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経営者・管理職とコンサルタント

35年の実績と誠意

今日は何の日 話材からヒントと気づきを

35年の実績で、皆様と共に歩んでゆきます。

 当サイトと連動し、平日毎日複数本のブログ発信をし、経営コンサルタント歴35年の独断と偏見から何かを感じ取っていただけると幸いです。
 経営者・管理職向けの記事、それを裏返すと経営コンサルタントなど士業の先生方にも参考となります。 
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名言・格言・金言

名言格言や四字熟語を学びながら、
経営のヒントを併せて得ることができるという切り口で、
お陰さまで好評を得ています。
話材にも使えますので、ご活用下さい。

 
【夏目漱石】 精神的に向上心がないものは馬鹿だ - 経営コンサルタントとしての自分を省みる  10
 
 夏目漱石(1867~1916)の「こゝろ」の一節です。この作品は、吾輩は猫であるなどと並ぶ代表作です。
 
 下記の書き出しで始まります。
 
 私わたくしはその人を常に先生と呼んでいた。だからここでもただ先生と書くだけで本名は打ち明けない。これは世間を憚はばかる遠慮というよりも、その方が私にとって自然だからである。
 
 先生、友人K、父と彼を支える母などの人間関係、人の死との向き合いの中での心の葛藤、その中での下記の一節にある言葉です。
 
 私はまず「精神的に向上心のないものは馬鹿ばかだ」といい放ちました。これは二人で房州を旅行している際、Kが私に向って使った言葉です。私は彼の使った通りを、彼と同じような口調で、再び彼に投げ返したのです。しかし決して復讐ではありません。私は復讐以上に残酷な意味をもっていたという事を自白します。私はその一言でKの前に横たわる恋の行手を塞うとしたのです。
 
 最近、言葉やメールなどを通じて、他の人を非難したり、罵倒したりする状況を多いような気がします。それを感じることの一つが、電車の中吊り広告です。自分の考え方が正しいという前提で、相手を否定するようなことがマスコミ媒体を通じて流されてしまうのです。
 
 人の考え方というのは様々であり、時として、あるいは切り口により、どちらが正しいとは断言できない事象というのがあります。それを一方の考え方で主張しすぎると、相手を理解する機会を失ってしまいます。
 
 私は、管理職や経営者を相手にした研修や会話の中で「相手が愚かに見えたら、それは自分自身の驕りである」ということをお話するようにしています。これは、実は、自分自身への戒めなのです。
 
 経営コンサルタントという仕事をしていると、「経営者が間違えている」「わかっていない」などと、一方的な見方をしてしまい兼ねません。それでは、自分の考えを押しつけてしまうことになります。
 
 経営コンサルタントというのは、経営者・管理職に対していくつもの選択肢の中から判断をさせ、その判断の長短や今後の予測を鑑みてアドバイスをし、その判断を尊重しながら支援していくなかで、常に進捗状況と経営環境等を鑑みて、一層効果的な方法を採れるようにサポートするのがよいと考えてやってきました。
 
 この方法でも紆余曲折がありましたので、これが正しいやり方かどうかの判断はいまだにできかねますが、それで35年もの長きにわたってやってこられたのは、大きく誤っていないのではないかと考えます。
 
 因みに漱石の本名は、夏目金之助で、俳号は愚陀仏です。千円札の肖像としても使われていたことは、皆様にも記憶に新しいことではないでしょうか。
 
 
 
 
 明治時代の文芸評論家というのか思想家の一人である高山樗牛の言葉です。
 
「己の立てるところ」というのは自分自身の足下のことです。企業であれば、その会社のコアコンピタンス、すなわち自社にとってははずすことのできない商品・サービスであったり、社是や家訓といったりするものも含まれるでしょう。経営士・コンサルタントで言えば、自分の専門分野と言うことでしょうか。
 
 あまりあれこれと迷わず、困ったときには原点に戻れという意味でもあるかもしれません。コアコンピタンスであったり、自分の専門分野であったり、その基本のところからはじめて、そこを極める努力をしてはどうでしょうか。
 
