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経営者・管理職とコンサルタント

35年の実績と誠意

今日は何の日 話材からヒントと気づきを

40余年の実績で、皆様と共に歩んでゆきます。

 当サイトと連動し、平日毎日複数本のブログ発信をし、経営コンサルタント歴40余年の独断と偏見から何かを感じ取っていただけると幸いです。
 経営者・管理職向けの記事、それを裏返すと経営コンサルタントなど士業の先生方にも参考となります。 
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 【今日の写真】  
【今日の写真】 花の女王「ラン」 国際ラン展より

 ランは、英語でOrchidといいます。主に熱帯から亜熱帯に自生しますが、南極意外何処でも見られるというのは“想定外”のことです。 
今日は何の日      2月2日
■ 情報セキュリティの日

 2006(平成18)年2月2日に、内閣府情報セキュリティ政策会議で「第一次情報セキュリティ基本計画」が定められました。その年の10月に、政府の情報セキュリティ政策会議において「情報セキュリティの日」が制定されました。

 サイバーテロが懸念される今日、政府を始め重要な情報を扱う機関では、高い危機意識を持って欲しいものです。一人の国会議員のセキュリティ意識の低さと軽率さが、国会議員関連の情報漏洩に繋がるのですから、もっともっと危機意識を高める必要性があります。
 妻の友人で、かつてはパソコン教室で講師をしていたという人がいます。その人は、パソコンにセキュリティソフトをインストールしていないということを聞き、驚きと怒りを感じました。

 運転免許証なしで自動車を運転する人と同じように、あるいはそれ以上かも知れませんが、危険なことだと思います。

 我々一人一人が、高い危機意識を持たなければいけないと考えています。

 日本は、先進国では希なほど、安全な国と言われています。そのために、「自分がその様な被害に遭うことはない」と思い込んでいるのかもしれません。

 オレオレ詐欺の被害が大きいのは、相手が一枚上手なのかもしれませんが、日本人の危機意識欠如というか、相手を信じるすばらしさに溢れ、疑う気持ちがないというのか、そのようななにかがあるのかもしれません。

 ただし私自身は、その場に立たされたら自信はありません。

■ 夫婦の日

 「ふ(2)ふ(2)」を「ふうふ」と読ませ、その語呂から、2月2日は「夫婦の日」です。

 ある統計によると、日本人夫婦の60%が仲が良い夫婦であると認識しているそうです。一方で、別の統計によると「来世でも同じ日とを伴侶にしたいか」という質問に対しては「したい」と回答した日とは20%に充たないとのことです。

 矛盾しているようでもあり、納得できるようでもあります。

 夫は元気で、外で働いて、顔をつきあわすことが少ない方が良いとか、顔を見るのも嫌などと言う奥さんもいる時代です。60%もの夫婦が仲が良いという数値が真実であれば、素晴らしいことと思います。

 1月の1を、アルファベットのIに見立て、「あい(I)さい(31)」の語呂合わせから、1月31日を「愛妻家の日」日と日本愛妻家協会が制定しました。

 同様に、4月22日が「よい夫婦の日」、11月22日が「いい夫婦の日」11月23日が「いい夫妻の日」です。

 因みに、毎月22日は「夫婦の日」ですので、毎月この日に奥さん孝行をしてはどうでしょうか。エッ!!そういう自分が・・・ ハイハイ、わかりました。「まず隗より始めよですね。


■ その他
◇ 黒川能
 開通上人寂
 
経営コンサルタントの独り言】

◆ 江戸っ子は竈(?)を持たない

 昨今、ご飯は電気やガスで炊くのがあたり前です。

 江戸時代には、釜を使って七輪の上に載て炊いていたようです。

 竈は持っていなかったそうですので、竈のある家はお金持ちだったと言えます。

 そのごはんも、赤茶色していたと言うことは先週でお話しました。

「ご飯」は一日に一回、あとは「飯(めし)」を食べていたそうです。


 ところがその七輪を持っていた人は四世帯に一軒くらいで、他の人は持っていなかったと言いますので、驚きです。

 いったい、七輪を持たない家族はご飯をどの様に炊いていたのでしょうか

 ご飯と飯はどう違うのでしょうか?

