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私が訪れた名所旧跡です。

コンパクトカメラやスマホで撮影したものもありますので画質があまりよくありません。
私の限られた感性での写真ですので、たいした作品でもありません。
自分自身の作品を、自分のために整理したものです。

京都 洛北  国指定史跡 岩倉具視幽棲旧宅 
 公式サイト パンフレット 関連記事(秘) 
 【 注 】 「(秘)」は個人用資料  

 NHK大河ドラマ「西郷どん」で名前を挙げた一人が、岩倉具視ではないでしょうか。その岩倉の極貧生活が紹介されていましたが、ここ岩倉地区がモデルになっています。しかし、実際には、大河ドラマで紹介されていたほどではないようですし、時期的にも、少々あわないようです。

■ 国指定史跡 岩倉具視幽棲旧宅

 1862年から1867年までの約5年間、岩倉具視は、この地に幽棲しました。

 周囲を塀で囲まれ、居宅は茅葺の主屋(約60㎡)と瓦葺の附属屋(約67㎡)、繋屋(約9㎡)から成ります。

 敷地の南土塀に表門を構え、門を入って主屋南庭に通じる中門、池庭、離れの便所によって構成されています。

 指定年月日: 昭和7年(1932)3月25日
 指定面積: 1,553㎡


■ 岩倉具視

 いわくら ともみ
 文政8年9月15日(1825年10月26日) - 明治16年(1883年)7月20日)

 岩倉具視は、明治維新における王政復古に力を注いだ幕末、明治期の代表的な政治家です。

 NHK大河ドラマ「西郷どん」で一躍名前を挙げた一人が、岩倉具視です。下級公家でありながら、世渡りの上手さで、明治政府の海外派遣団の団長となったり、五百円紙幣に登場したりする程までに出世をしました。

 文政8年(1825)に参議正三位堀河康親(やすちか)の次男として生まれたのち、天保9年(1838)に公卿岩倉具慶(ともやす)の養子になります。安政元年(1854)には、孝明天皇の侍従となり、次第に朝廷内において台頭し、発言力を増してきました。

 安政5年(1858年)1月、老中・堀田正睦の日米修好通商条約が、多くの公卿・公家から批判をされました。「八十八卿列参事件」といわれるこの事件では、岩倉が始めて政治の舞台に躍り出て、孝明天皇を始め、多くからその存在が認められることになりました。

 また、「安政の大獄」では幕府寄りの姿勢から京都所司代・酒井忠義に認められました。

 徳川家茂への和宮の降嫁の件では、「和宮御降嫁に関する上申書」を孝明天皇にさしだすなどで、その功績が認められています。

 公武合体をすすめるため、孝明天皇の妹、和宮の将軍家への降嫁を推進したことにより、尊皇攘夷派から佐幕派の巨頭と見られるに至り、攘夷運動の高まりから、洛北の岩倉村に慶応3年(1867)まで幽棲しました。

  岩倉具視の生涯
  https://iwakura-tomomi.jp/history/


■ アクセス

 実相院門跡から5分ほどのところにあります。正門からは入れず、通用門に回ります。

JR京都駅から
[1] 地下鉄烏丸線 国際会館ゆき「国際会館駅」下車、出口「4-1」よりターミナルへ
[2] 京都バス24系統・岩倉実相院ゆき「岩倉実相院」下車
 *国際会館駅よりタクシー利用の場合…およそ1,000円以内、所要時間約5~10分

京阪電車/叡山電鉄
出町柳駅から叡山電鉄鞍馬線 二軒茶屋または鞍馬ゆき「岩倉駅」下車
[1] 岩倉駅より徒歩の場合…北へ進み、最初の左に入る道を左折、
  川沿いを歩き、赤い橋を左へ。突き当たりが実相院です。(所要時間約20分)
[2] バスの場合…北へ5分ほど歩き交差点を左折 、
 「岩倉駅前」バス停より京都バス「岩倉実相院」行きで約8分

