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私が訪れた名所旧跡です。

ケイタイやスマホのカメラで撮影したものもありますので画質があまりよくありません。
私の限られた感性での写真ですので、たいした作品でもありません。
自分自身の作品を、自分のために整理したものです。
京都  嵯峨野 祇王寺
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公式サイト パンフレット 

 祇王寺は、京都西部の嵯峨野にある小さな草案といえるようなお寺さんで、真言宗大覚寺派の寺院で、旧嵯峨御所大覚寺の塔頭寺院です。

 の絨毯に、竹林に囲まれ、「平家物語」にも登場します。平清盛の寵愛を受けた白拍子である「祇王(ぎおう)」が、若い仏御前の出現による清盛の心変わりから、都を追われるように去りました。母と妹とともに出家し、入寺した悲恋の尼寺として知られています。

 祇王寺は、昔の往生院の境内にあり、往生院は法然上人の門弟良鎮によって創建されたと伝わっています。山上山下にわたって広い寺域を占めていた往生院も後年は荒廃し、ささやかな尼寺として残り、後に祇王寺と呼ばれるようになりました。

所在地: 〒616-8435 京都市右京区嵯峨鳥居本小坂町32
      TEL:075-861-3574
拝観料: 大人300円・小人(小中高)100円
拝観時間:午前9時~午後5時(受付終了午後4時30分)

 祇王寺は、大覚寺の塔頭であることから、大覚寺・祇王寺の2寺に適用する)共通拝観券(600円)を購入しました。
 大覚寺から祇王寺までは、移動手段が不便で、私は30分かけて徒歩で移動しました。途中、道をたずねた年配者が、親切にも祇王寺入口まで案内をしてくれました。途中で、その道すがら、いろいろと説明してくれました。大文字焼きなどで知られる送り火の「鳥居型」の山も、説明がなければ見落とすところでした。

【アクセス】

(1) 四条河原町から
市営11番(山越中町行)乗車―(約50分)―嵯峨小学校前 下車 徒歩17分
(2) 四条大宮(阪急大宮駅)から
市営91番(大覚寺行)乗車―(約30分)―嵯峨釈迦堂前 下車 徒歩15分
(3) 阪急嵐山駅から
市営28番(大覚寺行)乗車―(約10分)―嵯峨釈迦堂前 下車 徒歩15分
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嵯峨野  祇王寺へのアクセス


嵯峨野の二尊院の北、メイン通りから、ちょっと入ったところに、
壇林寺や奥の滝口寺と並んだところにあります。
奥まったところに入る小道には
「祇王寺」というしゃれた看板が立っています。



祇王寺の看板の反対側には祇王寺と壇林寺を示す
石柱があります。

嵯峨野  壇林寺


↑ 拡大



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壇林寺 (だんりんじ)

 祇王寺の手前に隣接しています。

 壇林寺は、平安時代の初め、嵯峨天皇の皇后橘嘉智子(786~850)が創建した寺院です。皇后は、容姿端麗にして婦徳に秀で、学芸を愛し、橘氏の学校として学館院を設けたといわれています。