 あまり背伸びをせず、自分自身でできることに専心しているうちに、いつしか道が拓け、成果に結びついていくでしょう。
 
 樗牛は、日本初の総合雑誌といわれる「太陽」を主宰しました。国粋主義的な面があるかと思うと著書『わがそでの記』ではロマン主義的な美文を書き、美学をめぐっては森鴎外と論争をしたりしています。
 
【Wikipedia】
高山 樗牛(たかやま ちょぎゅう、 1871年2月28日(明治4年1月10日) - 1902年(明治35年)12月24日)は明治時代の日本の文芸評論家、思想家。東京大学講師。文学博士。明治30年代の言論を先導した。本名は林次郎。
 
 
 
【山本常朝】大難大変に逢うても動転せぬといふは、まだしきなり。大変に逢うては歓喜踊躍して勇み進むべきなり  12
 
 山本常朝(1659~1719)は、江戸中期の学者で、この名言は、彼の著「葉隠」の一節です。
 
「葉隠」は、彼の属する佐賀藩において武士の生き方やそれに関係する人達の逸話をもとに書かれた本です。
 
「大きな困難や大変な問題に直面して、平静を保っていられるとだけでは、まだまだ未熟者である。そのような状況を遭遇したら、むしろ喜び勇んで立ち向かっていこう」という意味です。
 
 困難や問題に直面すると、どうしても動揺したり、怖じ気づいたりしてしまいがちです。それなのに、泰然自若としていることは難しいですし、喜び勇んでそれに取り組むことなど、凡人にはできないことです。
 
「若いうちの苦労は買って出よ」と子供の頃、母から教えられましたが、それを実行してきたかというと、自信はありません。しかし、経営コンサルタントという仕事をし始めてからは「胆力」の重要性を感じています。
 
 経営士・コンサルタントが取り組むべき課題の中には、未経験な問題・課題が山積していることもあります。解決の自信を失うようなことも多々あります。しかし、そこで逃げてしまっては経営士・コンサルタントとしてはやってゆけません。そのようなときに、胆力の必要性を感じます。
 
 
 
【夏目漱石】智に働けば角が立つ。情に棹させば流される。意地を通せば窮屈だ。兎角に人の世は住みにくい。  13
 
 どこかで聞いたことがある言葉ですが、「はて誰の言葉だったっけ?」と首をひねる人が多いのではないでしょうか。夏目漱石の・・・・・というと、「ああ、枕草子の一節」ではなく「草枕の一節だ」と思い出されるのではないでしょうか。
 
 知識をひけらかすといやみったらしくて、人から敬遠されがちです。上から目線でモノを言う人が多いですね。そういう私も人様から見るとその一人なのかも知れないと思いつつも「お節介焼き」が疼き、ついつい偉そうなことを言ってしまいます。
 
「情に棹させば流される」人情に流されると酷い目に遭うことがあります。これも私への忠告かも知れません。ついつい、情にほだされて安請け合いしてしまいます。同情は、相手も迷惑に思っているかも知れないのに、くどくどと同情の言葉を連ねてしまいがちです。
 
「意地を通せば窮屈だ」意地っ張りは、端から見ていても気持ちの良いモノではないですね。意地を通すと、他の人とぶつかることが多いですね。一方で、意地っ張りな人の多くは意志が強い人でもあるように思えます。意志が強いということは、我慢強いと言うことにも繋がるかも知れません。「石の上にも三年」と子供の頃、母からよく言われました。
 
「兎角に人の世は住みにくい」人間というのは、皆それぞれ価値観も違えば、考え方も異なります。そのような人達が一緒に生活すれば当然摩擦も起こります。しかし、世の中には他人のことを思んばかったり、相手の立場を考えなかったりした振る舞いをする人が多いような気がします。
 
 東京駅を毎日のように利用しますが、中央のコンコースだけではなく、どこも人が溢れています。私の前方右の方からキャリーカートを引っ張りながら30代とも割れる男性がやって来ました。私の直前で右カーブを切ったモノですから、カートに私の足が引っかかってしまいました。柔道の受け身よろしく、ごろりと一回転。一回転したから骨折もせずに済みました。
 
