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経営者・管理職とコンサルタント

35年の実績と誠意

 

40余年の実績で、皆様と共に歩んでゆきます。

 当サイトと連動し、平日毎日複数本のブログ発信をし、経営コンサルタント歴40余年の独断と偏見から何かを感じ取っていただけると幸いです。
 経営者・管理職向けの記事、それを裏返すと経営コンサルタントなど士業の先生方にも参考となります。 
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 今日の写真  3月18日
 
 【今日の写真】 早春の京都 詩仙堂

 史跡「詩仙堂 丈山寺」 石川丈山は、隷書、漢詩の大家であり、わが国における煎茶(文人茶)の開祖と言われている。

 丈山は、家康に仕え武勲をたてただけでなく、平素から読書に親しみとくに詩を好みました。(詩仙堂ウェブサイトより)

  私が撮影した詩仙堂の写真 http://www.glomaconj.com/butsuzou/meisho/kyoto/kyoto_shisendou.htm

今日は何の日    3月18日

 明治村開村記念日

 愛知県犬山市にある博物館明治村は明治の建築物を保存展示する野外博物館です。1965(昭和40)年3月18日に開村しました。

 戦後、経済の急速な変化の中で、明治時代の建物がスクラップ・アンド・ビルドのかけ声と共に年々減少してきました。

 谷口吉郎(博物館明治村の初代館長)は友人土川元夫とともに、明治の建築物の保存活動をお越しました。

 明治村公式サイトによると下記のように説明されています。

開村当時は遥々と北海道から移築された札幌電話交換局、京都聖ヨハネ教会堂、東京で森鴎外と夏目漱石の両文豪が奇しくも相前後して住み数々の名作を残した由緒ある住宅などの建物や、電車等の施設物15件に過ぎなかったが、現在では67件に達し、博物館の敷地も2倍近くの100万平方メートルに広がっている。

   博物館明治村 ←クリック

 若かりし頃訪れた時に、明治時代を彷彿とさせてくれるというのは、あのような雰囲気なのかもしれません。いまだに記憶に残っているのが日本で最初の灯台です。遠くに園内の池を背景にしたレイアウトは、明治村の設計者に脱帽でした。

 2017年に再び訪れました。若き頃、知らなかったためにキチンと見ていなかったところを再び訪れたことにより、理解が深まりました。

 行ってみますと、明治を感じられますので、是非、たくさんの人に訪れてほしいものです。

 
 

■ 気多大社(けたたいしゃ)のお祭り

 正式名称は、「氣多大社」と、古い漢字を使います。読み方も「きた」ではなく「けた」で、旧称は「気多大神宮」です。

 石川県羽咋市寺家町にある神社で、旧社格は、国幣大社ですので、格の高い神社といえます。

 12月16日に開催されます「鵜祭(うまつり)」は、古式豊かなお祭として知られています。

 3月18日には、おいで祭も開催されます。


■ その他

 石川気多大社おいで祭
◇ 宇佐鳩替神事


【経営コンサルタントの独り言】

■ 近代日本の原点を明治村に見る


 100万平方メートルもある博物館明治村は、一度は訪れたいところです。

 明治時代の建築物が100近くも立っていますし、明治時代の牛鍋を食べることができます。

 北海道の旭川動物園のような工夫はあまり見られませんが、初代艦長の谷口氏の意志は引き継がれているように見えます。

 とはいえ、私が訪れたのは35年ほど前になりますので、今は大分変わっているのでしょう。

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 江藤 新平  幕末明治初期の佐賀藩の藩士「佐賀の七賢人」

 えとう しんぺい
 天保5年2月9日(1834年3月18日)- 明治7年(1874年)4月13日

 幕末から明治時代の日本の佐賀藩士で、政治家です。幼名は恒太郎・又蔵、諱は胤雄・胤風、号は南白です。

 朝臣としての正式な名のりは、平胤雄(たいら の たねお)で、「維新の十傑」、「佐賀の七賢人」の一人に挙げられています。

 文久2年(1862年)に脱藩し、京都で活動し、長州藩士の桂小五郎(木戸孝允)や公家の姉小路公知らとの接触があります。

 15代将軍・徳川慶喜が大政奉還を行って、幕府が消滅した慶応3年(1867年)に、郡目付となりました。

 薩摩藩と長州藩は、公家の岩倉具視と結び、慶応3年12月9日(1868年1月3日)王政復古の大号令を行い、新政府が誕生しますと、佐賀藩も参加し、新平は副島種臣とともに京都に派遣されます。

 戊辰戦争で、江藤は東征大総督府軍監に任命され、土佐藩士の小笠原唯八とともに江戸へ偵察に向かいます。薩摩藩の西郷隆盛と幕臣の勝海舟の会談で江戸開城が決定しますと、江藤は城内の文書類を接収しました。

 京都へ戻り、大木喬任と連名で岩倉具視に対して江戸を東京と改称すべきこと(東京奠都)を献言しました。

 旧幕臣らを中心とする彰義隊が活動していた問題では大村益次郎らとともに討伐を主張し、軍監として上野戦争で戦い、彰義隊勢を寛永寺周辺に追い詰め、さらに佐賀藩のアームストロング砲を遠方射撃する戦術などにより彰義隊は瓦解しました。

 江藤の献言が通って明治天皇が行幸して、江戸は東京と改称されました。

 明治6年(1873年)には、朝鮮出兵を巡る征韓論問題から発展した政変で西郷隆盛・板垣退助等と共に下野(表舞台からおりる)しました。

 佐賀の乱で、江藤は急設された佐賀裁判所で司法省時代の部下であった河野敏鎌によって裁かれ、処刑されました。

 【 注 】
「今日は何の日」「今日の人」は、Wikipedia、富山いづみ氏のサイト、他を参照し、独自に記載したものです。従いまして、当サイト及びブログ等々に関しては、無断複製転載及び模倣を固くお断り申し上げます。
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