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 経営者・管理職 & 経営コンサルタント情報

■ これを知っているとあなたを診る目が違う ■


四字熟語経営

 
 
【 注 】 標準漢字コード表に含まれない文字が一部含まれていてます。
     正しく表示されない場合がありましたらご容赦ください。 
 .
 
     .
  四字熟語は、経営に大きな示唆を与えてくれます。
経営コンサルタントの視点で、思いつくまま、感じるまま
皆様のご参考になればと時間を作っては追記して参ります。

 
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   一視同仁 (いっしどうじん)  
 
仁義と日本経営士協会の基準 

 一視同仁(いっしどうじん)は、韓愈の「原人」の中に出てきます。「すべての人を差別せず、平等に見て愛し慈しむこと」とあります。

」は「慈しみ」「思いやり」「哀れみ」のことです。

【広辞苑】 
 いつくしみ。思いやり。特に、孔子が提唱した道徳観念。礼にもとづく自己抑制と他者への思いやり。忠と恕の両面をもつ。以来、儒家の道徳思想の中心に据えられ、宋学では仁を天道の発現とみなし、一切の諸徳を「統(す)べる主徳」とした。封建時代には、上下の秩序を支える人間の自然的本性とされたが、近代、特に中国では、万人の平等を実現する相互的な倫理とみなされるようになった。

 「仁義」という言葉があります。時代劇で、渡世人が、世話になる人に対して「仁義を切る」というシーンがあります。親分・子分の間の道徳観とでも言うのでしょうか。

 この仁義というのは「いつくしみの心と道理にかなった方法。仁と義。【広辞苑】」というのがもともとの意味で、我々が平素感じているニュアンスとちょっと異なるような気がします。

 すなわち「仁義」というのは、人が踏み外してはいけないこと、世間の義理や人情を大切にすることを説いているのです。社会人として、人間関係をスムーズにする「基準」となるのが「仁義」かも知れません。

 何ごとも「基準」というのは重要です。内閣府認証特定非営利活動法人・日本経営士協会の理事には、平素「公平性の原則」を判断基準の一つとしています。

 何かを行う決定を下す前に、「これは公平性の原則に反しているか」という観点で判断します。

 例えば、日本経営士協会には「経営支援センター」というのが支部の下部組織として全国各地にあります。会員が、地域密着型のサービス提供等を通じて、会員のビジネスチャンス拡大に繋げようと言うことがその主旨です。

 では、「経営支援センター長会議を開催するときに、その交通費や運営経費は本部が負担すべきかどうか」という問題が発生したらどうするか、という時に「公平性の原則」が判断基準となります。

 最後に「韓愈」と「原人」について見てみましょう。

【Wikipedia】
 韓愈(かんゆ、768年〜824年)は、中国・中唐を代表する文人・士大夫である。字は退之(たいし)、ケ州南陽(今の河南省孟州市)の人であるが、昌黎(河北省)の出身であると自称した。唐宋八大家の一人。おくりなによって「韓文公」ともよばれる。
 六朝以来の文章の主流であった四六駢儷文が修辞主義に傾斜する傾向を批判し、秦漢以前の文を範とした達意の文体を提唱した。
 古文復興運動は、彼の思想の基盤である儒教の復興と表裏をなすものであり、その観点から著された文章として、「原人」「原道」「原性」などが残されている。(一部変更)


 
 
 
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   羽化登仙 (うかとうせん)  
 
羽化登仙とマズロー

 「羽化」は「羽が生える」、「仙」は「仙人」ですから「羽化登仙」は、直訳的には「羽が生えて、仙人となり、天に登る」ということです。

 酒に酔うと良い心地になります。それはあたかも天に登る様な良い気持ちです。仙人しか登れない天の心地と言ってもよい状態です。

 「仙人」というのは、広辞苑によると下記のような説明があります。

1)道家の理想的人物。人間界を離れて山中に住み、穀食を避けて、不老・不死の法を修め、神変自在の法術を有するという人。

2)〔仏〕世俗を離れて山や森林などに住み、神変自在の術を有する修行者。多く外道を指すが、仏を仙人のなかの最高の者の意で大仙、あるいは金仙(こんせん)ということもある。

3)浮世離れした人のたとえ


 このことから、「羽化登仙」は、「俗世間の煩わしいことを一切忘れて、仙人のように自由で気ままな心地よい境地」になるたとえと言えます。

 仏教では108の煩悩を人は持つと言われています。

 煩悩から脱却することは難しいからこそ、仏教が存在するのでしょうが、我々は色々な欲望の渦巻く中で生活しています。

 欲望という言葉で連想することは多種多様でしょうが、私はマズローの欲求五段階説を先ず思い浮かべました。当ブログのマーケティング講座の中でも紹介しました。

 人間は、「生理的欲求」が満たされるようになると、自分の身を守るという「安全の欲求」を意識します。

 欲求五段階説のレベルの低い間については、ロビンソン・クルーソー(イギリスの小説家ダニエル・デフォーの書いた小説)を思い浮かべながら、マズローの欲求五段階説を考えます。安全の欲求を満たすために、クルーソーは家を作ります。

 家ができ、安全の欲求が満たされると一人の寂しさを覚えるでしょう。名前を忘れましたが奴隷や犬と共に生活をします。第三レベル「帰属と愛情の欲求」です。

 奴隷や犬との主従関係は、「尊敬の欲求」までを充分満たし得るとは思えませんが、人間社会では人から馬鹿にされることは誰しも嫌います。

 少しでも良い大学を出て、良い会社に入るというのがかつての大学生やその親の考え方でした。東日本大震災以降それが少し変化をして来ているようですが、人から尊敬されたいという気持ちは誰しも持っていると思います。名誉欲はその典型かも知れません。

 尊敬の欲求を持たすために、人は自分の夢の実現を願います。「自己実現の欲求」です。「経営コンサルタントになって、困っている社長さんの手助けをしたい」というのもこの段階の欲求です。

 この欲求があればこそ、人はがんばれるのです。

 裏を返すと、「自己実現の欲求」を失うと人間の成長は止まってしまうのかも知れません。「自己実現」で重要なことは、「夢を持つ」その夢実現のために「計画性」ということを忘れてはなりませんね。

 俗に「P・D・C・Aサイクル」というデミングサイクルと言いますが、それを回し続けることが重要です。

【 注 】
 私共のブログのマーケティング講座の中で、P・D・C・Aサイクルについては私なりの考えがあることをお伝えしています。

【Wikipedia】

 経済学的な視点からも注目を集めてきた。カール・マルクスは『資本論』の中でロビンソンを引き合いに出して論じており、シルビオ・ゲゼルは主要著書『自然的経済秩序』の中で独自のロビンソン・クルーソー物語を紡ぎ出している。
 また、マックス・ウェーバーは『プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神』の中でロビンソン物語を取上げ、主人公の中に合理主義的なプロテスタントの倫理観を読み取っている。
 同時代の文人ジョナサン・スウィフトが代表作『ガリヴァー旅行記』を執筆したのも、本作の影響が大きいと言われている。

企業の
健康診断
 
 
 企業の健康診断には、いろいろな手法があります。企業診断とか経営診断と言われることが多いです。
  経営コンサルタントによって独自の手法を持っているのが一般的です。
 よく知られている手法としてクリティカル・シンキングがあります。
 代表的な手法の一つとしてビジネスドックという手法があります。
 
