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経営者・管理職とコンサルタント

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今日は何の日 話材からヒントと気づきを

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今日は何の日      12月09日

■ 障害者の日にその意義を再考する

 1975(昭和50)年に、国連総会で「障害者の権利宣言」が採択されました。

 日本では、1981(昭和56)年は国際障害者年でした。この歳12月9日に総理府(現内閣府)が主催して「広がる希望の集い」という記念行事が開催され、そこでこの記念日が制定されました。その実施は厚生労働省の所轄です。

 障害者は、小泉政権以前には手厚く支援されていましたが、同政権下で、自立支援という美名の下、それまでは障害者に支給されていたものが、自立のための支援という名目に変わってしまいました。

 そのために、従来のように規程の支給がなされていたものが、なくなり、多くの障害者の収入が減少してしまいました。

 一方で、この制度のおかげで、自立できた障害者も多数います。しかし、多くの人が、いまだに苦しんでいるのも事実です。

 財政難の昨今では、年金支給の年齢が高くなり、高齢者に厳しい時代に入っています。裕福な高齢者への支給はまだ平等性を欠いています。それらを勘案すれば、障害者や高齢者の貧困問題は、改善されると思います。


■ 漱石忌

 1916年(大正5年)12月9日に森鴎外と並ぶ文豪・夏目漱石(1867年〜1916)がなくなりました。日本を代表する小説家、評論家、英文学者です。

 本名は夏目金之助で、牛込馬場下横町(現在の東京都新宿区喜久井町)の生まれです。現在でも「漱石公園」など、ゆかりの地があります。

 代表作には「吾輩は猫である」があります。

 主人公の猫は名前も付けてもらえない「吾輩」です。中学校で英語の先生をやっている珍野苦沙弥に飼われています。

 珍野一家や友人、書生達などの人間模様を風刺的に描いています。

 吾輩の片思いのガールフレンドである三毛子は、 隣宅に住む二絃琴の御師匠さんに飼われています。三毛子の飼い主である、このお師匠さんですが、「天璋院様の御祐筆の妹の御嫁に行った先の御っかさんの甥の娘」といいますが、どういう関係かよく解りません。

 天璋院というよりは、NHKのドラマでむしろ「篤姫」のほうがよく知られています。薩摩藩島津家の親戚筋に生まれ、本家の養女となり、五摂家筆頭近衛家の娘として第13代将軍家定の御台所となった人です。

 前述のお師匠さんと同様、昔の人は容易に養女となったりするので、「血筋」といっても何処まで血の色が濃いのかわかりませんね。


【きょうの人】

■ 夏目漱石
 (なつめ そうせき)

 1867年2月9日(慶応3年1月5日)− 1916年(大正5年)12月9日)

 日本の小説家、評論家、英文学者。本名、夏目金之助(なつめ きんのすけ)。俳号は愚陀仏

 江戸時代末期、牛込馬場下横町(現在の東京都新宿区喜久井町)の出身で、大学時代に正岡子規と出会い、俳句を学びました。

 帝国大学(現在の東京大学)英文科を卒業後、松山で愛媛県尋常中学校教師、熊本で第五高等学校教授などを務めました。

 イギリスへの留学はその後のことです。精神的な病気にかかったといわれますが、研究に没頭している様を見た人が、その生活態度を見て、「夏目発狂」という噂を流したとも言われています。

 帰国後、東京帝国大学講師として英文学を講じながら、『吾輩は猫である』を雑誌『ホトトギス』に発表。これが評判になり『坊っちゃん』『倫敦塔』など、次々と傑作を書いて行きます。

 その後、朝日新聞社に入社し、『虞美人草』『三四郎』などを掲載したりしています。晩年は、胃潰瘍に悩まされ、『明暗』が絶筆となりました。

。代表作は『吾輩は猫である』『坊っちゃん』『こゝろ』など。明治の文豪として日本の千円紙幣の肖像にもなり、講演録「私の個人主義」も知られている。

 新宿の生まれた場所と言われるところには、現在でも「漱石公園」など、ゆかりの地があります。


【経営コンサルタントの独り言】

◆ 明治の文豪夏目漱石が逝く

 漱石(1867年〜1916)は、1916年(大正5年)12月9日に亡くなりました。

 森鴎外と並ぶ文豪・夏目漱石ですので、知らない日本人はいないといっても過言ではない、日本を代表する小説家、評論家、英文学者です。

 現在の東京都新宿区に位置する牛込馬場下横町の生まれです。

 私の家からそう遠くはない場所です。

 現在でも「漱石公園」など、ゆかりの地があります。


 代表作に「吾輩は猫である」がありますが、「坊ちゃん」同様によく知られています。

 この中で、登場人物の家系が印されている部分があります。

 そこに天璋院篤姫が登場するのですが、家系図にするとどうなるのか、本当に血縁なのか、などなど首を傾げながら読みました。

 読後の感想というのは、人によってはあまり本筋とは関係ないところに興味を持つモノだと、我ながら思ったりしています。
 
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経営コンサルタント歴35年 
 コンサルタントのためのコンサルタント
 若手経営コンサルタント育成に東奔西走
 内閣府認証特定非営利活動法人・日本経営士協会理事長
 わかりやすい語り口で講演・セミナーや社員研修に引っ張りだこ