阪急電鉄 河原町駅から
[1] 出口「3B」より北へ徒歩約1分
[2] 京都バス「四条河原町」河原町通南行のりば(H&M前)より
  岩倉実相院ゆき「岩倉実相院」下車(所要時間約45分)

開館時間

 午前9時~午後5時(入場は午後4時30分まで)

休館日

 水曜日(祝日の場合は開館、次の平日休館)
 年末年始(12月29日~1月3日)

入場料

 一般 300円 中高生 200円 小学生 100円

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岩倉具視幽棲旧宅



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岩倉駅から徒歩でも20分ほどですので
洛北の京都の空気を楽しみながら散策するのも良いですね。
実相院門跡から、徒歩で5分弱のところです。
ちょっとわかりづらいところにあります。



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表門からは入れませんので
通用口に回ります



料金を支払ったら左手にちょっと登ります



庭に素晴らしい形をした松があるのが目に留まります



松の根元にある鉄灯籠



遺髪碑

庭の右手、主屋の東側には、
岩倉具視の遺髪を収めた慰霊碑が
槇子夫人の碑と共に祭られています。
また、その北側には子息の具定、具経の碑も建っています。

岩倉具視幽棲旧宅 母屋(主屋)


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母屋(主屋)玄関

茅葺の質素な外観の建物で西側に玄関である式台があります。
玄関、6畳の次の間、床の間のある6畳の座敷と
東西一列に部屋が並ぶ間取りで、南側に縁側を設けています。



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玄関を入って右手に進むと正面に母屋があります



6畳間から庭を見る



6畳間から庭の松が見えます

岩倉具視幽棲旧宅 母屋(主屋)床の間


6畳の床の間には、床の間と違い棚があります。



違い棚の引き戸の絵は、不鮮明です



雀でしょうか、二羽見えます



こちらは雀とはっきり解ります



縁側との境にある雪見障子は、面白い桟組みです。
ガラスは、明治時代のものでしょうか、凸凹しています。
障子の下の彫刻も一見の価値



縁側側から見た障子

岩倉具視幽棲旧宅 附属屋


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引っ越した当時は、付属屋の建物だけでしたが
後に造築し、
玄関のある繋ぎ屋と母屋(主屋)です。



付属屋の瓦のエッジの模様は、唐草でしょうか?



附属屋前の中庭



中庭は母屋(主屋)と付属屋の間にあります



母屋(主屋)からみた付属屋



母屋(主屋)から中庭越しに付属屋を見る



岩倉具視がこの地で最初に生活したといわれる付属屋内部



付属屋 奥に見えるのが中庭越しの母屋(主屋)



岩倉の時代ではないと思いますが
趣ある照明が心を和ませてくれました

岩倉具視幽棲旧宅 あれこれ


付属屋の台所



龍吐水



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龍吐水は、昔の消火装置



付属屋前から表門を見る
左は渡り屋につく玄関



玄関前から渡り屋と母屋(主屋)を見る



左中門、正面奥が表門
表門は通行できません
中門は、玄関から前庭(松のある庭)を通って通用門に行けます



表門内側から母屋(主屋)と玄関、付属屋を見る
右手は前庭



事務所前から対岳文庫(資料館)を見る


■ 対岳文庫

 国登録有形文化財 平成19年(2007)登録

 岩倉具視遺品類や明治維新関係文書などを展示・収蔵するために昭和3年(1928)に建設された鉄筋コンクリート平屋建ての小規模な建物で、京都市庁舎本館も手掛けた建築家武田五一(京都帝国大学教授)の設計によります。

 岩倉具視関係品を展示していますが、国指定重要文化財「岩倉具視関係資料」1018点及び京都市指定有形文化財「岩倉具視関係資料」109点は京都市歴史資料館(上京区寺町丸太町 TEL 075-241-4312)に収蔵されています。


 
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