 平素から、キャリーカートを引っ張る人がいるときには気をつけているのですが、その時は、私の右にいた人が財布からお金を落としたこともあり、前方からの男性に注意しなければいけないにもかかわらず、転がるお金を足で止めようとしたことが災いをしてしまったのです。
 
 急に進行方向を変えれば他の人に迷惑がかかるという意識が薄いのでしょうか。平素人の目の前を平気で横切る人がいますが、世の中は自分一人ではないのだから、思いやりが必要であることをもっと子供の頃から教えるべきではないでしょうか。
 
 兎角、近年は住みづらい世の中になってしまいました。
 
 
 
【柳井正】 チャレンジしない限り将来はない  14
 
 ユニクロを知らない人は、珍しいと言われるほど、誰もが知っている企業です。その親会社のファーストリテイリングの会長兼社長である柳井正氏の名言に「Change or Die」ということばがあります。直訳すれば「変革かそれとも死か」ということになりますが、「変革」をしなければ他方の「死」しかないということをおっしゃっているとおもいます。すなわち「チャレンジしない限り将来はない」ということです。
 
 人間は、変化を好まない性癖があります。現状に満足し甘んじて、ぬるま湯に浸かり続けてしまい、結果としてダメになってしまうのです。老舗と言われる企業に時々見られます。例えば、乳製品業界の雪印乳業があります。二度の不祥事のために、グループ全体の連結売上高が1兆円を超える巨大食品グループであったのが、雪印メグミルクへ吸収合併されてしまいました。
 
 もともとは、山口県のメンズショップでした。それを今日のように、GAPに代表されるような世界的な衣料品企業を目指せる企業に成長させたのが柳井氏と言えます。企業理念の「服を変え、常識を変え、世界を変えていく」をもとに多角化経営で展開してきました。彼の経営者としてのすばらしさを肌で感じる機会はこれまでにありませんが、「Change or Die」は、私の心をとらえました。
 
 話は脱線しますが、私のよく知っている経営士が、ユニクロを題材とした論文で通産大臣賞に入賞した先生がいます。経営者だけではなく、経営士・コンサルタントとしても学ぶべきところが多いと言うことでしょう。
 
 
 
【清少納言】“よろづのことよりも、情けあるこそ、男はさらなり、女もめでたくおぼゆれ”  15
 
 先般、夏目漱石の草枕の一節「智に働けば角が立つ」をご紹介しましたが、この言葉は清少納言の枕草子の一節です。
 
「何ごとにおいても、情けのあることが肝要です」というのが前半の意味です。「情けがありがたいことで、男性からの思いやりは格別に嬉しいし、それがたとえ同性の女性であっても嬉しいことです」という意味でしょうか。
 
 上述の草枕の一節も人の思いやりについて書かれていますが、草枕でも清少納言は、人から受けた思いがけない思いやり、好意は人を喜ばせると言って、その必要性を説いています。ちょっとした思いやり、優しさが、どれだけ人を和ませるでしょうか。
 
 狭い歩道を歩いていて、前方から人が来たので、脇にちょっと寄って相手が通りやすくしてやるようにしばしばします。昔なら「ありがとう」などと言ったり、笑顔を返してくれたりするのが当たり前でした。
 
 最近は、それで当然という顔で通り過ぎます。お節介焼きの私は、「礼ぐらい言いなさい」とお説教を垂れたくなりますが、最近は逆ギレされて、命すら危うくなりかねません。
 
 シルバーシートと携帯電話を除いている人をしばしば見かけます。頭の真っ白な人が目の前に立っていようが、ペースメーカーをつけていようが、我関せず。ある日、腰の曲がった老婆がいるのに、足を組んで尻を浅く座った若者に注意をしました。私を無視して形態でゲームかメールを続けていたので再度注意したら汚い言葉を返してよこしました。その老婆が、私の袖を引いて「やめてください」と小声で言いました。その反対側に座っていた私と同世代と思える、はやり白髪の交じった男性が席を譲ってくれました。
 
 それで私も済ませるつもりでいたら、電車のドアが閉まりかけたときにあわててその若者が立ってホームへ奪取をかけました。私を突き飛ばすつもりではなかったのでしょうが、私に体当たりをするように、脱兎のごとく出て行きました。当然、私はよろけましたが、幸い傍らにいた男性に助けられて倒れる大事には至りませんでした。
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”兎角に人の世は住みにくい”
 
