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 経営者・管理職 & 経営コンサルタント情報

■ これを知っているとあなたを診る目が違う ■


日本の名言、世界の名言

世の中には、金言、格言、ことわざなどが
われわれの生活や企業経営などに様々の示唆を与えてくれます。
私の独断と偏見で選んだ言葉を順不同で綴ってみました。 
 
  高山樗牛  己の立てるところを深く掘れ
  柳井 正  Change or Die
  山本常朝  大難大変に遭うても動転せぬ
  夏目漱石  智に働けば角が立つ
  清少納言 情けあるこそ
  四字熟語 経営四字熟語
   【 注 】 敬称を略させていただきます。  
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   己の立てるところを深く掘れ  
 
「己の立てるところを深く掘れ、そこには必ず泉あらん(高山樗牛)」

 明治時代の文芸評論家というのか思想家の一人である高山樗牛の言葉です。
「己の立てるところ」というのは自分自身の足下のことです。企業であれば、その会社のコアコンピタンス、すなわち自社にとってははずすことのできない商品・サービスであったり、社是や家訓といったりするものも含まれるでしょう。経営士・コンサルタントで言えば、自分の専門分野と言うことでしょうか。
 あまりあれこれと迷わず、困ったときには原点に戻れという意味でもあるかもしれません。コアコンピタンスであったり、自分の専門分野であったり、その基本のところからはじめて、そこを極める努力をしてはどうでしょうか。
 あまり背伸びをせず、自分自身でできることに専心しているうちに、いつしか道が拓け、成果に結びついていくでしょう。
 樗牛は、日本初の総合雑誌といわれる「太陽」を主宰しました。国粋主義的な面があるかと思うと著書『わがそでの記』ではロマン主義的な美文を書き、美学をめぐっては森鴎外と論争をしたりしています。

【Wikipedia】
高山 樗牛(たかやま ちょぎゅう、 1871年2月28日(明治4年1月10日) - 1902年(明治35年)12月24日)は明治時代の日本の文芸評論家、思想家。東京大学講師。文学博士。明治30年代の言論を先導した。本名は林次郎。
 
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   Change or Die  
 
ユニクロ柳井氏の名言「Change or Die

 ユニクロを知らない人は、珍しいと言われるほど、誰もが知っている企業です。その親会社のファーストリテイリングの会長兼社長である柳井正氏の名言に「Change or Die」ということばがあります。直訳すれば「変革かそれとも死か」ということになりますが、「変革」をしなければ他方の「死」しかないということをおっしゃっているとおもいます。すなわち「チャレンジしない限り将来はない」ということです。
 人間は、変化を好まない性癖があります。現状に満足し甘んじて、ぬるま湯に浸かり続けてしまい、結果としてダメになってしまうのです。老舗と言われる企業に時々見られます。例えば、乳製品業界の雪印乳業があります。二度の不祥事のために、グループ全体の連結売上高が1兆円を超える巨大食品グループであったのが、雪印メグミルクへ吸収合併されてしまいました。
 もともとは、山口県のメンズショップでした。それを今日のように、GAPに代表されるような世界的な衣料品企業を目指せる企業に成長させたのが柳井氏と言えます。企業理念の「服を変え、常識を変え、世界を変えていく」をもとに多角化経営で展開してきました。彼の経営者としてのすばらしさを肌で感じる機会はこれまでにありませんが、「Change or Die」は、私の心をとらえました。
 話は脱線しますが、私のよく知っている経営士が、ユニクロを題材とした論文で通産大臣賞に入賞した先生がいます。経営者だけではなく、経営士・コンサルタントとしても学ぶべきところが多いと言うことでしょう。
 
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   大難大変に逢っても動転せぬ  
 
大難大変に逢うても動転せぬといふは、まだしきなり。大変に逢うては歓喜踊躍して勇み進むべきなり

 山本常朝(1659〜1719)は、江戸中期の学者で、この名言は、彼の著「葉隠」の一節です。
 「葉隠」は、彼の属する佐賀藩において武士の生き方やそれに関係する人達の逸話をもとに書かれた本です。
 「大きな困難や大変な問題に直面して、平静を保っていられるとだけでは、まだまだ未熟者である。そのような状況を遭遇したら、むしろ喜び勇んで立ち向かっていこう」という意味です。
 困難や問題に直面すると、どうしても動揺したり、怖じ気づいたりしてしまいがちです。それなのに、泰然自若としていることは難しいですし、喜び勇んでそれに取り組むことなど、凡人にはできないことです。
 「若いうちの苦労は買って出よ」と子供の頃、母から教えられましたが、それを実行してきたかというと、自信はありません。しかし、経営コンサルタントという仕事をし始めてからは「胆力」の重要性を感じています。
 経営士・コンサルタントが取り組むべき課題の中には、未経験な問題・課題が山積していることもあります。解決の自信を失うようなことも多々あります。しかし、そこで逃げてしまっては経営士・コンサルタントとしてはやってゆけません。そのようなときに、胆力の必要性を感じます。
 