ビジネスドック  
無料簡易診断  
 
 
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   瓜田李下 (かでんりか)  
 
ネオンのホテル街を相合い傘で 

 「瓜田(かでん)」の「瓜」は、畑になる瓜(うり)のことで、瓜畑で靴をはき直したり、靴紐を締め直したりすると、あたかも瓜盗みをしているように見えるから止めた方が良いですよという戒めです。このことから「瓜田之靴(かでんのくつ)」という四字熟語もあります。

 「李下(りか)」の「李」は、スモモのことです。すなわち、スモモの木の下で冠を直すことは、スモモを盗んでいるようにも見えてしまい兼ねないから止めた方が良いと教えてくれています。このことから「李下之冠(りかのかんむり)」という四字熟語があります。

 このことから「瓜田李下(かでんりか)」は、「人に疑われるような、紛らわしい行為はしないほうがよい」という戒めです。「瓜田に履(くつ)を納(い)れず、李下に冠を正さず」とも言います。

 経営者・管理職も経営士・コンサルタントも、部下やクライアント・顧問先から信頼されないと業務をスムーズに行うことが難しい立場です。

 小学校時代の担任が入院をしたので、親しくしていたクラスメート数人で最寄り駅に集合することになりました。ところが、ドタキャンで私と女性一人の二人だけで見舞いに行く羽目になりました。

 彼女が以前にその病院に行ったことがあるというので、彼女の案内で歩き始めました。人通りが少ない道となったところで雨が降り出してきました。ところが私は傘を持って折らず、少々降りが強いこともあり、彼女が見かねて傘に入るように勧めてくれました。

 今日であればコンビニもあり、ちょっと戻って買いに行けますが、傘を売っていそうな場所でもなく、躊躇をし、私は雨宿りをするから先に行くように促しました。女性は強いというか、度胸が据わっているというか、強引に私の手を引いて傘の下に引っ張り込みました。

 ところが彼女が道を間違えて、歓楽街に隣接するホテルのある地域に迷い込んでしまっていたのです。彼女は顔色一つ変えず、「確かこっちだと思ったのだけど」とひとりごとを言いながら歩くのです。第三者が見ればどう見てもホテルを物色しているようにしか見えなかったのではないでしょうか。

 ドキドキするほど、純情であった頃の話です。
 
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   鼓腹撃壌 (こくふげきじょう)  
 
ある女性社長に学ぶ 

 十八史略に「鼓腹撃壌」という言葉が出てきます。「鼓腹」と「腹」は「お腹(なか)」のことで「鼓」は「鼓(つづみ)を打つ」ことです。「撃壌」の「壌」は訓読みで「壌(つち)」すなわち「土壌」のことで「撃壌」とは「土を撃(う)つ」ということです。

 古代中国の堯帝(ぎょうてい)の時代のことです。太平の世を喜び、一人の老人が腹鼓を打ったり、地面をたたいたりしてリズムを取っていました。このことから「善政がなされ、国が治まり、国民が太平の世の中を楽しむ」という故事より出てきた言葉です。

 堯帝というのは、中国古代の伝説上の聖王のことで、舜帝と並んで中国の代表的な理想的帝王と言われています。「堯風舜雨」という同意の言葉があるほどです。すなわち「尭帝や舜帝のような聖天子の恵みが天下に行き渡っているのを風雨にたとえていう語。転じて、天下太平の世の意。(Goo辞書)」という意味です。「撃壌之歌」という表現もあります。また「撃壌」は「撃攘」と表記されることもあります。

 私の知り合いの会社は、以前、当ブログでも紹介をしたことがありますが、社長を始め社員が全員女性です。社長は、「社員を大切にする」ということを口癖のように話す方で、口先だけではなく、平素の経営管理の中でもコミュニケーションを大切にし、社員を大切にしています。

 社長のワンマン、一方通行のコミュニケーションではなく、双方向コミュニケーションが行われ、社員のモラールも高く、社長を尊敬しています。

 横浜市を始め、諸団体からも表彰をされたり、雑誌に掲載されたりと大もてです。マスコミにもてはやされると、得てして天狗になるのですが、腰の低い方で、周辺にいる人は、彼女の人柄に惹かれます。

 心配なのは、多忙すぎて、夜中でも仕事をしてしまうことです。

 しかし、彼女を見ていると「鼓腹撃壌」という言葉がぴったりという気がします。

 鼓腹撃壌という言葉は、私が内閣府認証特定非営利活動法人・日本経営士協会理事長を引き受けたときに、どのように運営をしていくかを考える上で、私が中止した言葉の一つです。
 
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   君子三楽 (くんしさんらく)  
 
経営コンサルタント業界の更なる発展を願う

 「君子三楽」は孟子の言葉です。「君子」は、教養もあり、徳を持つ人格者のことです。「三楽」は、3つの楽しみですから、「君子の三つの楽しみ」と解すことができます。

 孟子の言う3つの楽しみとはなんでしょうか?

 「父母倶(とも)に存し、兄弟故(こ)無きは一の楽しみなり」が最初に出てきます。両親が健康で過ごしていて、兄弟が元気に暮らしていることです。「故」は「故人」とか「物故(死亡)」というように使われ、「故」は、色々な意味がありますが、ここでは広辞苑の下記2)に相当します。

1)[易経(雑卦)「革は故(ふる)きを去る也」]古いものごと。
2)死ぬこと。また、すでに死んだ人をよぶ場合に冠する語。源氏物語(桐壺)「―大納言今はとなるまで」

 第二の楽しみは、「仰いで天に愧(は)じず、俯(ふ)して人に乍(は)じざるは二の楽しみなり」です。その行いが、地上を見下ろし、何もかも知っている「天」に対しても恥じることもなく、下から見上げる「地」から見ても、やましいことをしていない。したがって、堂々と人生を生きていけるので、これほどの楽しみはないと云うことを言っています。

 第三は、「天下の英才を得て之(これ)を教育するは三の楽しみなり」で、特別な説明を要しないと思います。世の中の英才を相手にして、彼らを育てることを孟子は第三の楽しみとしています。

 「外に七人の敵」と言われるように、独立起業した経営コンサルタントというのは、外に出たら、家庭のことを心配しなくても仕事に没頭できる状態でないと成功は難しいでしょう。一人で仕事をしている場合には、奥さんの心からの応援だけではなく、実際に電話番などの裏方の仕事支援がないと仕事を続けていけないでしょう。

 外に出たら、クライアント・顧問先からの篤い信頼がないと仕事ができません。それには「仰いで天に愧じず、俯して人に乍じざるは二の楽しみなり」という言葉は心に留め、人の道をはずれる行為を慎み、自分自身にも恥じない言動を取るべきです。これは「言うは易く行うは難し」ですが、その積み重ねの中に、意志強固さを育むことができると信じています。

 私が(特)日本経営士協会の理事長になるきっかけの一つが、孟子の君子三楽の三番目です。「日本の経営コンサルタント業界の更なる発展の一助になれば」という気持ちで「天下の英才を得て之を教育するは三の楽しみなり」という言葉を噛みしめています。それ以前から、経営コンサルタントの育成について努力をしてきましたが、これが私のライフワークとなる契機でもありました。

