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私が訪れた名所旧跡です。

ケイタイやスマホのカメラで撮影したものもありますので画質があまりよくありません。
私の限られた感性での写真ですので、たいした作品でもありません。
自分自身の作品を、自分のために整理したものです。
京都  相国寺 
 相国寺(しょうこくじ)とは

 相国寺は、臨済宗相国寺派の大本山で、京都五山第二位に列せられています。正式名称は「萬年山相國承天禅寺」という禅宗のお寺です。

 14世紀末の室町時代、三代将軍の足利義満により創建されました。何度も焼失の憂き目に遭遇しましたが、法堂(はっとう)は1605年に再建され、日本最古の法堂建築です。

 夢窓疎石を開山とし、創建当時は室町一条あたりに総門があり、50あまりの塔頭寺院があったと伝えられています。

■ 名前の由来

 「相国寺」は「しょうこくじ」と読みます。「首相」という言葉は、「相」を「しょう」と読むことから違和感はないでしょう。「相国」とは「国をたすける」、「国を治める」という意味です。中国からきた名称で、左大臣の位を「相国」呼び、創建した義満は左大臣であったことから「相国寺」と名付けられました。

     資料出典: 相国寺公式サイト      パンフレット1  パンフレット2  パンフレット3

 
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相国寺 参道

 御所から北へ、同志社大学裏を通りますと正面に総門が目に入ってきます。総門の横には、勅使門があります。天皇陛下などがお通りになるもんですが、平素は閉じられていますし、間近に見ることもできません。


総門
この左手に勅使門があります。



総門から参道正面が庫裏です。


総門から参道に沿って歩いて行きますと
左手に鐘楼(洪音楼)が見えてきます。


相国寺は何度か来ていますが、
鐘楼を裏側から見るのはこれが初めてです。


鐘楼の裏に回りますと光源院があります。


非公開の光源院
整ったお庭がありました。


手水社は、意外と質素です。
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相国寺 主な伽藍



参道の正面に見える庫裏は、
拝観受付を通ると正面に偉容を見せてくれます。


法堂の西側に鐘楼があります。
まだ、白木が新しく感じられます。
梵鐘の大きさに比べて建物が小振りです。

■■ 法堂
(はっとう)


 5回の焼失により、現在の法堂は、豊臣秀頼により慶長10年(1605)に寄進されたものです。日本における法堂建築では最古のものです。

【サイトより】
 法堂は、無畏堂と称して本来畏れることなく法を説くためのお堂であり、又説法によって衆生が煩悩の苦しみから離れて生き返り蘇生する願も含まれ、講堂的役割を果たしています。また当山は仏殿なきあと、これを兼ねている為本尊を安置して、本堂と称しています。
 初建は1391年であり、「法雷堂」と称しました。その後4度の兵火等によって焼失して、現在の建物は天文20年(1551年)の兵火による焼失後、1605年(慶長10年)に徳川家康の命により豊臣秀頼が米1万5千石を寄進して、5度目に再建された建物です。
 法堂建築としては最古であり、明治43年に特別保護建造物、昭和4年に旧国宝、昭和25年に文化財保護法によって重要文化財に指定されました。
 法堂は基壇「乱積」の上に建てられているので、法堂の姿が一層よくまとめられ、美化され、威厳を増すのに役立っています。高さは22Mとなっております。
 構造は桁行7間、梁間6間、単層、1重もこし付,入母屋造り,本瓦葺きの禅宗様建築であり顕著にその様子が至る所にうかがわれます。又、別に桁行4間、梁間1間、1重、切妻造、本瓦葺の玄関廊がついています。


法堂の裏側
奥隣が開山堂、左手が方丈で
庫裏は、方丈の向こう側(東)に位置します。

足利義満が夢窓疎石を勧請開山として創建した
相国寺派の大本山だけあり、本堂を兼ねる法堂です。

特別公開されていました法堂(重文)は、
豊臣秀頼が再建したもので
現存する日本最古の法堂建築です。
 


北条と法堂を結ぶ渡り廊下が左に見えます。


法堂雲龍頭

狩野光信筆の天井画である「蟠龍図」は
通称「鳴き龍」としても知られています。

京都三大天上が雲龍のひとつだけあって
さすがの大きさです。
床上において描いたのではなく、
天上にしてから寝た状態で描いたと言いますから
さぞご苦労であったと推察いたします。

龍の真下というより、ご本尊横で手を打ちますと
鳴竜が最もよく共鳴します。

案内外看板
■■ 開山堂

 開山堂は、開山夢窓国師の木像を安置しているお堂です。

 写真正面は、庫裡ですが、その手前右側にあり、境内で最も重要な建物です。(小さいはめ込み写真が開山堂)開山堂の左側(西)が法堂です。

【サイトより】
 応仁元年(1467)応仁の乱の兵火で焼失し、寛文六年(1666)後水尾天皇が、皇子桂宮第三世穏仁親王のために再建されましたが、又天明八年(1788)天明の大火で焼失します。
 現在の建物は江戸時代末期に桃園天皇の皇后、恭礼門院の黒御殿を賜って文化四年(1807)に移築、仏堂として用いられるように増築や一部改造を行なったものです。
 開山堂の南庭は、手前が白砂敷きの平枯山水、奥部が軽くなだらかな苔地築山となっています。
 
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相国寺 方丈1

 


江戸後期に建立された方丈には、
原在中筆の襖絵「中国普陀落山図」や
「琴棋書画図」が残り、
裏手にあります枯山水庭園も楽しめます。

法堂との渡り廊下から本堂受付を通ると
左手に方丈が見えます。 


方丈前の庭園は、シンプルながら荘厳さを感じます。
右上奥に見えるのが法堂の屋根


方丈から法堂を望む


方丈の観音像(レプリカ)

線図ではなく、文字で描かれています


方丈廊下突き当たり


方丈西側廊下


方丈西側庭園
 

方丈裏庭園


方丈裏庭園


方丈裏庭園
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相国寺 方丈2

 ■■ 方丈裏庭園


方丈東側庭園


方丈東側庭園
 
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相国寺 境内

 

方丈(右手)の西側定規線のある壁

この奥左手に長得院


方丈横の浴室
 


大塔


大塔
 
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