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経営コンサルタントの独り言

経営コンサルタントという職業を正しく理解していただくためには
経営コンサルタントの本音を聞いていただくことが必要と考えます。

経営コンサルタントも人の子、
悩むこともあれば、大声を上げて笑うこともあります。

独断と偏見に満ちた見方かもしれません。
虚々実々、そんな姿を見ていただき、
経営コンサルタントへの理解と興味を持っていただければ幸いです。


 
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歴史に学ぶ経営

仁義とは  有を無にする発想 
京都の大火  ベートーベンの恋人 
アリストテレスと論理思考 徳川吉宗の享保の改革
日本の簿記の発展 マーク・トウェイン 
   
   
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「有」を「無」にする発想

 4月23日は「国際マルコーニデー 」です。世界で初めて無線通信を行ったイタリア人のマルコーニを記念する日です。
 グリエルモ・マルコーニ(Guglielmo Marconi)は、イタリアの無線研究家、発明家で、ノーベル物理学賞を受賞しています。彼の研究は「無線電信」を電波を使って行うことで、自宅で無線装置を作り、実験を開始し、実用化した後にマルコーニ無線電信会社を創立しました。
 彼のすばらしさは、グラハム・ベルが発明した電話の欠点である有線工事をしなくても通信できるようにしたいと考えたのです。
 「不便を解消する」という基本的な発想が発明を生み出します。「今存在するものをなくす」という発想が彼のすばらしさです。ビジネスも「お客様は何に困っているのだろうか」というところから新しい商品・サービス構想が生まれてくるのです。

 
 
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仁義とは

 4月25日は孔子祭です。孔子や儒教の先哲を祀る儀式が行われます。中国で儒教が国教となったときに、釈奠(せきてん/しゃくてん)と呼ぶようになりました。
 孔子は紀元前5~6世紀の春秋時代における中国の思想家、哲学者で、儒家の始祖でもあります。幼くして両親を失い、孤児となってからも苦学をつづけたそうです。しかし、生きている間は無冠で、一人の学者であったようです。しかし、後の漢代(前漢)に司馬遷は『史記』の中ででは、孔子の功績を「王に値する」と記述しています。
 孔子は、それまでにあった原始宗教を今日の儒教に体系化しました。孔子の考えの基本は「仁(じん)」です。「仁が貫かれるところに道徳が保たれる」と説いています。
 「仁」は徳の一つで、人間関係の基本、人間愛をさす倫理規定でもあります。主に「他人に対する親愛の情、優しさ」をさし、仁と、人間の行動に関する概念である義を合わせて、「仁義」という表現もよく知られています。
 仁義というと、ある種の世界の言葉のように思われがちですが、人間のあり方の基本のことです。むしろその世界だけに限定すると、映画などでの情報でしかありませんが、一般の人よりもむしろ仲間意識、結束感は強いのではないでしょうか。
 今の日本は、残念ながら他人に対する思いやり、気配りがあまりにも希薄になっていると平素思っています。ところが、東日本大震災のような時には、眠っている「仁」が呼び起こされるのか、義援金やボランティア活動などへの参加という形で現れてきます。
 「まだまだ日本は捨てたものではない」とテレビでどなたかが言っていましたが、「仁」ということを考え直す時間を各自がとっても良いと思います。もちろん、私自身も実行します。
 
 
孔子
(クリップアートより)
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ベートーベンの恋人

 新暦1708年4月28日(宝永5年3月8日)に宝永の大火と呼ばれる大火が 京都でありました。
 Wikipediaによると下記のように紹介されています。
 南西の風に煽られて被害が拡大し、禁裏御所・仙洞御所・女院御所・東宮御所が悉く炎上、九条家・鷹司家をはじめとする公家の邸宅、寺院・町屋など、西は油小路通・北は今出川通・東は河原町通・南は錦小路通に囲まれた上京を中心とした417ヶ町、10351軒、佛光寺や下鴨神社などの諸寺社などを焼いた。
 「地震雷火事親父」といいますが、江戸も大火が多い街ですが、京都も戦乱などで何度も灰燼に帰しているのですね。しかし、東日本大震災に比べると地域が限定的で、それらと比べても2011年の震災の大きさがわかります。

 

ベートーベン
(クリップアートより)
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京都の大火

 新暦1708年4月28日(宝永5年3月8日)に宝永の大火と呼ばれる大火が 京都でありました。
 Wikipediaによると下記のように紹介されています。
 南西の風に煽られて被害が拡大し、禁裏御所・仙洞御所・女院御所・東宮御所が悉く炎上、九条家・鷹司家をはじめとする公家の邸宅、寺院・町屋など、西は油小路通・北は今出川通・東は河原町通・南は錦小路通に囲まれた上京を中心とした417ヶ町、10351軒、佛光寺や下鴨神社などの諸寺社などを焼いた。
 「地震雷火事親父」といいますが、江戸も大火が多い街ですが、京都も戦乱などで何度も灰燼に帰しているのですね。しかし、東日本大震災に比べると地域が限定的で、それらと比べても2011年の震災の大きさがわかります。

