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経営者・管理職とコンサルタント

35年の実績と誠意

今日は何の日 話材からヒントと気づきを

1970年来の実績で、皆様と共に歩んでゆきます。

 当サイトと連動し、平日毎日複数本のブログ発信をし、経営コンサルタント歴40余年の独断と偏見から何かを感じ取っていただけると幸いです。
 経営者・管理職向けの記事、それを裏返すと経営コンサルタントなど士業の先生方にも参考となります。 
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■【今日の写真】 花の女王「ラン」 国際ラン展より

 ランは、英語でOrchidといいます。ランの美しさの一つに左右対称である形状が挙げられます。ランも無視を解して受粉するのですが、この左右対称形が受粉高効率良く行う一助となっています。生き残るための植物の知恵なのでしょうか。

今日は何の日      2月8日
■ 針供養

 昔は、どの家庭でも裁縫箱が置かれていて、夜なべ仕事の一つが裁縫でした。

 お世話になった折れた針を豆腐やこんにゃくに刺して供養し、裁縫の上達を願う行事です。

【Wikipedia】 針供養
 

針供養(はりくよう)は、折れた縫い針を供養し、近くの神社に収める行事。主に淡島神社(粟島神社)または淡島神を祀る堂(淡島堂・粟島堂)がある寺院で行われる。2月8日、または12月8日に行われる。関東地方や東北地方の一部では両方という地域もあるが、ほとんどはどちらか一方の日に行われる。

■ 御事始め

 昔、東国では、陰暦2月8日に、その年の農事の始めの行事として、豊穣を祈念しました。

 江戸時代には、陰暦12月8日にすす払いなどをして、正月の準備を始めたこともさしますが、これを「御事納め」ともいいます。

 2月8日と12月8日の行事の総称として「事八日」ともいいます。

 

デジタル大辞泉

正月を中心にして12月8日を御事始め、2月8日を御事納めとよぶところと、1年の農事を中心にして2月8日を御事始め、12月8日を御事納めとよぶところがある。

【経営コンサルタントの独り言】

◆ 針供養

 2月8日は「針供養(はりくよう)」でした。

 お世話になった折れた針を、豆腐やこんにゃくに刺して、感謝の気持ちを持って、供養するという伝統行事です。

 普段は厳しい仕事をさせられている「針」ですが、折れて、役目を終わるときにぽいと捨てられるのではなく、豆腐のような柔らかいものに刺してもらって、安らかにお眠りくださいという意を込める日本人の優しさを伝える伝統行事に改めて感動しました。


 私の中学時代の技術家庭科の先生は、学校一の怖い先生として知られていました。

 その先生は、柄にもなく「お道具」という言葉を使って、授業をしてくれました。

 例えば木工の時間には、木を切るのこぎりは、目立て師さんが精魂こめて作ってくれた道具であることを強調していました。

 その「お道具」は、愛情込めて手入れをすれば、いつまでも綺麗な切れ味を保ってくれる。

「お道具」がなければ、何をするにも、大変な苦労をしなければならないし、時には目的を達成することができない。


 昨今の私であれば、パソコンなしには仕事もできないだけではなく、生活もできないかもしれません。

 パソコンが次第に廃れてゆく中、私にとって、やはりパソコンは大事な「お道具」なのです。

 針供養の日に、「お道具」を大切にしようと、中学生時代の怖い先生を思い出し、心をあらたにしました。

  http://blog.goo.ne.jp/keieishi17/e/02601cce1024f355b65ffd9244b49d6c

■ その他
◇ 定義如来開山記念日

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■ 隆光 江戸時代中期の新義真言宗の僧

 りゅうこう
 慶安2年2月8日(1649年3月20日)−享保9年6月7日(1724年7月26日)

 江戸時代中期の新義真言宗の僧で、大和国の旧家河辺氏からの出身。初名は、河辺隆長、字(あざな)は栄春です。

 1658年(万治元年)仏門に入り、長谷寺・唐招提寺で修学した後、奈良・醍醐で密教を修め、儒学・老荘をも学びました。

 1686年(貞享3年)5代将軍徳川綱吉の命により、将軍家の祈祷寺である筑波山知足院の住職となり、その後、急速に綱吉の帰依を得ることになりました。10月3日に、江戸城黒書院で安鎮法を修しています。

 1688年(元禄元年)には、知足院を神田橋外に移して護持院と改称してその開山となりました。

 1695年(元禄8年)には新義真言宗の僧では初めて大僧正となり、宝永4年2月25日に隠居し、駿河台成満院へ転住しました。

 しかし、綱吉の死去と共に失脚し、宝永6年(1709年)には江戸城への登城を禁じられるまでに至りました。

 筑波山知足院への復帰願いも認められず、失意の内に大和に帰郷し没したといわれています。墓所は大阪府羽曳野市と奈良市の佐紀幼稚園裏の2カ所にあります。

■ ピョートル大帝(1世) 帝政ロシアの代表的な皇帝

 Pyotr I Alekseevich(ラテン語表記)
 1672年6月9日(ユリウス暦5月30日)−1725年2月8日(ユリウス暦1月28日)

 モスクワ・ロシアのツァーリ(在位:1682年 - 1725年)、初代ロシア皇帝(在位:1721年 - 1725年)。

 ツァーリ(皇帝位)を父に持ち、大北方戦争での勝利により、ピョートル大帝と称されるようになりました。

 ロシアをヨーロッパ列強の一員に押し上げ、スウェーデンからバルト海海域世界の覇権を奪取してバルト海交易ルートを確保しました。黒海海域をロシアの影響下に置くことを目標とした「南下策」をとりました。

 これらを達成するために治世の半ばを大北方戦争に費やし、戦争遂行を容易にするため行政改革、海軍創設を断行しました。その実現のために、貴族に国家奉仕の義務を負わせ、正教会を国家の管理下に据えるという、帝国における全勢力を皇帝の下に一元化しました。

 また歴代ツァーリが進めてきた西欧化改革を強力に推進し、外国人を多く起用して国家体制の効率化に努めたことも知られています。

 1721年に大北方戦争の勝利を記念し、元老院にインペラートルの称号を贈らせ、国家名称をロシア帝国に昇格させたのです。ロシアを東方の辺境国家から脱皮させたその功績は大きく国内で評価され、「ロシア史はすべてピョートルの改革に帰着し、そしてここから流れ出す」とも評されるほどです。

 ピョートル1世は身長203センチメートルの大男であり、普通の人間と並ぶといつも首だけ高く出っ張っていたそうです。復活祭等の挨拶をする際には、背中が痛くなるほど身体を屈曲させて周囲にあわせたという逸話が残っています。

 【 注 】
「今日は何の日」「今日の人」は、Wikipedia、富山いづみ氏のサイト、他を参照し、独自に記載したものです。従いまして、当サイト及びブログ等々に関しては、無断複製転載及び模倣を固くお断り申し上げます。
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