 日本の経営コンサルタント業界の始まりは、昭和28年に、当時の通産省や産業界の勧奨で成立した日本経営士協会の設立であることは何度もこのブログで記述してきました。今後ともこの協会だけではなく、日本の経営コンサルタント業界の地位向上に、生涯現役のつもりで、微力ながらこの身を捧げて参る所存です。

 どうぞ皆様の力をお貸し下さい。
 
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   槐門棘路 (かいもんきょくろ)  
 
人の上に立つ重み

 「」は「えんじゅ」といい、古名は「えにす」です。広辞苑には下記のように説明があります。

【広辞苑】

 (ヱニスの転)マメ科の落葉高木。中国原産。幹の高さ約1015メートル。樹皮は淡黒褐色で割れ目がある。夏に黄白色の蝶形花をつけ、のち連珠状の莢(さや)を生ずる。街路樹に植え、材は建築・器具用。花の黄色色素はルチンで高血圧の薬。また乾燥して止血薬とし、果実は痔薬。黄藤。槐樹。「槐の花」の季語は夏。

 「槐門」は大臣の別称のことです。

 「」は、「刺(とげ)」と同じ意味で「いばら」を指します。これを「おどろ」とも読みます。

【広辞苑】

 草木の乱れ茂ること。また、その場所。髪などの乱れたさま。

 「棘路」は音読みでは「きょくろ」で、「おどろ‐の‐みち【棘路】」と読みます。

【広辞苑】

1)草木の乱れ茂っている道。

2)公卿(くぎょう)の異称。「九棘」よりでた語

 「槐門棘路(かいもんきょくろ)」とは、大臣などを指す「三公」と「
九卿(きゅうけい)」への道は、茨の道のごとく厳しいことから、「三公と九卿」という位や位の高い人を指します。このことから「国政などを預かる最高幹部のこと」です。

 「槐棘
(かいきょく)」と略して言うこともあります。歴史的に見ると、周代、朝廷に三槐を植えて三公の座位を示し、九棘を植えて九卿の座位を示したと言います。そのことから「三公九卿の位。公卿」を指すようになりました。

 2003年に、(特)日本経営士協会の停滞時期のボトムを迎えたのですが、当時の役員達は何ら手を打とうとせず、それに満足できない会員に担ぎ出されて理事長に就任しました。

 その時に、「槐門棘路」という言葉は思い出しました。私はおばあちゃん子でしたから、祖母から色々と学びました。「実ほど、頭を垂れる稲穂かな」を教えられました。その時に「槐門棘路」という言葉を併せて覚えるように言われたのです。その時には詳しい意味はわかりませんでしたが、祖母は中学二年の時に急逝してしまいました。

 理事長という大役は、自分自身を見直す良い機会となりました。

 
 

写真: 広辞苑 「えんじゅ」の木
 
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   冥冥之志 (めいめいのこころざし)  
 
今後注目のお薦めの資格

 冥冥は、「めいめい」とも「みょうみょう」とも読みます。広辞苑によると「暗いさま。事情のはっきりしないさま。またはっきりせず、わかりにくいさま。自然に心に感ずるさま」とあります。
 
 冥冥之志は、荀子に記述され「自分だけで、人にはあまり知れることなく、熱心に努力しようとする心」のことです。

 定年を迎えんとする、あるいは将来の定年後の備えとして、資格取得を考えている人が多いと思います。試験を受けて、失敗したことが他の人に知れたら恥ずかしい、という思いから、冥冥之志を立てている人も多いでしょう。

 人それぞれ考え方が異なるので、それにより取りたい資格も異なるでしょう。ある人は、趣味の分野で、コツコツと資格取得に努力をしているかも知れません。

 海外旅行を堪能するために、語学に挑戦している人は多いようです。これからは中国の時代である、と考えて、中国語に挑戦している人もいるでしょう。「あれ!意外と英語と語順が似ているな」などと発見があり、英語力が生きてくるかも知れません。

 定年と言うことを考えず、できれば早くサラリーマン生活に終止符をうちたいので、行政書士や社会保険労務士の資格取得をしようという人も結構見受けられます。法律書との向き合いとなるので、記憶力が余り減退しないうちの挑戦が良いでしょう。

 最近はFP、ファイナンシャル・プランナーの人気が高いようです。資産活用のためのアドバイザーで資格付与団体が複数あるので、自分に適した団体の資格を取る選択から始めなければなりません。

 私の高校の同級生は、私を含めて3人が経営コンサルタント業に携わっています。サラリーマン時代の経験を活かして、生涯現役、ということと、やりがいのある仕事という面では、手前味噌ですが、お薦めです。

 ところが近年、中小企業診断士の試験が難しくなっています。意図的に難しくしている面もありますが、経営コンサルタントという職業柄、高度な専門知識が求められる仕事ですので、資格取得が難しくて当たり前という考え方もできます。

 しかし、専門分野ではずば抜けていても、試験はオールラウンドな広く、深い知識を求められるので、なかなか合格できません。ある人は、周囲からも認められるほど素晴らしい能力を持っています。ところが中小企業診断士の試験になかなか合格せず、思うようには経営コンサルタントとしてスタートできません。

 別の人ですが、経営コンサルタント歴20余年で、その分野では名も通っている人です。ところが、「私が中小企業診断士の試験を受けたら、一次試験でも合格しないだろう」とおっしゃっています。

 なぜ、その様な人が中小企業診断協会の試験に合格しないかは、上述の通りですが、自分の専門分野からは遠く、その様な科目までかなり深い知識を求められるので勉強を相当しなければなりません。

 私は、能力ある人が、資格を取れないがために埋もれてしまっていることは、社会にとって損失だと考えています。

 「経営コンサルタントへの“秘密”の道」があることをお話すると、それが契機で開花された人が多いのです。秘密の道でも何でもないのですが、「経営士」という資格を知らない人が意外と多いのです。

 経営士は、昭和28年に、当時の通産省や産業界の勧奨でできた、日本で最初の経営コンサルタント資格で、日本公認会計士協会様と設立母体を同じくしている立派な団体が付与する資格なのです。

 日本には、1500人くらいの資格保有者が現役で活躍しています。中小企業診断士が、中小企業振興法に基づく業務のための資格であるのに対して、大企業から中小企業までの民間企業から、公的な各種の組織・団体で、広くコンサルティング業務を行っています。資格保有者が少ないことと、それぞれが専門性の高いコンサルタントの集まりであることから、士業の異業種交流会的にユニークな活動展開をしています。

 ご自身の専門分野をお持ちの方には、多いにお薦めの資格です。専門性の高い人は比較的容易に資格取得ができますし、自分の専門分野が確立していない人は、入会して、各種の研修を受講したり、プロと接しているうちに、自分自身の生きる道を見つけることができるでしょう。

 

 
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   六韜三略 (りくとうさんりゃく)  
 
伝家の宝刀

 「六韜(りくとう)」は、周の太公望呂尚(りょしょう)の作、「三略」は前漢の黄石公(こうせきこう)の作と言われています。いずれも兵法書ですが、本当の著者であるかどうかは確認されていません。

