った写真をここにまとめておくことにより、必要なときに見やすいようにと考え、単なる思いつきで着手しました。

 他人様に見ていただくというより、自分の作品を整理するためのページです。

京都府 東福寺5 東征戦亡之碑

 東福寺は、臨済宗東福寺派大本山で、日本最古にして最大級の伽藍を持つお寺です。

 摂政九條道家が、奈良最大寺院の東大寺と、奈良で最も盛大を極めた興福寺から「東」と「福」の字を採って建立しました。嘉禎2年 (1236年)より建長7年(1255年)までの19年もの年月をかけて完成されました。

 創建当時の仏殿本尊の釈迦仏像は15m、左右にあります観音・弥勒両菩薩像は7.5mで,新大仏寺の名が付けられるほどでした。

 明治14年12月に、仏殿・法堂、方丈、庫裡が焼失し、昭和9年(1934年)に落成して現在の形になりました。

 開山国師の頂相、画聖兆殿司(ちょうでんす,明兆)筆の禅画など、鎌倉・室町期の国宝・重要文化財は、おびただしい数にのぼるといわれています。

   東福寺公式ページ  http://www.tofukuji.jp/
   東福寺紹介動画   http://www.tofukuji.jp/history/index.html
   東福寺パンフレット  http://www.tofukuji.jp/inquire/files/download/tofukuji_panflet.pdf

 東福寺は、何度も参拝していますが、2016年11月に私が訪れた時には特別拝観期間中でした。紅葉がとても美しい通天橋や普門院庭園を拝観できました。

 東福寺の楓は、宋国原産の三葉楓といわれています。葉先が三つに分かれていて黄金色に色づくのが特徴です。

 通天橋から眺める紅葉の景観は絶景ですが、私は臥竜橋からの眺めが好きです。

 京都では最も遅い紅葉と言われますので、紅葉の最盛期よりは少々早めのために、緑色、黄色と赤のグラデーションを処々で楽しめました。最盛期には、緑の苔の上に紅葉した葉の絨毯ができ、拝観者を喜ばせてくれます。

 また、国指定名勝「東福寺本坊庭園」も特別拝観ができましたが、今回は時間の関係上拝観せず、過去に撮影しました写真を当サイトで紹介しています。幸い、東福寺の塔頭のひとつであります臥雲山即宗院の特別公開を拝観できました。

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東福寺 西郷隆盛筆 東征戦亡之碑への道 

 西郷が幕軍の難を逃れるために
即宗院の一画に採薪亭という茶亭を作り、
ここから密令を出していました。
慧日山(えにちざん)の裾野にあった採薪亭は現存しませんが、
自然居士を偲び一宇の草庵としました。
裏山山頂には砲列を敷き、幕軍に砲撃を加えました。

 倒幕後、明治維新で戦死した霊を供養するために
524霊の揮毫を行い、東征戦亡之碑を建立しました。
この中には生麦事件の奈良原喜左衛門や
人切り新兵衛と呼ばれた田中新兵衛の墓碑も含まれます。



東征戦亡之碑への道から、
即宗院の山門を望む
ドウダンが見事でした



即宗院の塀の横
道端に置かれた瓶のようなものは何に?


碑に向かう途中にある石灯籠と
手水鉢のような奇妙な石の置物



灯籠の灯室の飾り
右端かですが、左は何でしょうか?
カタツムリのようにも見えますが・・・


趣のある石灯籠
いまにも落ちそうでいながらバランスをとっています。


対岸(東福寺に流れ込む川)の竹林を背景に
堂々と立つ石灯籠


灯室を持たない石灯籠

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東福寺 西郷密談の採薪亭 

慧日山(えにちざん)の裾野にあった採薪亭は現存しませんが、
自然居士を偲び一宇の草庵としました。
裏山山頂には砲列を敷き、幕軍に砲撃を加えました。



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西郷が幕軍の難を逃れるために
即宗院の一画に採薪亭という茶亭を作り、
ここから密令を出していました。


碑への道

右奥が西郷隆盛密議の庵跡



密談の庵跡の手前にある手水鉢のようなもの
季節外れのツワブキが色を添えています


密談の庵跡の手前
奥が庵跡


右手が庵跡
奥の道が東征戦亡之碑に続く


 西郷が幕軍の難を逃れるために
即宗院の一画に採薪亭という茶亭を作り、
ここから密令を出していました。


密談の庵跡
意外と小さいので驚きました

慧日山(えにちざん)の裾野にあった採薪亭は
現存しませんが、自然(じねん)居士を偲び一宇の草庵としたと
伝えられています。


庵跡の横にある石仏


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東福寺 西郷隆盛筆 東征戦亡之碑 

 倒幕後、明治維新で戦死した霊を供養するために
524霊の揮毫を行い、東征戦亡之碑を建立しました。
この中には生麦事件の奈良原喜左衛門や
人切り新兵衛と呼ばれた田中新兵衛の墓碑も含まれます。



数基の灯籠の先にある立て看板
これを見落とすと灯にたどり着けない


羅漢像に突き当たって右手奥が東征戦亡之碑



羅漢像から東征戦亡之碑を望む


東征戦亡之碑の鳥居


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東征戦亡之碑
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倒幕後、明治維新で戦死した霊を供養するために
524霊の揮毫を行い、東征戦亡之碑を建立しました。 

以前訪れたときには、
東征戦亡之碑に覆いがなかったように記憶しています。



この中には生麦事件の奈良原喜左衛門や
人切り新兵衛と呼ばれた田中新兵衛の墓碑も含まれます。


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