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私が訪れた名所旧跡です。

ケイタイやスマホのカメラで撮影したものもありますので画質があまりよくありません。
私の限られた感性での写真ですので、たいした作品でもありません。
自分自身の作品を、自分のために整理したものです。
京都  栂尾山 高山寺 
 高山寺 (こうさんじ)

 1994年(平成6)12月「古都京都の文化財」として、「世界遺産条約」に基づく世界文化遺産に登録された高山寺は、京都の北西、京都市右京区栂尾(とがのお)にある古刹です。高山寺の名を知らない人でも「鳥獣戯画」をご存知と思います。西明寺、神護寺とともに、「三尾」のひとつを構成しています。

 創建は古く、774年(宝亀5)の開創と、奈良時代に遡りますが、もともとは神護寺の別院でした。建永元年(1206)に、明恵上人(みょうえしょうにん)が、後鳥羽上皇よりその寺域を賜り、名を高山寺として再興したと伝えられています。

 明恵上人は、栄西(ようさい)禅師が持ち帰った茶の種をもとに、ここ高山寺に日本最初の茶畑をつくりました。鳥獣人物戯画とともに、日本最古の茶園としても知られています。デュークエイセスの唄「女ひとり」にも歌詞の中に登場するそうです。

 川端康成、白洲正子や河合隼雄の著書でも、高山寺は紹介されていて、知る人ぞ知る紅葉の名所でもあります。

【正式名称】  高山寺<右京区栂尾>(こうさんじ)
【通称名称】  栂尾山 高山寺(とがのをさん こうさんじ)
【住所】     右京区梅ケ畑栂尾町8 
【電話番号】  075-861-4204 【FAX】075-865-1848

     資料出典: 高山寺公式サイト         高山寺関連資料

 
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高山寺
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高山寺

 高山寺は、紅葉の名所として知られていますが、私が訪れたのは3月初旬という、観光シーズンとはかけ離れた季節でした。

 朝、ホテルからJR二条駅にまで地下鉄東西線に乗り、そこからJR西日本の路線バスに乗って、約45分ほどで、高山寺のバス停に着きました。バス停からは、高山寺裏参道を通って高山寺に向かいます。

 
 

アクセス
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高山寺へ



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バスを降りますと、後に裏参道入口があります。
 

表参道は、
300mほど戻ったところにあります。


裏参道入口を入ると
直ぐに急な階段となります。


最初の階段から左手に折れるところに
古木が苔を敷いて斜めに突き出ています。


いくつかつづら折りの階段を上ると
ようやく建物らしきものが見えてきました。
 
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高山寺 石水院1

国宝「石水院」は、鎌倉時代初期の寝殿造りの面影を残す
貴重な遺構です。
高山寺は、多数の国宝や重文を持っていますが
その中でも代表的なのが鳥獣戯画です。
4巻(国宝)がここに所蔵されていますが、
平素の展示は、レプリリカです。
石水院は、高山寺の中でも紅葉の名所として知られています。
 


鳥獣戯画おかれていることを
立て看板が示しています。


国宝「石水院」の門


石水院庭園への入口
未公開


石水院の玄関


茶園から石水院を見下ろす
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高山寺 石水院2 廂の間(ひさしのま)




受付を済ませると石水院の石水院の西正面、
主室の「廂の間(ひさしのま)」があります。
かつて春日・住吉明神の拝殿でした。
正面には神殿構の板扉が残っています。
欄間に富岡鉄斎筆「石水院」の横額が懸かっています。
<公式サイトより>


石水院の廂の間(ひさしのま)前の廊下
右手に庭を見、
中央には善財童子(ぜんざいどうじ)木像があります。
西面には長く高山寺の中心的子院であった
十無盡院(じゅうむじんいん)の額も見ることができます。


善財童子(ぜんざいどうじ)木像

落板敷の中央に、小さな善財童子像が置かれています。
善財童子は、華厳経にその求法の旅が語られていますが、明恵が敬愛し、
住房には善財五十五善知識の絵を掛け、
善財童子の木像を置いたといわれています。
<公式サイトより>



廂の間の奥には明恵上人図が懸かっています。
有名な掛け軸ですが、知らないと見落としがちです。


明恵上人は、質素な生活をし、
敬虔なる日々を送っていたと伝わっています。


明恵上人図の脇には
運慶作という子犬像があります。


明恵上人が愛玩し、
常に座右においていたと伝えられています。
 
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高山寺 石水院3



吊り上げの蔀戸(しとみど)、菱格子戸、
本蟇股(かえるまた)によって、
内外の境界はあいまいにされ、
深い軒が生む翳りの先に光があふれています。
<公式サイトより>


西面
左が善財童子木像が安置されている部屋


石水院の南面

清滝川を越えて向山をのぞみ、
視界が一気に開けるます。
縁から一歩下がって畳の上に腰をおろしますと、
風景が柱と蔀戸(しとみど)、広縁によって
額縁のように切り取られます。



南面の欄間には伝後鳥羽上皇の勅額
「日出先照高山之寺(ひいでてまずてらすこうざんのてら)」が
かかり、寺号の由来を語っています。


伝後鳥羽上皇の勅額「日出先照高山之寺」


高山寺は神護寺の別院でした。
後鳥羽院の院宣により、
華厳興隆の勝地として明恵が栂尾の地を賜ったのが
高山寺の起りです。
下賜され後鳥羽院宸翰の勅額といわれています。
背面に陰刻で「建永元年」「藤原長房」(後鳥羽院の近臣、後の慈心房覚真)とあり、長房が院と明恵との仲立ちをつとめたらしいことがわかります。
「日出先照高山」という表現は華厳経の比喩に由来し、
字句は華厳経の注釈書
(明恵が重視した『華厳経探玄記』など)に見られます。
<公式サイトより>