 兵法を考えるときに六韜や三略を参考にすることから、奥の手や虎の巻を意味するようになりました。

 私は、経営コンサルタントになる前から、「これは!」と思ったものを蓄積してきました。私が若い頃はコピーは高価でしたし、今日一般化しているゼログラフィー方式がようやく技術的に確立してきた頃で、インクジェット方式のような複写機・プリンターはありませんでした。そこで、手書きとなります。

 大分時代が下りパソコンが出現すると、ワープロソフトで蓄積、カード型データベースがでるとそれを使い、最近はパワーポイントとして蓄積するようになりました。大量な場合には画像・PDFとして保存をすることも多々あります。講演や研修の資料を作成するときに参照するので、資料には出典を必ず明記するようにしています。

 すなわち、これが私の六韜三略と言えます。

 もう30年以上も前になりますが、事務所を引っ越ししたときに、その資料を入れた段ボール箱が紛失してしまい、大きな財産を失ってしまいました。ところがそれから数年後に、その箱がひょっこりと出てきたときには、小躍りするほど嬉しかったです。別れ別れになった我が子に再会した気分でした。

 最近、昔の手書きの資料を参照することも少なくなりましたが、電子化しながら、こんなものがあったと、再発見することがあります。ブログを書くときにネタ切れになると、伝家の宝刀を抜くように、それを参照してヒントを得ています。
 
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   博学多才はくがくたさい  
 
コンサルタントの知識修得

 「博学」は、ひろく学問に通じていることで、「博識」とも言います。「多才」は、「いろいろな方面の才能を豊かに備えていること」という意味です。(いずれも広辞苑)

 すなわち博学多才とは、豊富な知識と豊かな才能に恵まれている人を指します。類似的な意味を持つ「博学多識」という四字熟語もあります。その反対の意味としては「浅学非才」という言葉があり、謙遜して自分のことを言うときに使います。

 経営者・管理職が、経営コンサルタントを選ぶときに博学多才な先生を選びたがりがちですが注意が必要です。

 経営コンサルタントというのは、経営者・管理職の疑問や質問に適切に回答するためには博学多才でないとなかなかできません。ところが、今日では経営環境の複雑化や高度化、技術革新の高速化などから、経営コンサルタントに高度な知識やアドバイスが求められます。一人の経営コンサルタントで経営の全分野をカバーすることは難しく、高い専門性を持った複数のコンサルティング・チームでの対応が求められます。

 経営コンサルタントになろうとする人の中には知識があれば経営コンサルタント業をやることができると考えている人がいます。しかし、中途半端な知識だけではコンサルティングはできません。

 経営コンサルタントは、自分自身の専門性と明確にし、高い専門的な知識とそれを経営に活かせる能力が求められます。しかし、専門莫迦であると経営コンサルタントとしては片端(かたわ)と言えます。

 海辺や砂場で、砂の山を高くするためには裾野から大きく、高くしていかないと頂上は高くはなりません。それと同様に経営コンサルタントが、自分の専門性を高めるには、裾野を広くし、周辺分野の知識を高めないと、専門性は高くなりません。

 内閣府認証特定非営利活動法人・日本経営士協会では、「知修塾」というユニークな経営コンサルタントのための研修があります。「知識を修める」ための塾ですが、知識を広めるために、自分の専門外の部分における勉強をし、それを講師として講義をします。「教えることは学ぶことである」という言葉をしばしば聞くように、自分の知識を口に出すことにより、自分の知識として固まってゆきます。

 自分は、他の塾員の話しを聞くことにより、専門外の部分での知識を要領よく吸収することができます。また、自分の専門分野を他の塾員が講義を受け持つときには、アドバイザーの立場で色々とアドバイスをしたり、コメントを出したりします。

 このように単に、知識の修得だけではなく、参加していると自然と表現力が高まり、話法が身につき、講師力までも養成できるというのである。

 知修塾は、公開講座となっているので、誰もが聴講できます。但し、講師を務めることができるのは、(特)日本経営士協会会員(入会金:2万円、年会費24,000円)となって、知修塾塾員登録が必要です。

  知修塾 ←クリック

 
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   実践躬行(じっせんきゅうこう)  
   
高い目標の実現行動

 「実践」は、広辞苑では「実際に履行すること。一般に人間が何かを行動によって実行すること」と解説されさらに哲学的な面では、下記の説明もあります。

 人間が行動を通じて環境を意識的に変化させること。この意味での実践の基本形態は物質的生産活動であり、さらに差別に対する闘争や福祉活動のような社会的実践のほか、精神的価値の実現活動のような個人的実践も含まれる。認識(理論)は実践の必要から生まれ、また認識の真理性はそれを実践に適用して検証される、という立場で実践の意義を明らかにしたのはマルクスとプラグマティズムである。

 「躬行」の「躬」は「自ら」の意で、「みずから実行すること」を指します。すなわち「口で言う通りを、みずから実際に行うこと」です。

 すなわち、「実践躬行」とは「自分の力で、自らが行動すること」という意味となります。

 企業経営における「実践躬行」は、通常より高い目標や理念を掲げて、それに向かって実現するために行動することを強調するときに使うようにしています。

 私は、クライアント・顧問先に対して「当たり前のことが当たり前にできる企業作り」ということを言っています。しかし、「当たり前」とは何でしょうか?

 誰もができることが当たり前なのですが、経営計画は、何の努力をしなくても実現できるような立案では企業は成長しません。少々きつめであっても、努力を重ねれば実現できるような計画を立てるべきです。

 このようにして立てた計画が自分達の実践躬行で達成できること、すなわちそれが自社の「当たり前」であるのです。安易に実現できることに留まっていてはいけません。これを繰り返しながら、「当たり前のレベルを上げる」ことを実践してゆきます。それにより、次の計画はレベルがさらに上がります。

 レベルというのは、前年度に対してのレベルではなく、経営環境や取り組み課題の質などにより変動するものと考えています。ですから計画の立案は「前年度比○%アップ」などと安易な決め方をしてはならないのです。

 自社やその環境の「認識」の上に立って経営計画は立案されなければならないのです。

 たかが経営計画、されど経営計画


 
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   盤根錯節(ばんこんさくせつ)  
   
猿も木から落ちる

 kotobankによると「盤根(ばんこん)」とは、下記のように説明されています。

 雑木、特にもみじやぶな、姫しゃらなど根張りを見所とする樹種において、上根が癒着してひとかたまりになった状態を盤と言い、その根を盤根と呼ぶ。

 「錯節(さくせつ)」の「錯」は「乱れて入りくむ」と言う意味で、「節」は「ふし」のことです。kotobankでは「 入り組んだ木の節」とあります。また「入り組んでいて解決しにくい事件や問題」ともあります。

 すなわち「盤根錯節」とは、根が張り、それが入り組んでいたり、枝が複雑に絡んで節がごつごつしているようなことを指します。このことから、物事が複雑に絡み合っていて、処理するのが難しいことのたとえなのです。

 受験生の頃、数学の難問集に取り組み、解決できたときの快感は、登山で頂上を極めたときのそれに通ずるところがあります。経営コンサルタントも、クライアント・顧問先の問題を解決できたときには「“日本で”経営コンサルタントをやっていてよかった〜」と叫びたくなります。(【 注 】「日本で?・・・」は、少々古いですが、TVコマーシャルを見て、わかる人にはわかる表現です)

