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私が訪れた名所旧跡をご案内します。

ケイタイのカメラで撮影していますので画質があまりよくありません。私の限られた感性での写真ですので、たいした作品でもありません。

京都 勧修寺

勧修寺 書院

 公式サイト なし 

 勧修寺(かじゅうじ、かんしゅうじ)は、京都府山科区にある、亀甲山(きっこうざん)と号する真言宗山階派大本山です。

 醍醐天皇の勅願寺で、900年(昌泰3)に、字冶郡の大領(統治者)、宮道弥益の邸宅址に、天皇の生母藤原胤子(いんし)追善のために、開基の承俊律師により創建されました。寺号は、天皇の祖父に当る藤原高藤(たかふじ)の諡(い)号をとって勧修寺と名付けられた。

 1470年(文明2)に、兵火で焼失しましたが、徳川氏と皇室の援助で復興されました。代々法親王が入寺する、門跡寺院として格式を誇りました。

 本堂は、江戸時代に霊元天皇より仮内侍所を、書院と宸殿は、明正天皇より旧殿を賜って造られたといわれ、本堂内に千手観音像が祀れています。

 国宝「刺繍釈迦如来説法図(奈良国立博物館蔵)」は、勧修寺繍帳とも呼ばれています。

 庭園は、氷室(ひむろ)の池を中心とする池泉回遊式で、、夏には、池の水蓮が美しい花を咲かせます。書院前庭には、水戸光圀の寄進と伝えられる石灯籠があり、「勧修寺型灯籠」として知られています。灯篭を覆うように生えている植樹「ハイビャクシン」は、「ひの木科」の常緑灌木で、樹令は750年といわれています。

【正式名称】 勧修寺(かじゅうじ、かんしゅうじ)
【住所】    山科区勧修寺仁王堂町27-6
【電話番号】 075-571-0048 【FAX】075-571-0272


 勧修寺 勧修寺への道
 勧修寺 宸殿
 勧修寺 書院
 勧修寺 本堂・観音堂
 勧修寺 庭園
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 アクセスと移動


 地下鉄東西線 小野下車 徒歩西へ6分
 拝観・開館時間 9:00〜16:00
 見学所要時間約25分
 休日・休館年中無休
 料金 一般 400円 

 訪れたときは、桜にはやや遅い時期でしたが、まだ桜も残り、1時間近くゆっくりと散策しました。

 あまり大きなお寺さんではないですが、庭園は魅力的です。

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 勧修寺 書院


書院全景

江戸時代の初め、延宝元年(1673)から延宝3年にかけて造営された
後西天皇の旧殿が移築したと伝わっていますが、
女帝であった明正天皇の旧殿とする説もあるようです。

 建物は、人母屋造、柿葺(こけらぶき)で、
江戸初期の書院造の典型とされています。



庭園側からみた書院

八重桜が咲いていました

 勧修寺 書院内部 近江八景図

内部は、門跡の御座所である「上段の間」、
対面所としての「次の間」、
門跡の私室と思われる「柳の間」があります。



重要文化財 近江八景図

次の間(二番目の部屋の意味)に描かれている絵は、
土佐派の復興に尽力した土佐光起の筆によるもの。


 
重要文化財 近江八景図

中国の浦湘八景図にならい、
近江琵琶湖沿岸の風光明媚な景色を描いたものです。
床の間の左下には「瀬田の唐橋」を渡る大名行列が、
衣装まで微細に描かれていて、
当時の風俗を知る上でもたいへん貴重なものといわれています。



近江八景図(右半分)

右上には紫式部ゆかりの寺としても名高い
「石山寺」が描かれていて、
近江八景の大和絵としては
日本最大級のものです。



次の間 床の間



↑ 拡大


↑ 拡大
 勧修寺 書院内部 上段の間

「上段の間」には、世に「勧修寺棚」と称される違棚があり、
床の間には江戸時代前期から中期の絵師である
土佐光成(土佐光起の子)の筆による
龍田川紅葉図」が描かれています。



重要文化財 竜田川紅葉図

上段の間に描かれている絵は、土佐光成の筆による



竜田川紅葉図(左側) 床の間と違い棚

柱は床柱も含め、木曽の山あいから切り出された
「尾州ひのき」が用いられています。



違い棚(右側)

欅の1枚板からなる3つの棚のうち、
中央が一段高い左右対称の優美な姿を見せている。
そのため、安定感のある空間を構成しています。

竜田川と川辺に立つ人と対岸の大松
大松は、正面の襖に繋がっています



竜田川の両岸に立つ紅葉

龍田川は大和国、生駒山系を流れ、
古来より紅葉の名所として、
多くの歌人に詠まれてきたところです。

左端の柱は、木曽の山あいから切り出された
「尾州ひのき」が用いられています。


書院上段の間(右側)



書院上端の間の襖絵

 勧修寺 書院 廊下


書院の廊下



奥に見えるのは宸殿

 勧修寺 書院前の庭園と燈籠


左手が書院、右手が宸殿



書院前から庭の南端を見る



庭には、石がアクセントとして置かれています。

ビャクシンに隠れるように、石灯籠がおかれています。



水戸黄門で知られる水戸藩2代藩主であった
水戸光囲(みとみつくに)が寄進した
勧修寺型灯籠」が配されています



這柏槇の中に、背丈3mほどの老這柏槇が
立っていました。
その左手に勧修寺型灯籠が隠れていて、見えません。

 勧修寺 書院前の老這柏槇


書院前に老這柏槇が植えられています。



樹齢約750年といわれる
ヒノキ科の常緑低木「ハイビャクシン(這柏槙)」



ワニが宸殿の方角を向いているように
老ハイビャクシンが這っていました。



老ハイビャクシンのワニの頭



その隣には、子供のハイビャクシンが
元気に育っています。



何と、子のハイビャクシンの脇には、孫が生えていました。



国歌「君が代」に歌われるさざれ石

下鴨神社(京都)や日枝神社(東京)をはじめ
さざれ石は、処々にあります。
ここのさざれ石は、
小石の集まりというよりは
大きな石の塊のようでした。


 
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