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私が訪れた名所旧跡です。

ケイタイやスマホのカメラで撮影したものもありますので画質があまりよくありません。
私の限られた感性での写真ですので、たいした作品でもありません。
自分自身の作品を、自分のために整理したものです。
京都  嵯峨野 二尊院 4

二尊院

 二尊院(にそんいん)は、京都の嵯峨野にある平安時代に創建された天台宗の寺院で、山号は小倉山で、正式には小倉山二尊教院華台寺(おぐらやま にそんきょういん けだいじ)といいます。

二尊院は,釈迦如来(発遣の釈迦)と阿弥陀如来(来迎の阿弥陀)の二像を本尊としていることから「二尊院」と名づけられました。

 二尊院は敷地が広く,見所が多いので、参拝時間をたっぷり取り、展望台の方まで行くことをお薦めします。

 伏見城から移築されたといわれる総門から入ったところにある参道は、「紅葉の馬場」と呼ばれています。

 二尊院は嵐山周辺のなかでは、紅葉の時期は早めといわれますが、2018年10月に訪れたときには、少々早すぎました。同年12月初旬に訪れたときには、逆にほとんど紅葉が残っていませんでしたが、一部「名残のもみじ」を楽しめました。

【アクセス】

 京都バスの清滝行き・大覚寺行きか,京都市バスの大覚寺行きで嵯峨小学校前で降りて徒歩15分位のところにあります。しかし、バスの便数も少なく、ハイシーズン中は、京都中心地からは、JRか京福電鉄を利用することをお勧めします。

 そして、駅からは徒歩でも行けますので、途中、嵯峨野の竹林などの景色を楽しむのも良いでしょう。嵐山駅からは20分強、JRでは15分ほどです。

 私は、大覚寺までバスで行き、そこから祇王寺まで徒歩で30分弱、祇王寺からは数分のところにあります。私の体験からは、逆コースもよろしいかと思います。

  京都市右京区嵯峨二尊院門前長神町27

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10月に訪れたときにはなかった花器が
12月に訪れたときには歓迎してくれました

 
二尊院 境内諸堂

二尊院 弁天堂

 弁天堂といいますと、通常は、弁天様が祀られています。ところが、二尊院では、弁財天の化身である九頭龍大神・宇賀神が祀られています。

 弁財天を祀る由来は、『二尊院縁起』に記述され、第三世湛空上人の時代に、四あし門(現在の勅使門)に寺名の額があり、その額を夜々に門前の池(竜女池)より靈蛇が出て、字形や彩色が消えるほどに舐めてしまい、これを防ぐため、湛空上人は靈蛇に自らの戒法を授けるため血脈を書いて池に沈めました。すると竜女成仏の証拠として千葉の蓮華一本が咲いたといいます。

 ここには、龍の形をした弁財天の他に、大日如来、不動明王、毘沙門天等が安置されています。



小倉百人一首といえば定家
二尊院は、小倉山の懐に抱かれるように建っています。



軒端の松

左奥は本堂、右奥は弁天堂



本堂前庭から中央に見える弁天堂



弁天堂正面



弁天堂の鳳凰



弁天堂内陣と扁額



弁財天の化身である九頭龍大神・宇賀神が祀られています

九頭竜弁財天は、人生を幸いに導く慈悲の女神です。



弁天堂内陣

龍の形をした弁財天(左半分中央手前)の他に、
大日如来、不動明王、毘沙門天等が安置されています。

二尊院 御霊屋


本堂の脇に立つ御霊屋

御霊屋(みたまや、おたまや)は、
一般的には神道で、祖先の霊を家庭で祀るためのもので、
仏教でいう仏壇にあたるといわれます。



左手が本堂、右奥が弁天堂


二尊院 鐘楼と了以像


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角倉了以像

鐘楼前に立つ京都の治水に貢献

 天文23年(1554年) - 慶長19年7月12日(1614年8月17日)

 戦国時代から江戸時代初期にかけての京都の豪商で、朱印船貿易の開始とともに安南国との貿易を行い、山城(京都)の大堰川、高瀬川に私財を投じて開削しました。

 また江戸幕府の命令により富士川、天竜川、庄内川などの開削も行いました。地元京都では商人としてよりも琵琶湖疏水の設計者である田辺朔郎と共に「水運の父」として有名です。(【Wikipedia】)



しあわせの鐘(鐘楼)

三回ついて、しあわせを願う梵鐘
慶長年間(1596〜1615)に建立されました。
梵鐘は慶長九年(1604)に鋳造され、平成四年(1992)に、
開基嵯峨天皇千二百年御遠忌法要記念として
再鋳されました。




「しあわせの鐘」と現代風に名付けられ、
「自分が生かされているしあわせを祈願」
「自分のまわりの生きとし生けるものに感謝」
「世界人類のしあわせのために」と、
鐘を三つ撞いて祈願します。



梵鐘は、平成四年(1992)に、作り直されました。

二尊院 湛空廟・法然廟


本堂としあわせの鐘の間に、木々に囲われた石段があります。
真っすぐに上がった先に待ち受けるのが「湛空廟」です。


湛空廟

 二尊院で教えを広めた僧、湛空(たんくう)上人の碑が収められています。

 慶長五年(一二五三)に中国の石工によって彫られた碑と思われ、碑堂は室町時代末期の建築として京都市指定文化財になっています。

 ここは小倉山の中腹にあたり、景色もよく、澄んだ空気を味わえます。
湛空(たんくう) 1176-1253 鎌倉時代の僧。

 安元2年生まれ。徳大寺実能(さねよし)の孫。浄土宗。
 はじめ比叡(ひえい)山の実全に師事。のち法然に帰依(きえ),その流罪にもしたがう。
 師の死後,嵯峨(さが)の二尊院で教えをひろめ,その門下は嵯峨門徒とよばれた。建長5年7月27日死去。78歳。号は正信房。(kotobank)



湛空は、法然上人に帰依したことから
法然上人も祀られています。



湛空と法然が祀られています

二尊院 時雨亭跡


時雨亭

藤原定家が小倉百人一首を選定した庵



基壇のみが残っています



礎石から見るに
時雨亭は、それほど大きな庵ではなかったようです。



時雨亭跡の前にある展望台からの京都市内の眺めは
定家の気持ちになろうとしてみましたが
俗人の私には無理でした

二尊院 境内北側


参道は、西に向かっていますが、
本堂の右手、境内の右側(北)の庭



小倉餡(あんこ)発祥の地石碑

まんじゅうや最中など、和菓子につきものの
小倉餡が好きな人も多でしょう



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小倉餡発祥の由来



八社宮  八社を祀る、表鬼門の社

 境内の東北に位置し、表鬼門としてつくられた社です。
その名の通り、伊勢神宮・松尾大社・愛宕神社・
石清水八幡宮・熱田神宮・日吉神社・
八坂神社・北野天満宮の八社を祀っています。



 室町時代末期の建築として
京都市指定文化財に指定されています。
社を守るために、さや堂が社を覆っています。



六地蔵堂


6体のお地蔵様が祀られています
 
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 二尊院1   アプローチ 
 二尊院2   本堂と前庭 
 二尊院3   本堂から 
 二尊院4   諸堂と境内諸物 
 大覚寺   大沢池を有す華と心経の寺
 祇王寺   苔・竹・もみじ、悲恋物語を語るお寺  
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