 京都の鞍馬山を訪れたことがある人はご存知ですが、地上に根が露出して、ゴツゴツとなり、非常に歩きにくいところがあります。牛若丸がそこで修行をしたと言われています。

 これを見たときに、盤根錯節という言葉を思い出し、上を見上げましたが、木々はすんなりと育って、錯節状態ではありませんでした。

 叡山電鉄鞍馬駅→徒歩10分→由岐神社→徒歩15分→鞍馬寺→徒歩20分→鞍馬寺・魔王殿→徒歩30分→貴船神社→徒歩30分(またはバス)→叡山電鉄貴船口駅(ウェブサイトより)というルートをこの初夏に歩きました。

 まさか、山越え・峠越えとは知らず、革靴で行ったために往生しました。革靴といってもウォーキングシューズですが、右足の親指の爪が内出血して、黒くなり、数ヶ月した今もまだ抜け切れていません。

 私のような無知な人間が山に行って遭難するのでしょう。

 若い頃は、山歩きが好きで、南アルプスを始めあちこちには行った、半山男なのに、この始末は恥ずかしい次第です。

 何ごとも事前に情報収集しないとこのようなことになると自戒しています。
 
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   矛盾撞着(むじゅんどうちゃく)  
   
上司の矛盾撞着

 矛盾という言葉は、私たちが日常使う言葉ですので説明するまでもありません。一方「撞着」という言葉はあまり聞き慣れない言葉です。撞着という言葉は、広辞苑によると「つきあたること。ぶつかること」とあります。

 次項に「前後が一致しないこと。つじつまが合わないこと。矛盾」とあり、この場合は後者の意で、矛盾撞着の前も後ろも「矛盾」という意味になります。すなわち、物事が論理的に整合性がとれていないことを挿します。

 「撞着」は、「自家撞着(じかどうちゃく)に陥る」という使い方をします。「同じ人の言行が前と後とくいちがって、つじつまの合わないこと(広辞苑)」という意味です。

 これとは直接関係ありませんが、「撞」という文字は「しょう」と読みますが、慣用的に「どう」と読みます。訓読みでは「憧れる(あこがれる)」という使い方であることはご存知の通りです。

 かつて、私の上司で、矛盾撞着を地で行くような人がいました。これは少々オーバーで、彼に対して失礼極まりないかも知れませんが、このようなことを平素から平気で言う人でした。

 1997年の暮れのことです。私が提出した書類の中に「20世紀も三年余りとなり・・・」という下りがありました。「君、21世紀はあと二年強で来るのだから、三ではなく二にしなければいけないだろう」と赤ペンを入れられました。

 私が「西暦0年という年はなく、BC1年の次はAD1年ですから、21世紀は2001年1月1日から始まるので、“3”でよいのです」と答えました。

 その上司は、自分の考えと法律とがマッチしないときに「それは法律が間違えている」と言う人です。ですからこの件も頭らか自分が正しいと考えているので、私の上記の説明は音として左の耳から右の耳に抜けるだけだったのでしょう。

 「満で数えるか、数え年で数えるかの違いで、数えなら君の言うことが正しいが、普通は満で数えるだろう」という言葉が返ってきました。私の説明を理解していなかったのです。

 「植木算を知っているだろう。あの考え方だよ、君」

 矛盾撞着、一歩も譲らず、その書類をそのまま外部に出すというので、その部分を書き直して提出することにしました。


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   泰山北斗(たいざんほくと)  
 


専門分野が明確な経営コンサルタント

 泰山(たいざん)は、Wikipediaでは下記のように記述されています。

 泰山は、中華人民共和国山東省泰安市にある山。高さは1,545m(最高峰は玉皇頂と呼ばれる)。

 封禅の儀式が行われる山として名高い。 道教の聖地である五つの山(=五岳)のひとつ。五岳独尊とも言われ、五岳でもっとも尊いとされる。 ユネスコの世界遺産(複合遺産)に登録されている。

 泰山山頂までは現在、一般道が中腹まであり、またそこからはロープーウェイが走っており、容易く登れるようになっている。但し、泰山の標高は1500mに過ぎないが、山麓の地表の高度は0mに近いため麓から歩いて登るときには3時間は掛かるだろう。


 泰山は、北京からそう遠くないところに位置することもあり、行かれた方も多いのではないでしょうか。延々と続く石段の風景はテレビでもおなじみです。

 北斗は、北斗七星のことで、Wikipediaでは、下記のように紹介されています。

 北斗七星(ほくとしちせい Big Dipper)は、おおぐま座の腰から尻尾を構成する7つの明るい恒星で象られる星座のこと。北斗、北斗星、七つの星、七曜の星とも呼ばれる。柄杓の形をしているため、それを意味する「斗」の名が付けられている。日本では四三の星、七剣星とも呼ばれた。δ星メグレズ(3.3等)を除く6星は全て2等星であり、全天で60個しかない2等星の10分の1がここに集中していることになる。このため春の星空で目立ちやすく、世界各地で様々な星座神話が作られている。

 泰山も北斗もいずれも点多角に位置する仰ぎ見る存在です。このことから「泰山北斗とは、ある分野で最も仰ぎ見られ、尊敬される人」のことを言います。

 経営コンサルタントというのは、日本では2万人いると言われています。アメリカなどに比べると数は少ないのですが、需要面で考えると仕事を取ることは結構大変です。経営コンサルタントの半数以上が年収1,000万円に届かないという厳しい業界です。

 かつては、経営コンサルタントは「ゼネラル・コンサルタント」たるべきと言われて来ました。中小企業の経営は、規模は小さくても大企業と何ら変わりなく、起業の全般についてエキスパートでなければ経営コンサルタントは務まらないと考えられていました。その結果、デパート的に、何でもこなせないと仕事にありつけなかったのです。

 しかるに、今日、経営環境が技術革新などと共に変化し、時間的なファクターが重要になって来ています。そのために、中小企業といえどもそれぞれの分野で専門的な知識や経験がないと、経営コンサルタントが務まらなくなってきました。

 すなわち、今日のコンサルティングは専門家集団による対応が中小企業でも求められています。経営コンサルタントとして、生き残って行く為には「専門性」を高める必要がります。専門分野を何処にするかは、切り口をどのように持つかで色々な専門分野の設定ができます。

 切り口次第で、他の経営コンサルタントとの差異化を図れ、仕事は先方から飛び込んでくるようになれば素晴らしいですね。
 ニッチ市場を模索する企業も、どのような切り口でニッチを見つけるか、自社が持つコアコンピタンス(自社の強み)やコンピテンシー(強みの蓄積活用)の活かし方を見つけると価値の頃が可能と考えます。

 
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   洛陽紙価(らくようのしか)  
 


ベストセラー

 中国西晋の文学者である左思(さ し、生没年不明、一説に252年 - 307年頃<Wikipedia>)の作品に「三都の賦」という書物があります。「賦(ふ)」とは「土地または人口に割りあてたみつぎもの。租税。年貢<広辞苑>」という意味で、「三都賦」は三国時代の社会生活を幅広く紹介した本です。当時の皇帝から庶民まで、それだけではなく後世にも、その内容である、国の統一などの問題等に言及したこともあり、評判となりました。