「竈」って何に? 何と読むの?

  http://blog.goo.ne.jp/admin/editentry?eid=56a2815e7193b9a3832dc9f1efeca624&p=2&disp=30

【 注 】
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 行基

 ぎょうき/ぎょうぎ
 天智天皇7年(668年) − 天平21年2月2日(749年2月23日)

 奈良時代の日本の僧。和泉国(現在の大阪府堺市)に生まれ、15歳で出家し、法興寺、薬師寺で唯識等を学びました。また、徳光、道昭、義淵などにも受法(学ぶ)しました。

 生駒山に隠遁生活をした後、諸国を遊下して寺を創建しました。

 民衆への仏教の布教活動を禁じた時代に、禁を破り畿内を中心に民衆や豪族など階層を問わず困窮者のために、弟子を率いて架橋や開田など社会事業に偉業を残しました。朝廷からは度々弾圧や禁圧されましたが、民衆の圧倒的な支持を得、その力を結集して逆境を跳ね返しました。

 その後、日本で最初のとして聖武天皇により奈良の大仏(東大寺)造立の実質上の責任者として招聘され、諸国を勧進して資金集めをし、その功績により東大寺の「四聖」の一人に数えられています。


 

 幡随意上人

 ばんずいい
 天文11年10月15日(1542年11月21日)− 慶長20年1月5日(1615年2月2日))

 戦国時代から江戸時代初期にかけての浄土宗の学僧で、紀伊(相模国という説もあり)の出身です。号は「白道演蓮社智誉(向阿)」

 9歳の頃から出家の志があり、11歳の歳には玉縄二伝寺(藤沢市所在)で出家し、幡随意と号しました。

 その後、鎌倉の光明寺で浄土教学を修め、武蔵国川越の蓮馨寺(れんけいじ)の存貞にも学びました。

 慶長6年(1601年)、徳川家康の命により江戸で浄土宗法論の奉行役を務め、翌・慶長7年(1602年)に京都百万遍知恩寺の33世住持となります。

 慶長8年1603年には、ふたたび家康によって招聘され、江戸神田駿河台に新知恩寺(のちの関東十八檀林の一つ幡随院)を開創しました。後に上州館林に善導寺を開き、中興開山となりました。

 慶長18年(1613年)徳川家康の命により九州に下り、キリシタンの改宗に力を尽くしました。和歌山の万性寺を開創後、慶長20年に入寂、74歳でした。(【Wikipedia】を基に作成)




■ 慈昌 (源誉存応)

 じしょう
 天文13年1月10日(1544年2月2日)− 元和6年11月2日(1620年11月25日)

 安土桃山時代から江戸時代にかけての浄土宗の僧でえ、号は貞蓮社源誉存応、武蔵国多摩郡由木の出身です。

 初め武蔵国新座郡の時宗大平山法台寺の蓮阿に師事して出家、一遍の法流を伝えました。

 1561年(永禄4年)岩瀬大長寺の存貞に従って浄土宗に改宗し、その後武蔵国川越蓮馨寺をへて、1574年(天正2年)与野長伝寺を開創し、1584年(天正12年)には江戸増上寺の12世となりました。

 1590年(天正18年)徳川家康の関東入部にともない師檀の関係を持ち、増上寺は徳川家の菩提寺となりました。

 1598年(慶長3年)増上寺の寺地を現在の芝(東京都港区)に移して、家康の手厚い保護のもと京都知恩院とともに浄土宗の名刹となりました。

 浄土宗法度や浄土宗関東十八檀林制度の議に参加し、また紫衣の綸旨を賜っています。また、「普光観智国師」の号を贈られました。

 現在、増上寺山内塔頭に「観智院」があります。




 【 注 】
「今日は何の日」「今日の人」は、Wikipedia、富山いづみ氏のサイト、他を参照し、独自に記載したものです。従いまして、当サイト及びブログ等々に関しては、無断複製転載及び模倣を固くお断り申し上げます。
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