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   智に働けば角が立つ  
 
智に働けば角が立つ。情に棹させば流される。意地を通せば窮屈だ。兎角に人の世は住みにくい。

 どこかで聞いたことがある言葉ですが、「はて誰の言葉だったっけ?」と首をひねる人が多いのではないでしょうか。夏目漱石の・・・・・というと、「ああ、枕草子の一節」ではなく「草枕の一節だ」と思い出されるのではないでしょうか。
 知識をひけらかすといやみったらしくて、人から敬遠されがちです。上から目線でモノを言う人が多いですね。そういう私も人様から見るとその一人なのかも知れないと思いつつも「お節介焼き」が疼き、ついつい偉そうなことを言ってしまいます。
 「情に棹させば流される」人情に流されると酷い目に遭うことがあります。これも私への忠告かも知れません。ついつい、情にほだされて安請け合いしてしまいます。同情は、相手も迷惑に思っているかも知れないのに、くどくどと同情の言葉を連ねてしまいがちです。
 「意地を通せば窮屈だ」意地っ張りは、端から見ていても気持ちの良いモノではないですね。意地を通すと、他の人とぶつかることが多いですね。一方で、意地っ張りな人の多くは意志が強い人でもあるように思えます。意志が強いということは、我慢強いと言うことにも繋がるかも知れません。「石の上にも三年」と子供の頃、母からよく言われました。
 「兎角に人の世は住みにくい」人間というのは、皆それぞれ価値観も違えば、考え方も異なります。そのような人達が一緒に生活すれば当然摩擦も起こります。しかし、世の中には他人のことを思んばかったり、相手の立場を考えなかったりした振る舞いをする人が多いような気がします。
 東京駅を毎日のように利用しますが、中央のコンコースだけではなく、どこも人が溢れています。私の前方右の方からキャリーカートを引っ張りながら30代とも割れる男性がやって来ました。私の直前で右カーブを切ったモノですから、カートに私の足が引っかかってしまいました。柔道の受け身よろしく、ごろりと一回転。一回転したから骨折もせずに済みました。
 平素から、キャリーカートを引っ張る人がいるときには気をつけているのですが、その時は、私の右にいた人が財布からお金を落としたこともあり、前方からの男性に注意しなければいけないにもかかわらず、転がるお金を足で止めようとしたことが災いをしてしまったのです。
 急に進行方向を変えれば他の人に迷惑がかかるという意識が薄いのでしょうか。平素人の目の前を平気で横切る人がいますが、世の中は自分一人ではないのだから、思いやりが必要であることをもっと子供の頃から教えるべきではないでしょうか。
 兎角、近年は住みづらい世の中になってしまいました。

 

 
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   情けあるこそ  
 
“よろづのことよりも、情けあるこそ、男はさらなり、女もめでたくおぼゆれ”

 夏目漱石の草枕の一節「智に働けば角が立つ」をご紹介しましたが、この言葉は清少納言の枕草子の一節です。
 「何ごとにおいても、情けのあることが肝要です」というのが前半の意味です。「情けがありがたいことで、男性からの思いやりは格別に嬉しいし、それがたとえ同性の女性であっても嬉しいことです」という意味でしょうか。
 上述の草枕の一節も人の思いやりについて書かれていますが、草枕でも清少納言は、人から受けた思いがけない思いやり、好意は人を喜ばせると言って、その必要性を説いています。ちょっとした思いやり、優しさが、どれだけ人を和ませるでしょうか。
 狭い歩道を歩いていて、前方から人が来たので、脇にちょっと寄って相手が通りやすくしてやるようにしばしばします。昔なら「ありがとう」などと言ったり、笑顔を返してくれたりするのが当たり前でした。
 最近は、それで当然という顔で通り過ぎます。お節介焼きの私は、「礼ぐらい言いなさい」とお説教を垂れたくなりますが、最近は逆ギレされて、命すら危うくなりかねません。
 シルバーシートと携帯電話を除いている人をしばしば見かけます。頭の真っ白な人が目の前に立っていようが、ペースメーカーをつけていようが、我関せず。ある日、腰の曲がった老婆がいるのに、足を組んで尻を浅く座った若者に注意をしました。私を無視して形態でゲームかメールを続けていたので再度注意したら汚い言葉を返してよこしました。その老婆が、私の袖を引いて「やめてください」と小声で言いました。その反対側に座っていた私と同世代と思える、はやり白髪の交じった男性が席を譲ってくれました。
 それで私も済ませるつもりでいたら、電車のドアが閉まりかけたときにあわててその若者が立ってホームへ奪取をかけました。私を突き飛ばすつもりではなかったのでしょうが、私に体当たりをするように、脱兎のごとく出て行きました。当然、私はよろけましたが、幸い傍らにいた男性に助けられて倒れる大事には至りませんでした。

兎角に人の世は住みにくい
 
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