 序文に、当時著名であった皇甫謐が欠いた入り、張載が注釈を加えたりしたこともあり、こぞってこの書物を止みました。貴族や富豪が争ってこの作品を模写したことから洛陽に紙品不足問題が発生し、値段も高騰しました。このことから「洛陽の紙、価をたからしむ」ということが言われ、「洛陽紙価」という言葉が生まれました。

 すなわち、「洛陽紙価」というのは「著作物が人気を博し、盛んに読まれること」という意味です。すなわちベストセラーと言えます。

 今日、出版不況と言うことがしばしば言われますが、書籍に対する需要減退がその原因であると言われています。ところが、現実にはiPadなどのタブレット型電子端末機器の普及とともに、電子書籍の流通が増え、実際には需要は減退していないどころか、増えていると思います。いわゆる「紙媒体」に「印刷」された書籍が売れないということでしょう。

 その一因は、電子書籍化という時代の流れですが、書籍出版業界の閉鎖性に起因している部分が大きいようです。自分達の権益を侵されないように大手出版社や印刷会社が力にモノを言わせた横暴さがあると聞いています。

【 注 】「三都賦」(←クリック)は、下記URLにて紹介されています。
 http://japanese.cri.cn/chinaabc/chapter16/chapter160411.htm

 
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   二律背反(にりつはいはん)  
 
矛盾を楽しむ

 二律背反(にりつはいはん)とは、ドイツ語の「アンチノミー( Antinomie)」の邦訳後です。二つの命題に妥当性があるものの、お互いに矛盾し、現実だけではなく見かけ上も両立しない状態を言います。Wikipediaでは「正命題、反命題のどちらにも証明できる矛盾・パラドックスのこと」と説明しています。

 哲学者カントの名前はよく知られています。二律背反とカントについては、Wikipediaの既述が大変興味深いので、ここに掲載しておきます。

 「この術語は、イマヌエル・カントの哲学において特別な意味を要求する。カントは、感覚的知覚あるいは経験(現象)の領域のみ用いられるカテゴリーあるいは理性の規準を純粋思惟の領域に適用した際に生じる、同等に合理的ではあるが矛盾する帰結を記述するのに用いた。理性はここでは合理的な真理を確立する役割を演じることができない。なぜなら、それは可能な経験を超えているし、理性を超越しているものの領域に適用されているからである。」

 「カントにとって、以下のものに関連する四つのアンチノミーが存在する。

1.時間と空間に関する宇宙の限界

2.全ては分割不可能な原子から構成されている(それに対して、実際にはそのようなものは存在しない)という理論

3.普遍的な因果性に関する自由の問題

4.必然的な存在者の実在」


 我々に直結するビジネスの世界でもしばしば二律背反は起こります。経営者は、できるだけ多くの売上や利益を上げたいと考えます。一方で、顧客・ユーザーの立場に立つと、「よい商品・サービスを安く提供する」ことが求められます。

 ICTにおいては、セキュリティを強化することが安全のために求められます。一方で、セキュリティを強化すると使い勝手が悪くなることがしばしば起こります。セキュリティとユーザビリティという二律背反的な事情にしばしば挟まれます。

 世の中というのは、このような矛盾・パラドックスというか、二律背反というか、板挟みになることが多々あります。私は「矛盾を楽しむ」ということをしばしば考えます。

 
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   実事求是(じつじきゅうぜ)  
 


ウラを取る

 中国清朝時代に盛んになった考証学では、「ことを実にして、是を求む」という学風で臨むことを基本としていました。すなわち、あらゆることにおいて、根拠を追求し、それを明示して、論証するという学問追求の姿勢です。

 企業経営において、問題が発生すると、その原因追及をして、再発防止に努めるという姿勢でいることは重要なことです。これがないと企業は悪い方向に向かうことが必定と言えます。

 ある経営者が、自分は社員の声に耳を傾けていると信じて経営をしていました。ところが私ども経営コンサルタントが社員にヒアリングをすると「社長は、我々の思いとは違う、自分の考えだけで経営をしている」という答えが返ってくることが多いのです。

 確かに、その社長は、なにかがあると社員を呼んでは意見を求めています。社員もそれに対して、一所懸命に答えます。ところがその時に「いや、君の考えは間違えている」ということを言い、その論拠を得々と説明して、結局自分の考えを社員に押しつける会話で終わってしまいます。

 社員は、「俺たちの意見を聞こうとするけど、それはジェスチャーだけで、結局自分の考えを押しつけてくる。結果として、俺たちの意向は全然入れられない」と次第に諦めてしまっています。

 経営者自身は、社員に意見を求めた結果、判断していると思い込んでいるだけに始末が悪いです。われわれ経営コンサルタントが、第三者的な立場で、びしっと言わない限り、その姿勢は変わらないでしょう。

 また、ある経営者は、社員の意見を求めるが、自分の都合の良い意見だけを聞くと言うことをやっています。また、この経営者は、一人、あるいは一方の集団の言葉を聞くと、それが全て、それが事実、という認識をしてしまいます。

 我々、経営コンサルタントも時として、ある情報を入手すると、それが正しいこと、事実であるというとらえ方をして、失敗することがあります。

 「刑事は現場百遍」「ウラを取る」という言葉がありますが、これはわれわれ経営コンサルタントにも通ずることと考えています。われわれ経営コンサルタントは、情報は必ずウラを取ることを忘れてはいけないと考えています。

 
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   南船北馬(なんせんほくば) 東奔西走  
 
点から線へ仕事が繋がる

 12月の和名は「師走」と言います。師走の語源は定かでないようですが、お坊さんが、仕事が忙しく走り回る、すなわち「師馳せる」から来ているという説が有力です。しかし、それがなぜ12月なのかとは結びつきません。

 南船北馬というのは、淮南子に出てきます。南に船で行ったかと思うと、今度は北へ馬で向かうことから、あちらこちらを忙しく旅することを言います。東奔西走(とうほんせいそう)と同じような意味と考えられます。

 われわれ経営コンサルタントも、クライアント・顧問先のところへ赴かないと仕事にならないことが多く、日本全国を飛び回ります。面で活動できるほどクライアント・顧問先を持つことは不可能ですので、点と点の活動にならざるを得ません。できれば点と線にしたいと考え、クライアント・顧問先とのスケジュール調整をします。しかし双方のスケジュールを合わせる大変さから考えると、それも善し悪しです。

 私が経営士・コンサルタントとして独立してまもなくの頃、クライアント・顧問先が、上諏訪と松本にありました。毎月第○△曜日という決め方をしていたので、前日上諏訪で仕事をし、その日のうちに松本に移動し、翌日は松本で仕事をしてから帰宅をするということが続きました。

 点と線の仕事ですので、観光をするゆとりもない日々でしたが、収入は安定し、毎月大きな金額がボンボンと入りました。取引銀行の支店長がわが家に挨拶に来て、ボロ屋に済んでいるのに一体この男は信用できるのだろうかという思いをさせたのではないでしょうか。

 近年、経営士・コンサルタントとして独立起業される方も多いのですが、なかなか仕事にありつけず大変なようです。当時の私は運が良く、クライアント・顧問先がクライアント・顧問先を紹介してくれ、いつしか仲間とともに仕事をするようになりました。