 
 
【竹田出雲】 武士は相身互い  16
 
 竹田出雲を始めいろいろな人が「仮名手本忠臣蔵」を書いています。その中に「お前もお侍の果たそうなが武士は相身互」という言葉があります。
 
 「武士同士、同じ志を持っている者同士が連携して、一致団結することにより、一人一人の力は微力であっても、その連帯意識が大きな力を生むことに繋がる」という意味です。
 
 製造業を訪問すると、ある一人の傑出した職人の力に企業が支えられている状況を目の当たりにします。職人気質が丸出しで、自分から教えようとはしません。「技術は盗むモノ」と公言すらしています。
 
 また、経営コンサルタントの社会でも、自分の持っているノウハウを仲間同士明かさない習癖があります。一匹狼的な面が強く、生きていくためには、自分が持っているノウハウが飯の種で、人に盗まれてしまっては、自分の存在意義がなくなってしまうと考えてのことでしょう。
 
 今日、経営環境はグローバル化し、技術や社会環境の急激な変化は茶飯事です。これまで後生大事に守ってきた自分のノウハウの陳腐化も激しいです。例えば、経営コンサルタントというプロで見てみましょう。昨日までは、自分のやり方で飯が食えていたのに、ある技術革新のおかげで自分の飯の種が威力を発揮しなくなってしまうということが起こります。
 
 そのような時に慌てないように、プロであっても常に一歩先を見ながら自己研鑽が必要です。
 
 私は、平素から「共業・共用・共育」という、「共」という時が連なって共産党さんから表彰されるような「奇妙な言葉」を使っています。内閣府認証特定非営利活動法人・日本経営士協会の指針にもなっています。
 
共業
 会員が自分の強みを活かし、弱点を他の会員と共に補完し合いながら、共に汗を流す、いわゆる会員参加型会員同士がアライアンス(同盟)を組み、不得意な分野は他の会員とコラボレーション(共同的分業)
 
共用
 共業を通じた情報や技術を蓄積、個に偏重するのではなく、協会としてのノウハウ蓄積、会員全体の財産とし「共用」する、会員が持つ知識・ノウハウ・経験・情報などを皆で利用
 
共育
 会員自身が自分の存在価値をアッピール、それを財産の共用を通じ活用、明日へのさらなる発展につなげる、共に成長する、相互研鑽、研究発表の場、研修会、意見の発表などなどを通じて、皆で大きく成長できる組織でありたい
 
 共業・共用・共育を通じて、一丸となり、皆で力を合わせて成長していける組織を目指しています。
 
 
 
【脇坂義堂】 善し悪しの人にはあらで我にあり  17
 
 江戸中~後期の心学者である脇坂義堂(?~1818)の言葉に「善し悪しの人にはあらで我にあり。形直うて影もまがらず」(孝行になるの伝授)というのがあります。
 
 世の中、人間関係の難しさは、ほとんどの人が経験しているのではないでしょうか。人の中には、自分に対してきつく当たってきたり、冷たくあしらったり、時には「しかと」したりと、色々な態度を向けてくることがあります。
 
 その様なときに、「あいつは俺を嫌っている」「彼は他人のことが何でも気に入らない」等など、色々と詮索をします。その時に、「その原因が自分にあるのかも知れないと思うことが必要である」と脇坂は言いたいのだと思います。
 
 なぜなら「形直うて影もまがらず」、すなわち自分の姿勢が悪ければ、自ずとその影の形も異形を投じているはずだからです。
 
 他の人からよく思われないことがあれば、自分自身を振り返ってみると、「その原因は、自分の言動にあった」とうことがしばしばあります。
 
 ところが世の中には、相手の一面を見ただけで、「相手が悪い」と決めつけてしまう人が多々あります。その様な人は、情報が不足していたり、その情報そのものが誤っていたり、その情報を自分が曲解していたりというような原因にあることをしばしば見てきました。
 
 それを自分自身に置き換えてみると、自分が同じことをしているがために、自分が嫌われたり、厭がられたりしていることに気がつきます。気がついたら、改めるように努力をすれば、自然と人間関係は改善されてゆきます。ところが、残念ながら世の中には、気がつかない人が多いのも事実です。
 
