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経営者・管理職とコンサルタント

35年の実績と誠意

今日は何の日 話材からヒントと気づきを

40年の実績で、皆様と共に歩んでゆきます。

 当サイトと連動し、平日毎日複数本のブログ発信をし、経営コンサルタント歴40年の独断と偏見から何かを感じ取っていただけると幸いです。
 経営者・管理職向けの記事、それを裏返すと経営コンサルタントなど士業の先生方にも参考となります。 
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今日は何の日      12月16日
■ 電話創業の日 

 経営コンサルタントに限らず、携帯電話なしには仕事ができない時代になって来ました。

 電話のインフラも、銅線から光回線へ、インターネットも「クンロク」と呼ばれたアナログ回線のモデムから、ISDNデジタル回線に。

 と思いきや、今や光回線、Wi-Fi(ワイファイ、wireless fidelity)が普及し、LTEやG4と組み合わせて、自宅でも、外出先でも便利に使っている人が増えてきました。SKYPEやLINEを利用して無料通話をしている人も多いでしょう。

 その結果、固定電話を利用する人が減り、携帯電話利用者がその維持費の一部を負担する時代になって来ました。

 明治23年(1890年)は、電話創業の日、日本で始めて電話が開通した日です。

 

 紙の記念日

 1875(明治8)年12月16日に東京・王子の抄紙会社の工場で、日本で最初の商業ベースによる紙作りが始まりました。この抄紙会社は実業家として名高い澁澤榮一が大蔵省紙幣寮から民間企業として独立させたものです。これが今日の、王子製紙で、製紙会社最大手となっています。

 資本自由化の流れの中で製紙業界の国際協商は熾烈、原料高製品安という構造不況からの脱却が必定でした。業界再編は、分割前の旧王子製紙関連企業である王子製紙・本州製紙・十條製紙の3社の合併が、1968年3月に発表されたことから始まりました。

 王子製紙とならぶ製紙会社のひとつが日本製紙です。その前身となる企業は十條製紙、東北振興パルプ、山陽国策パルプ、大昭和製紙の4社と合併して今日に至っています。

 私は印刷業界との関連で、製紙業界の仕事もずいぶんとしてきました。経営コンサルタントが生きていくために、経営コンサルタントとしてのアイデンティティを持つ必要がありますが、印刷関連だけでも結構広い業界で、そこでの経験は他業界でもいろいろと活かせることができました。


■ 気多大社(けたたいしゃ)のお祭り

 正式名称は、「氣多大社」と、古い漢字を使います。読み方も「きた」ではなく「けた」で、旧称は「気多大神宮」です。

 石川県羽咋市寺家町にある神社で、旧社格は、国幣大社ですので、格の高い神社といえます。

 12月16日に開催されます「鵜祭(うまつり)」は、古式豊かなお祭として知られています。

 3月18日には、おいで祭も開催されます。


【経営コンサルタントの独り言】

◆ 渋沢栄一翁の偉業のひとつが日本文化を支えている?


 12月16日は、紙の記念日です。

 1875(明治8)年12月16日に、日本で最初の商業ベースによる紙作りが始まりました。
 この製紙会社(当時は「抄紙」といった)を、実業家として名高い澁澤榮一が、大蔵省紙幣寮から民間企業として独立させました。

 当ブログでも紹介しています飛鳥山には渋沢翁の銅像があります。

 渋沢資料館には、栄一の足跡がわかる資料が満載。その隣には、紙の博物館もあります。


 私は印刷業界との関連で、製紙業界の仕事もずいぶんとしてきました。

 経営コンサルタントが生きていくために、経営コンサルタントとしてのアイデンティティを持つ必要があります。

 印刷関連だけでも結構広い業界で、そこでの経験は他業界でもいろいろと活かせることができました。

  飛鳥山公園・渋沢資料館
  http://www.glomaconj.com/butsuzou/meisho/tokyo/kitaku-asukayama.htm


 

■ 尾崎 紅葉 明治の文豪 泉鏡花ら後進を育成

 おざき こうよう
 1868年1月10日(慶応3年12月16日)− 1903年(明治36年)10月30日

 江戸時代に生まれた、明治時代の小説家で、本名は徳太郎といいます。「縁山」「半可通人」「十千万堂」「花紅治史」などの号も持っています。

 1885年(明治18年)、山田美妙らと硯友社を設立し「我楽多文庫」を発刊しはじめました。『二人比丘尼 色懺悔』で認められ、『伽羅枕』『多情多恨』などを書き、幸田露伴と並称されて「紅露時代」を築き、明治期の文壇の重鎮といえます。

 1897年(明治30年)から『金色夜叉』の執筆を始めましたが、未完のまま没してしまいた。泉鏡花、田山花袋、小栗風葉、柳川春葉、徳田秋声など、優れた門下生を育ててました。

 小説だけではなく、俳人としても角田竹冷らとともに秋声会を興し、正岡子規と並んで新派と称されました。


■ 田中 正造 日本最初の郊外に立ち向かった男

 たなか しょうぞう
 天保12年11月3日(1841年12月15日)− 1913年(大正2年)9月4日)

 幼名、兼三郎、下野国安蘇郡小中村(現・栃木県佐野市小中町)の出身です。

 日本の政治家で、日本初の公害事件と言われる足尾鉱毒事件を明治天皇に直訴した政治家として知られています。衆議院議員選挙に当選6回。

 足尾鉱毒事件は、19世紀後半の明治時代初期から栃木県と群馬県の渡良瀬川周辺で起きた、日本で初めてとなる公害事件です。

 銅山の開発により排煙、鉱毒ガス、鉱毒水などの有害物質が周辺環境に著しい影響をもたらし、1890年代より栃木の政治家であった田中正造が中心となり国に問題提起しましたが、加害者決定はされませんでした。

 足尾の精錬所は1980年代まで稼働し続け、2011年に発生した東北地方太平洋沖地震の影響で渡良瀬川下流から基準値を超える鉛が検出されるなど、21世紀となった現在でも影響が残っています。

 学生時代に、鉱山跡に行ったことがありますが、周囲の木々は立ち枯れたまま残っていました。その不気味さは、人気もないことから今でも覚えています。

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 内閣府認証特定非営利活動法人・日本経営士協会理事長
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