 その仲間の仕事の手伝いをすることも多く、ようやく南船北馬、東奔西走という意味が分かりました。経営士・コンサルタントは、専門性の高い仲間と仕事をすると、高度なサービスをクライアント・顧問先に提供でき、それが信用に繋がります。

 経営士・コンサルタントとして独立起業を考えている人、すでに独立起業しているがうまくいっていない先生、その辺をもう一度考え直してみてはいかがでしょうか。
 
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   軽諾寡信(けいだくかしん)  
 
身の丈を超えた仕事の依頼

 「老子」に「軽諾は必ず信、寡なし(少なし)」とあります。

 「軽諾」は、「軽く諾する」すなわち「熟考せず、軽い気持ちで引き受ける」という意味です。「寡信」は、「信が少ない」ということから「信用が少ない」という意味であり、「軽諾寡信」で「物事を軽々しく引き受ける人は、信用できない」という意味になります。反意語としては「一諾千金」があります。

 経営コンサルタントに成り立ての頃は、仕事が欲しいので、企業から声をかけられると、仕事ほしさから何でも引き受けたくなります。自分の実力以上の仕事であったり、自分の専門外であったりしても、仕事を欲しいという気持ちが先行してしまいます。

 例え、契約に結びついたとしても、自分の手に負える仕事ではなく、一夜漬けやドロ縄では間に合いません。経営者と言っても、その道に永年従事しているので、ド素人のコンサルタントの化けの皮はすぐにはがれてしまいます。その結果、「あの人は無能なコンサルタントだ」という評判が立ち、次の引き合いにもなかなか巡り会えなくなってしまいます。

 身の丈に合った仕事を選ぶことが大切です。

 では、もし、自分の実力を超えたり、専門外であったりする仕事の話しがあったときにはどうしたら良いのでしょうか?

 せっかくの引き合いですので、みすみす逃すのはもったいないです。かといって、身の丈を超えた仕事を引き受ければ、前述の結果になることは火を見るよりも明らかです。

 正直に言うことです。「大変うれしい話しをありがとうございます。ただ、私の専門外のお仕事ですので、本日はお話を承り、その分野を得意とする先生をご紹介したいと思いますが、それで宜しいでしょうか?」と言ってみてはどうでしょうか。

 それでダメなら諦めざるを得ません。でもただで諦めてはプロの名折れです。自分が親しくしている人に、「○○会社では、先生が専門としている分野のコンサルタントを探しているようですから、一度アプローチをしてはいかがでしょうか」と情報を流します。

 そのコンサルタントが信用できる人であれば、いつか逆にあなたを仕事に誘ってくれるでしょう。

 もし、その経営者が、「誰かを紹介して欲しい」という意向であれば、その時は、信頼できる先生を紹介し、鞄持ちをしながらその先生の仕事のやり方を学ばせてもらえば良いでしょう。その先生が、ホンモノのコンサルタントであれば、あなたにも顧問料の一部を分けてくれるはずです。

 しかし、なかなか信頼できるコンサルタントに出会うことは、コンサルタント業界にいる人にとっても難しいことです。それを解決できるのがコンサルタントの団体です。内閣府認証特定非営利活動法人・日本経営士協会のように「共業・共用・共育」と言って、「仲間と仕事をしながら実力を付け、収入を増やしていこう」という団体もあります。

 平素から、「コンサルタントは一人ではやって行けない時代である」ということを自覚し、仲間作りをすることが、ビジネスチャンス拡大にも繋がるし、実力を付けたり、知識や情報を手に入れることにも繋がります。

 
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   博引旁証 (はくいんぼうしょう)  
 


フィリップ・コトラーの功績

 「博引」は、「ひろく例を引用すること(広辞苑)」という意味で、「旁証」は「傍証」に同じで「証拠となるべき傍系の資料。間接の証拠。(広辞苑)」です。このことから「博引旁証」とは、「広範囲に多くの例を引き、証拠を示して説明すること(広辞苑)」という意味となります。

 例えば、マーケティングをかじったことがある人は、フィリップ・コトラー(Philip Kotler、1931年 - )をご存知でしょう。アメリカの経営学者で、現在は、ノースウェスタン大学ケロッグ・スクール教授をしていて、マーケティングの第一人者の一人です。

 コトラーは、自分独自の理論を持っているというよりは、これまでいろいろな学者や実務者のマーケティング理論を体系化したという点で、その功績の大きさを私は買っています。

 コトラーこそ、博引旁証という言葉にふさわしい人はいないと言っても過言ではないでしょう。

 広く書物を読んだり、物事を見聞したりして、広い知識を持つことは、起業経営でも、経営コンサルタント業でも不可欠です。ところが、それを取り違えて、経営者との知識や情報の格差を利用して、偉そうに、得々として“教えてやる”という態度のコンサルタントを時々見受けます。「書物などから多くの例を集め、証拠としてあげながら説明する」ということが「博引旁証」だと思い込んでいるとしたら、大きな過ちと考えます。

 
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   機略縦横(きりゃくじゅうおう)  
 


経営理論は有効か?

 「機略」は「臨機応変の計略、策略」という意味です。「縦横」は「たてとよこ」ということから、「自由自在」とか「勝手気まま」という意味にも使えます。これらのことから「状況に応じて、臨機応変に、自在に適切な策略を巡らすこと」を意味します。

 関連語として臨機応変とか合従連衡という言葉もあり、すでにご紹介していますので、そちらを参照してください。また、「機知縦横」という言葉もあります。「機知」「機智」は「その時その場合に応じて働く才知。人の意表に出る鋭い知恵。ウイット(広辞苑)」という意味で「機知に富む」というような使われ方をします。

 広辞苑によるとさらに関連する言葉として下記が紹介されていますので、参考にしてください。

  じゅうおう‐か【縦横家】

  じゅうおう‐ひ【縦横比】

  じゅうおう‐むぐう【縦横無隅】

  じゅうおう‐むげ【縦横無礙】

  じゅうおう‐むじん【縦横無尽】

  たてよこ‐ざた【縦横沙汰】

 経営には、いろいろな理論がありますが、完全な理論で、それを実行すれば完全な経営ができ、企業が成長するという「王道」はないと言っても良いでしょう。

 情報が氾濫している今日、いろいろな経営理論を試してみる企業がいますが、中途半端な取り組みに終わってしまうために、「どの経営理論もダメだ」と諦めてしまっている経営者も多いと思います。

 私は、どのような理論でも、徹底して実行すれば何らかの成果が上がると信じています。徹底的に使いこなすことを充分にやりもしないで、「ダメだ」と決めつけることがうまくいかない原因なのではないでしょうか。

 今ひとつは、自社の現況にあった方法を選んでいるかどうかについても見直す必要があります。既製服はなかなか自社の状況に合わないのです。自社の状況にカスタマイズして利用することも一つの方法です。ただし、カスタマイズを自分の都合の良いように解釈して行っては、生兵法はけがのもとになることを忘れないでください。

 
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   合従連衡(がっしょうれんこう)  
 


経営の高度化に立ち向かう

 「従」という字は「縦」、「衡」や「横」という意味で、各々が「南北」と「東西」を表します。合従連衡というのは、南北に合流し、東西に連携を図ることの意です。このことから強敵に立ち向かうための戦略を指します。

