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経営者・管理職とコンサルタント

35年の実績と誠意

 

40余年の実績で、皆様と共に歩んでゆきます。

 当サイトと連動し、平日毎日複数本のブログ発信をし、経営コンサルタント歴40余年の独断と偏見から何かを感じ取っていただけると幸いです。
 経営者・管理職向けの記事、それを裏返すと経営コンサルタントなど士業の先生方にも参考となります。 
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 今日の写真  3月27日
 
 【今日の写真】早春の京都 竜安寺  
 「龍安寺の石庭」として知られる枯山水の方丈石庭は京都を訪れた人の多くが訪問しているでしょう。室町幕府の守護大名であり、応仁の乱の東軍総帥でもあったりした細川勝元が創建した禅寺です。
 近世の地誌類によれば、最盛期の龍安寺には塔頭(たっちゅう、子院)が21か寺、軒を連ねていたという(現存するものは3か寺)。『都名所図会』のような絵入りの名所案内書(現代の旅行ガイドブックに相当)を見ると、当時、龍安寺の池はオシドリの名所として知られており、今日有名な石庭よりもむしろ、池を中心とした池泉回遊式庭園の方が著名であったらしい。(【Wikipedia】より)

今日は何の日    3月27日


■ 聖金曜日(年により日付が異なる)

 復活祭直前の金曜日を「聖金曜日(Good Friday)」といいます。今日がそれに当たり、3日後にイエスは復活します。「受難日」、「受苦日」などとも呼ばれ、正教会では「聖大金曜日」と呼ばれるそうです。

 イエスの受難と死は自ら選んで行ったことなのでその三日後にあたる日曜日に復活したことを「死の克服」とみなしているようです。

 このためにキリスト教国ではお休みになるところが多く、例えばアメリカでは株式、債券、商品市場なども休場となります。


■ 世界演劇の日

 3月27日は「世界演劇の日(World Theatre Day)」で、ユネスコの外郭団体である国際演劇協会(ITI)が制定しました

 1962年3月27日に、ITIがパリで第1回シアター・オブ・ネイションズ(諸国民演劇祭)を開催したことを祈念しています。

 日本における演劇というと浅利慶太氏の劇団四季などが思い浮かびますが、日本には数多くの演劇集団があります。どさ回りなどと言われる地方巡業を中心にやっているお芝居は、子供の頃親に連れて行ってもらったことを覚えています。


【Wikipedia】
 浅利 慶太(あさり けいた、1933年3月16日-)は、東京都出身の演出家、実業家である。劇団四季創設者の一人で芸術総監督。劇団の運営・管理に当たる四季株式会社の代表取締役会長もつとめる。2009年4月1日から、再び同社の代表取締役社長の任にある。
 慶應義塾高等学校卒業、慶應義塾大学文学部仏文学専攻中退。特選塾員。慶應義塾評議員。


■ さくらの日

 「さくら」が「3」「9」に繋がる語呂から「3×9(さくら)=27」と、七十二候のひとつ「桜始開」が重なる時期であることから、3月27日を「さくらの日」の日として、日本さくらの会が1992(平成4)年に制定しました

 日本人にとって桜というのは欠かせない植物、というよりは春の風物詩の一つですね


  図 日本さくらの会 ←クリック

 

■ その他
◇ 善導寺開山忌
◇ 海雲寺荒神祭

【経営コンサルタントの独り言】

■ 演劇の日に思う


 日本経営士協会には、演劇関連のコンサルタントがいます。

 1960年代、若者に人気のアイドルグループ「ジャニーズ」のメンバーである飯野おさみは、彼のおじさんだか従兄です。

 愛称は「オチャミ」、「チャミ」でしたが劇団四季に所属していました。

 経営コンサルタントにもいろいろな専門家がいることをご理解いただけるのではないでしょうか。

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■ 千利休

 せん の りきゅう、せん りきゅう
 大永2年(1522年)-天正19年2月28日(1591年4月21日)

 戦国時代から安土桃山時代にかけての商人で、むしろ茶人として広く知られています。

 わび茶(草庵の茶)の完成者として知られ、「茶聖」とも呼ばれています。また、今井宗久や津田宗及とともに、茶湯の天下三宗匠と称せられます。

「利休七哲」に代表される数多くの弟子を持ち、その子孫は、茶道の三千家として続いています。

 豊臣秀吉の側近でもあり、茶道を通じて多くの大名にも影響力をもったといわれていますが、秀吉との関係に不和が生じ、最後は切腹へと追い込まれたことはよく知られています。

 不和の真相については諸説があり、定説はないようです。


 茶道を嗜む人でなくても利休を知らない人はいないでしょう。お恥ずかしながら私は、コーヒーショップで「お茶」はしますが、茶道の「茶」はしません。でも、時々妻が茶を入れてくれますが、何かホッとします。やはり、日本人なのでしょうか。


■ 大塩 平八郎 大塩平八郎の乱の首謀者

 おおしお へいはちろう
 寛政5年1月22日(1793年3月4日)-天保8年3月27日(1837年5月1日)

 江戸時代後期の儒学者、大坂町奉行組与力で、大塩平八郎の乱を起こしました。

 通称は、平八郎、諱は正高、のち後素(こうそ)、字は子起、号は中斎です。

 揚羽の家紋を持ちます大塩家は、今川氏の末流で、代々大坂東町奉行組与力を務めていました。平八郎は初代の大塩六兵衛成一から数えて8代目にあたります。

 大塩平八郎の欄を蜂起する前年の天保7年(1836年)秋、米価高などの影響で、甲斐国「天保騒動(郡内騒動)」や、三河国挙母藩の「加茂一揆」などの大騒動が各地で発生しました。

 各地で不穏な動きが出て、砲術を中心とする軍事訓練が開始されました。

 大潮は、蔵書を処分するなどして私財をなげうって、救済活動を行います。しかし、もはや武装蜂起によって奉行らを討ち、豪商を焼き討ちして灸をすえる以外に根本的解決は望めないと考えました。

 天保8年に門人、民衆と共に蜂起します。大塩平八郎の乱です。腐敗した役人にも目をつぶることができなかったのでしょう。

 しかし、同心の門人数人の密告によって事前に大坂町奉行所の知るところとなり、蜂起は不発に終わりました。

 その後、一旦は、逃げ延びましたが、告発により、再び窮地に追いやられ短刀と火薬を用いて自決することになりました。享年45でした。



 【 注 】
「今日は何の日」「今日の人」は、Wikipedia、富山いづみ氏のサイト、他を参照し、独自に記載したものです。従いまして、当サイト及びブログ等々に関しては、無断複製転載及び模倣を固くお断り申し上げます。
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