 また、皇后は、深く仏教を信仰し、檀林寺に壮大な寺院を営み、盛時には、十二坊を持っていました。

 さらに、皇后は、当時、来朝した中国の僧、義空を師として、この寺で禅書を学び、これが、我が国で禅が唱えられた始めといわれています。

 当寺は、この由緒によって、昭和三十九年から再建された寺院ですが、霊宝館には、皇后ゆかりの品をはじめ、日本、中国の仏教美術の数々が納められています。



今回は、参詣しませんでした。



由緒ある門跡ですので、立派な意思の銘がありました




門跡寺院を示す五本の定規線の土壁



土壁の途中に山門があります。
突き当たりが祇王寺です。

嵯峨野  祇王寺


祇王寺(ぎおうじ)は、真言宗大覚寺派の寺院で、
旧嵯峨御所大覚寺の塔頭寺院です。
壇林寺前の参道の突き当たりが祇王寺です。



入口横から祇王寺の竹林が見えました



緩い階段が、入口に続いています



正門の横に、参拝者の門があります

嵯峨野  祇王寺 苔むす庭園


門を入ると、以前に来たときの思い出がフラッシュしてきました。



それほど広くない庭ですが、中央にせせらぎの流れ道が
苔庭にアクセントを付けています。



12月の初めですので、今年はもみじの絨毯ではなく、
苔の緑が目立ちました。



苔庭を飾る石灯籠
奥は、祇王寺の庵です


木立の奥に見える祇王寺の庵

嵯峨野  祇王寺の苔


苔の絨毯に、竹林と楓に囲まれ、「平家物語」にも登場します。

数種の苔が密集して全体を統一的に見せています



近年、苔好きの女性を中心とした人が増えているそうです。
スマホのマクロ撮影用のアダプターを付けると
簡単にマクロ撮影ができます。



あまり広くない庭園も、苔の緑がまばゆいほどです

嵯峨野  祇王寺 苔・竹・紅葉


庭の一番奥だけ、紅葉の絨毯が残されていました



紅葉と緑の絨毯



祇王寺らしい苔と紅葉



まだまだ紅葉も負けていないと自己主張していました

嵯峨野  祇王寺 紅葉と竹


竹は地下茎を通じて広がる強い植物です。
強すぎると嫌われる面もありますが
まっすぐに通る繊維と、高くまっすぐ伸びることから
その成長性やまっすぐな性格になぞらえます



竹林に紅葉



緑の竹を背景にした
オレンジから黄色のグラデーションは
一服の写真となります



ややあせてきたもみじも
竹と美しさを競っていました

嵯峨野  祇王寺 庵横の掛樋


庵横の掛樋と石灯籠
静寂の中に、せせらぎの音



水の音は心を和ませてくれます



石灯籠に掛樋
の美しさを醸し出してくれています



心安らぐ水の音



掛樋からの流れをガードする丸木も
無粋さを隠して自分の役割を無言で果たす



掛樋からの流れは、苔庭に続きます



掛樋の周辺

嵯峨野  祇王寺のもう一つの主役 庵


祇王”寺”といえども
お寺にしては、今は小さな庵があるだけです



庵の仏間が参拝者を迎えてくれます



仏間の縁側の左手



庵の竹林側
南天の奥は控えの間にある吉野窓
影が虹の色に見えることから
虹の窓」ともいわれます



内側から見た吉野窓
外からは円窓だとわかりますが、
内側からですと異なった形に見えるのが不思議



平清盛の寵愛を受けた白拍子である「祇王(ぎおう)」が、
若い仏御前の出現による清盛の心変わりから、
都を追われるように去りました。
母と妹とともに出家し、
入寺した悲恋の尼寺として知られています。



仏壇には、ご本尊の大日如来、祇王、清盛、
祇女、母刀自、仏御前の木造が安置されています。
祇王と祇女の目は玉眼(水晶)で、鎌倉末期の作(作者不明)
清盛像は、柱の影で見えにくいところに置かれています。
祇王を裏切ったことへの仕返しでしょうか。

嵯峨野  祇王寺 墓地


祇王寺墓地の入口にある碑

「妓王妓女佛刀自の旧跡 明和八年辛卯正当六百年忌
往生院現住尼 法専建之」とあって、
この碑の右側に
「性如禅尼承安二(1172)年壬辰八月十五日寂」と
刻まれているのは祇王のことと思われます。



祇王寺墓地

墓地といっても、数基があるだけです
祗王寺は明治初年に廃寺となりましたが、
残された墓と仏像は旧地頭の大覚寺によって保管されました。



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左の宝筐印塔は祇王、祇女、母刀自の墓
右側は清盛供養塔と比丘尼智照の墓

嵯峨野  祇王寺 センリョウ・マンリョウと帰路


帰路の塀にかけられたセンリョウ



センリョウ・マンリョウの仲間が並べられています



これほどいろいろな種類があるとは
知りませんでした。



帰路の塀



芸術家も思わせる帰路の壁



紅葉が残る帰り道



帰り道の左手に残るもみじの絨毯

 
 
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