 類語に「合従連横」という言葉がありますが、ほぼ同意と考えて良いようです。

 今日「野党が合従連衡」などと表現しますが、「巧みな謀を巡らした外交政策」という意味でしばしば使われています。もともとは、史記に掲載されている中国の戦国時代の戦略から来ています。

 南北に6カ国が連合したのですが、それを「合従」と呼びました。ところがその合従が破綻すると東西に6カ国が連合し、それを「連衡の策」と呼んだことからあわせて「合従連衡」となりました。

 今日、経営環境は非常に厳しさを増しています。そのために経営も高度化を余儀なくされてきたことから、一人の経営コンサルタントでは全ての問題に立ち向かうことが難しくなってきました。

 かつては、一人の経営コンサルタントで全てのコンサルティングをできるようになってはじめて一人前と言われました。ところがこのような間口の広いコンサルティングでは、企業が抱える問題を解決することが困難なのです。

 内閣府認証特定非営利活動法人・日本経営士協会では「共業・共用・共育」という言葉を掲げています。経営コンサルタント同士が切磋琢磨し(共育)、ノウハウを蓄積してそれを相互で利用し合い(共用)、さらにそれを利用してともにコンサルティング業務に取り組む(共業)というユニークな発想でいます。

 そのために同協会は「士業の異業種交流会」とも呼ばれます。同協会に相談をかけると最適なコンサルタント(チーム)を受けられます。一つの声かけで、複数の専門コンサルタントが難問解決に取り組んでくれます。「ワンストップ・コンサルティング」を提供をする日本最初の経営コンサルタント団体なのです。

 内閣府認証特定非営利活動法人・日本経営士協会 クリック

 
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   抜本塞源(ばっぽんそくげん)  
 


問題解決と原因除去

 「根本を忘れ、道理を乱す」という意味で、出典は春秋左氏伝です。ところが近年は、「抜本」は木の根から全てを抜き、「塞源」は水源をせき止めるという意味から、災難の原因を完全に除去するという意味で使われることが一般的です。

 例えば東日本大震災で起こった原発問題ですが、ピーク時に大需要を持つ企業の15%電力削減が一律に適用されます。マスコミもピーク時のことばかりに偏重して報道します。

 一般家庭もピーク時電力削減ばかりに目が行ってしまいますが、ムダな電力消費そのものを減らすだけではなく、電力消費そのものを減らす努力をすべきです。ムダなTV番組を減らすことにより、制作側、放送局、視聴電力等々を減らすことができます。

 一方で、それによる経済的な側面をはじめ、多面的にそれによるディメリットも検証しなければなりません。その際にも根本を忘れて枝葉末節的な論争を延々とやっていてはならないとお思います。

 企業経営においても、しばしば類似した過ちを犯しがちです。「赤字である」ということから、「経費削減」「人員削減」と決めつけてはなりません。人間も生きるために最低限度のエネルギーと栄養が必要なように、企業にもそれが必要です。

 正しく原因分析をし、原因を根本から除去し、正しい方針で、正しい方法で解決することが望まれます。素人の生兵法で判断しては抜本塞源にならないことが多いことを忘れてはなりません。

 

 
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   博覧強記(はくらんきょうき)  
 


経営は心でする

 博覧とは、「ひろく書物を見て物事を知ること(広辞苑)」です。平家物語に「博覧清潔にして」とうくだりがありますが、名を残している人は書物を読み、博識であることが多いですね。

 強記は、「記に強い」すなわち「記憶力の良い」ことです。すなわち、博覧強記というのは、広く書物を読み、博識で、かつそれらを良く覚えていることです。

 経営コンサルタントの中には、研究熱心で、論文や書籍をたくさん書いている人がいます。そのような人と議論をすれば勝つことはないかも知れません。

 そのような経営コンサルタントの中には、自分の博識をひけらかし、難しい話をして相手に煙に巻いている人もいます。「カミソリのように切れる・・・」と言われては得意げになっています。それで飯が食えると思っている人もいます。

 生計が立つほどの収入を得られているのであれば良いですが、知識の切り売りをしているだけでは、いつまでもコンサルタントとして続けられるかどうかはわかりません。

 経営は心でするものです。コンサルティングもまたしかり。心が通じ合わなければ、社員は動きません。経営者・管理職や社員達と経営コンサルタントが共鳴・共感しあえるコンサルティングでないと継続しません。効果が持続しません。テレビやマスコミで、頭でっかちの「コンサルタント」というような人を見かけますが、企業に行ってそれを実践させたらおそらくその企業は衰退・倒産してしまうでしょう。

 なぜなら、頭でっかちでは、心が通い合わないからです。

 
 
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   知行合一(ちこうごういつ)  3-02

知識と実践

 朱子は「先知後行学」の中で「先ず知識を蓄え、それを基にして行動を起こすべきである」と説いています。知識を持っていれば、何か判断すべき時に、好ましい判断ができることは想像できます。

 それに対して、王陽明は陽明学の一環として伝習録の中で「知行合一(ちこうごういつ)」を説いています。知識と実践は同一でなければならないという考え方です。

 知識と行動がバラバラの例として「言行不一致」ということが挙げられます。いくら良いことを言っていても、自分自身はそれが実践できていなければ、折角良いことを伝えようとしても、聞く側は、聴く耳を持ちません。

 例えば、経営者・管理職が部下を叱咤激励しても、自分は海外でギャンブルにうつつを抜かしていては、社員のモラールは上がりません。

 同じことは、私の職業である経営コンサルタント業においてもいます。5S運動を実践し、整理整頓をいくら主張しても、経営コンサルタント自身が自分のことをできていなければ、折角の5S運動も成功しないでしょう。

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   寸善尺魔(すんぜんしゃくま)  想定外と負け犬 3-01 

想定外と負け犬

 「寸善」とは、善の大きさは一寸ほどであるが、それに対して、「尺魔」、すなわち「魔」の大きさは一尺であるということです。

 すなわち「善は一寸ほどの大きさに過ぎず、魔(悪)は一尺ほどもある」という意味で、「世の中には良いことは少なく、悪いことばかりが多い」という意味で使われます。

 また、それが転じて「良いことには、とかく邪悪が入りやすい」という意味でも使われます。

 私は、気の持ちようであるような気がします。

 確かに世の中は、我々が思うようには行かないことが多いです。「こうありたい」と思っても、その実現には色々な障害や問題が立ちはだかります。

 これは企業経営においても同じことです。リスクマネジメントというのは、これから起こるだろう障害を予測して、事前に手を打つことの重要性を説いています。

 「想定外」という言葉はしばしば使われてきましたが、それは「人知が及ばぬこと」と諦めてはならず、「自分の力が至らなかった」と解釈すべきと考えています。

 「想定外」で、自分を納得させてしまっては、成長の原動力を失うことになります。

 想定のレベルが高ければ、その様な障害が訪れてくることを予測できるかも知れないのです。否、できるだけそれも含めて相対すべきです。これが経営であり、経営者や経営士・コンサルタントの為すべきことであり、その能力の高さということになります。

 口で言うは易しいですが、その実行は困難であることは私も認めますが、負け犬で終わりたくないですね。


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