天上は、質素のつくりでした。


虫が食った跡が残る柱が
何かを語る文様のように見えました。
 
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高山寺 石水院4 鳥獣戯画

 「鳥獣戯画」は「鳥獣人物戯画(ちょうじゅうじんぶつぎが)」とも言われる、京都市右京区の高山寺に伝わる紙本墨画の国宝絵巻物です。甲・乙・丙・丁と呼ばれる全4巻から構成されています。

 作者には戯画の名手として伝えられる鳥羽僧正覚猷(とばそうじょう かくゆう)とされて来ましたが、それを証する資料はありません。各巻の間に明確なつながりがなく、筆致・画風も違うことから、12世紀~13世紀(平安時代末期 - 鎌倉時代初期)の無名の僧侶による、別個の作品として制作背景も異にして描かれたという説が有力です。

 内容は、当時の世相を反映して、動物や人物を戯画的に描いた戯画の集大成といえます。特にウサギ・カエル・サルなどが擬人化されて描かれた「甲巻」が非常に有名です。一部の場面には現在の漫画に用いられている効果に類似した手法が見られることもあって、「日本最古の漫画」ともいわれています。

 現在は、オリジナルは、甲・丙巻が東京国立博物館に、乙・丁巻が京都国立博物館に寄託保管されていて、高山寺にはレプリカが展示されています。

                 【Wikipedia】を参照して作成


↑拡大 甲巻のレプリカ


案内立て看板を撮影(トリミング)


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最も有名な、蛙と兎の相撲(甲巻)


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甲巻レプリカ


↑ 拡大 甲巻レプリカ
 
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高山寺 茶園



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遺香庵(非公開)

右端に見えるのが石水院の門


高山寺茶園

遺香庵の向かいの階段を登ると
日本最古の茶園の石碑があります


日本最古の茶園


それほど大きな茶園ではなく、
茶園の向こう側は杉林


茶園から望む石水院

石水院の左手には、遺香庵庭園があります。
その一角に茶室遺香庵があります。
この茶室は、明恵上人700年遠忌に際し、
当時の住職土宜覚了が、昭和6年(1931)に建立。
非公開であるのが残念です。


茶園前の昇り参道


法然台道場

茶園前の昇り参道右手
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高山寺 開山堂

  開山堂は、石水院より山道を登った左手にあります。明恵上人(1173~1232)が晩年を過ごし、入寂した禅堂院の跡地に立っています。建物は室町時代に兵火をうけて焼亡し、江戸時代に再建されたものです。
 明恵上人坐像が安置され、御影堂信仰の対象となりました。
 現在、法要はこの開山堂で営まれることが多く、毎年1月8日に明恵上人生誕会、1月19日に明恵上人命日忌法要、11月8日に献茶式が行われます。(公式サイトより)


開山は、明恵上人(1173~1232)


開山堂の下(写真右手)にコンクリート3階建ての
経蔵があります。
高山寺は、国宝・重文の多いお寺さんとして
知られていますが、ここに所蔵されています。
聖教(しょうぎょう)・典籍・古文書類などがあります。

 
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高山寺 御廟・金堂



開山堂からさらに山道を登ります。
この右手が御廟、奥を左手に折れますと金堂があります。


御廟

御廟は明恵上人の墓所です。
覆屋の中に古い五輪塔が収められています。


御廟の手前左手の一段高くなった所に、
古色を留めた塔が2つ立っています。
手前が宝篋印塔です。
高山寺型と呼ばれる古式の塔で、
上人に帰依した富小路盛兼の寄進と伝えられています。
奥が如法経塔です。


御廟近くに立つ塔が如法経塔です。
さらに奥、廟近くには歴代住持たる
土宜法龍、土宜覚了、小川義章、葉上照澄の墓もあります。
墓域の入口に明恵の遺訓を記した
小川義章筆の石碑
「阿留辺幾夜宇和(あるべきやうわ)」が立っています。


金堂
  境内一番奥の位置にあり、かつての承久元年(1219)に完成した本堂がここにありました。
 桁行3間、梁間3間で銅板葺の一重入母屋造です。本堂は、東西に阿弥陀堂、羅漢(らかん)堂、経蔵、塔、鐘楼、鎮守を従えた檜皮葺(ひわだぶき)5間4面の堂宇と、立派なお寺さんでした。
 運慶作の丈六盧舍那仏(るしゃなぶつ)などが置かれていました。その本堂は、室町時代に焼失し、現在の金堂は江戸時代寛永年間(1624~44)に、御室仁和寺真光院から古御堂が移築されたものです。(公式サイトより)


金堂

現在の地に本堂がありましたが、
江戸時代寛永年間(1624~44)に、
御室仁和寺真光院から古御堂が移築されました。


金堂

釈迦如来像がご本尊です。


仏足石
  御廟を右手に見て、左の細道に入ると簡素な覆いの下に
仏足石がります。
 仏足石とは、釈迦の足跡をかたどり
礼拝の対象としたものです。
 千輻輪宝(せんぷくりんぽう)、金剛杵(こんごうしょ)、双魚紋(そうぎょもん)などの紋様が刻まれています。近世の模刻ではありますが、釈尊(釈迦)に愛慕の情をよせた明恵上人を偲ぶことができます。



 仏足石の前の木の根道をあがると金堂があります。
(写真手前が金堂)
境内には「仏足石参道」の石碑が2基あり、
このことからも信仰を集めたことがわかります。
<公式サイトより>
 

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