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私が訪れた名所旧跡です。

ケイタイやスマホのカメラで撮影したものもありますので画質があまりよくありません。
私の限られた感性での写真ですので、たいした作品でもありません。
自分自身の作品を、自分のために整理したものです。
京都  北野天満宮 2

■ 北野天満宮

 北野天満宮は、菅原道真をご祭神として祀る、全国に御霊分けをした約1万2000社の天満宮、天神社の総本社です。
 天神信仰の発祥の地であり、京都の人は、親しみをこめて「北野の天神さん」、「北野さん」と呼ばれています。

 北野天満宮の創建は、平安時代中頃の天暦元年(947)に、西ノ京に住んでいた多治比文子や近江国(滋賀県)比良宮の神主神良種、北野朝日寺の僧最珍らが、ここに神殿を建て、菅原道真公をおまつりしたのが始まりとされます。

 その後、藤原氏により大規模な社殿の造営がありました。永延元年(987)に一條天皇の勅使が派遣され、国家の平安が祈念され、「北野天満天神」の神号が認められました。

 江戸時代には、「学問の神さま」、「芸能の神さま」として広く知られるようになりました。




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北野天満宮 三光門から本殿へ

 三光門


三光門 【重要文化財】

本殿への中門
 本殿前の中門で、日・月・星の彫刻があることから
三光門と呼ばれます。
ただ、実際には星の彫刻はないとも言われ、
星欠けの三光門」として
「天神さんの七不思議」に数えられています。


夜空の北極星をいただく伝説の門

 楼門と拝殿の間に建つ中門は三光門と呼ばれ、ひと際壮麗な造りと上部に掲げられた後西天皇御宸筆の『天満宮』の勅額によって、当宮のシンボル的な建築として知られています。

 三光とは、日、月、星の意味で、梁の間に彫刻があることが名の由来ですが、星の彫刻だけが見られないともいわれています。その理由は、かつて朝廷があった大極殿から望むとちょうどこの門の上に北極星が輝くことから。天空と一つになって平安京を守っていた場所がこの北野の地なのです。

 この伝説は「星欠けの三光門」として今も当宮の七不思議に数えられています。社殿と同じく、桃山時代の建築様式で重要文化財に指定されています。(公式サイトより)



三光門に懸かる吊り灯籠

 社 殿 (本殿)


三光門前から見た社殿(本殿、国宝)正面

御祭神菅原道真公をお祀りする本殿。桃山建築の代表。
現在の社殿は、慶長12年に造営された。


社殿【国宝】

 ご祭神菅原道真公をおまつりする本殿と拝殿、石の間、楽の間を連結した日本最古の八棟造(権現造)です。現在の建物は慶長12年(1607)に造営されたもので、桃山時代の華麗な装飾とともに、歴史的に非常に貴重な建築とされています。

本殿と拝殿を石の間でつないだ、特色ある建築様式

 [御祭神] 菅原道真公 御相殿 中将殿(菅公の御子息) 吉祥女(菅公の北の方)
 総面積約500坪の雄大な桧皮葺屋根を戴く社殿は、菅原道真公をおまつりする本殿と拝殿が石の間という石畳の廊下でつながり、本殿の西には脇殿を、拝殿の両脇には楽の間を備えた複雑な構造。八棟造、権現造りと称され、神社建築の歴史を伝える貴重な遺構として国宝に指定されています。
 千年余りの歴史のなかで何度も火災にあいましたが、そのたびに朝廷や将軍家によって造営修繕がなされ、現在の本殿は豊臣秀吉公の遺命により豊臣秀頼公が慶長12年(1607)に造営されたものです。唐破風や黄金色に輝く装飾、精緻な彫刻の数々は絢爛豪華な桃山文化の建築ならでは。毎月25日のライトアップでは吊燈籠に火がともされ、幻想的な眺めを見ることができます。
 通常は拝殿前よりご参拝いただきますが、ご祈祷の際には拝殿に昇殿いただきます。神前での厳粛な雰囲気とともに、内部の美しい装飾にもご注目ください。(公式サイトより)



本殿と左近の梅
天満宮ですので左近は桜ではありません



本殿破風



本殿欄間の鏡



本殿吊り灯籠



本殿裏側

 宝物殿


宝物殿側面

手水舎裏から見る



阿仰の狛獅子




北門

 門前には西陣名技碑が建つ


神楽殿

狂言や日本舞踊又毎月25日には神楽舞が奉納される。


東門(重文)

切妻造、銅葺の四脚門

 

 
 
 
 

 

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