 
 
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マーク・トウェイン

1885年2月18日に、マーク・トウェインの「ハックルベリー・フィンの冒険」が刊行されました。世界ではじめたタイプライターで書かれた小説であると高校の英語の教師から聞いた記憶があります。(真偽の程は定かでありません)

マーク・トウェインというと「トム・ソーヤーの冒険」をイメージする人も多いと思いますが、ハックルベリーはトムの親友です。

この小説は、俗語というか方言の会話が多く、当時この本を原書で読み始めて、言葉がわからない、辞書を引いても出ていないなどでギブアップしたことを記憶しています。

1970年代の前半分を私はアメリカで生活しました。当時は、1ドル360円の固定相場から今日のようは変動相場に転換する大きな時期でした。日本製品は「安かろう悪かろう」という時代で、日本企業の海外進出はまだまだ本格的ではなく、私のアメリカでの仕事は市場調査と言うよりフィージビリティ調査が中心でした。

 
 
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アリストテレスと論理思考

3月7日は、ギリシャの哲学者アリストテレスの命日です。アリストテレスはプラトンの弟子であることも、またソクラテスやプラトンと共に、欠かすことのできない哲学者です。自然研究面での業績が大きいだけではなく、イスラム世界での思想上の影響が大でもあります。

高校の時の世界史の先生が、大変ユニークな先生で、歴史上の逸話をいろいろと話くれました。ギリシャのアゴラに行かれた方はご存知でしょうが、弟子たちと廊下を歩きながら議論を交わしたと言います。アリストテレスは、アレクサンダー大王の家庭教師であったというくだりは忘れられません。

ロジカル・シンキングなどを学ばれた方だけではなく、演繹法とか三段論法という論理的思考法についてはご存知な方が多いでしょう。経験的事象をもととして演繹的に事実を列挙して思考・分析することから、演繹法が広く広まりました。

 
 
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徳川吉宗の享保の改革

徳川吉宗の名を聞いた人は多いでしょう。吉宗といえば、徳川御三家のひとつである紀州藩に生まれ、第8代将軍になった人です。また、享保の改革で幕政立て直しをした人としても知られています。

吉宗は、幕政の聖域といわれる幕臣の数を減らし、合理化を推進させることに努力をしたと言います。当時9万人もの幕臣おり、そこにメスを入れたのです。また、自分自身が率先して素食に甘んじ、木綿の着物を着たりして御役人にも倹約をさせました。

大岡裁判で有名な越前守もこの時代の人で、今日の貨幣に相当する米価の下落、すなわち貨幣価値が下落したので物価が高騰していましたが、積極的な取り組みで財政も安定化の方向に移ってきました。

今日、管政権が苦境に立っていますが、「仕分け」の発想は良かったのですが、中途半端であり、とりわけ御役人の数減らしには効果を上げていません。

上杉鷹山をはじめ、歴史を見ても学ぶところはまだまだたくさんあります。一般企業でもまだまだムダが多いと言えます。「ムリ・ムダ・ムラ」という「3ム」に手をつけてみてはいかがでしょうか。

 
 
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日本の簿記の発展

210日は「簿記の日」です。日本における簿記の原点は、福澤諭吉先生の「帳合之法」という翻訳本です。1873年のこの日に発行されたことに由来して制定されました。

日本における簿記の発展は、計理士によりさらに定着することになりました。日本で最初にできた経営コンサルタント資格である「経営士」資格付与団体の(特)日本経営士協会は、昭和2年に制定された計理士法による計理士の団体の流れをくんでいます。戦後計理士法は公認会計士法に形を変え、その時点で計理士協会から今日の日本公認会計士協会様と(特)日本経営士協会が分離独立したのです。

日本の公認会計士制度は、戦後復興のために政府が派遣した視察団団長の黒沢清博士の功績が大きいと言われています。その黒沢博士が公認会計士制度とともに経営コンサルタントについても日本の復興に必要なことと、経営コンサルタント業の必要性を強く訴えたことから、それに呼応された太田哲三先生がお骨折りくださり、日本経営士協会が設立されたのです。

日本における本格的な経営コンサルタントの幕開けは、昭和24年と言えます。昭和26年には、日本経営士協会の設立に対する動きが始まり、昭和28年には日本経営士協会が正式に活動をはじめました。

 
 
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経営コンサルタント体験談
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