「人の振り見て我が振り直せ」
 
 
 
【梅崎春生】 お節介こそ人間が生きていることの保証である  18
 
 梅崎春生(1915~1965)の小説「ボロ屋の春秋」の一節です。平素「お節介焼きコンサルタント」として、人様の懐を豊かにするコンサルティングという仕事を生き甲斐としている者に取っては、この言葉は我が意を得たりという思いです。
 
 電車内で主人公がスリを見つけたことを契機に、自分の人生に波風が立つ物語です。お節介ながら、その小説を読んだ読後感を以下に書かせていただきます。
 
 野呂旅人という31歳の小男 栄養を取っていないのでやせて背も低い。
 
 四畳半の和室が東西にあり、中央に八畳の洋室がある築三十年のボロ家、台所、便所、風呂場、50坪の庭を共有する。
 
 ある日都電の中で、座っている主人公の前に立っていた不破一馬、彼の隣に立って足っていたサラリーマン風の男が財布をすり撮る現場を目撃した。スリは、出口の方向に移動したので、お節介にも主人公は不破にそれを告げ、下車したスリを二人で捕まえた。スリは手慣れたもので、すった財布を不破に返すと逃げて言ってしまった。
 
「すられたものと諦めて豪勢に行きましょう」という不破の誘いに乗ったが、最後は不破は酔いつぶれてしまった。不破の財布には225円しか残っていないので、主人公が飲み代を支払い、終電に間に合わないので、不破の家に泊まることになった。
 
 不破は夫婦二人の生活だが、家財道具は最低限度のものしか持っていなかった。四畳半の和室が東西にあり、中央に八畳の洋室がある築三十年のボロ家、台所、便所、風呂場、50坪の庭がある。
 
 ひょんないきさつから主人公は不破の家に間借りをすることになり、契約をした。一週間ほどしたある朝、不破夫婦は失踪した。この間に、契約金や家賃の前払いなどをしただけに不安になった。
 
 不破の置き手紙にあった野呂旅人という31歳の小男が数日後やってきて不破の部屋に住むこととなった。そこに二人の男が不破の借金を取りにやってきた。一人は台湾生まれの陳は不破に18万円貸しがあるという。
 
 だまされた三人は、陳の中華飯店の二階で対策を練ることにした。おいしい老酒を飲まされた後で、二人は陳の差し出した書類に拇印を押したことはおぼろげながら覚えている。
 
 主人公と野呂というスリとがひょんなことから同居することになりました。家賃をどうするか陳の店で相談をしました。
 
 数日後、陳の代わりの男が家賃を取りに来て、同意していないと反論をしたが書類に押してあるし、その男の剣幕に押されて支払うことになった。二人は、不破にそれぞれ4万円を取られたあげく、この男らに毎月家賃を支払うことになった。ただし、野呂の部屋は西日が当たるからという理由で、主人公が野呂よりは毎月200円余分に支払うことに譲歩した。
 
 ある日、陳から二人宛に速達が届き、この家を二人に10万円で売却する。ただし、買わないのであるなら30日以内に出て行けというような内容であった。各5万円ずつ出して購入することになった。
 
 野呂は、何とか不破を探して、自分に有利になるように着々と手を打っていることがわかった。不破が滞納していた固定資産税の徴収に来た税務署員に事情を説明した。署員は何とか滞納税をうまく処理するために上司に運動費を出すことを提案してくれた。
 
 毎日の生活も野呂のペースに巻き込まれ、主人公はいろいろな面で割を食っている。例えば大掃除の折に、自分がちょっと席を外した間に、自分の部屋の良質な畳をの路に取られてしまったが、それが自分のものであることを証明できず、泣き寝入りをすることになった。
 
 難の解決もしないまま、この生活が続いているのです。
 
「お節介こそ、自分が生きている保証である」と主人公が自問自答する中で独り言を言います。社会正義や人に対する思いやりからの行動ではなく、単なるお節介焼き、出しゃばり精神からであると悟る。
 
 この主人公は、お節介が端緒でいろいろとソンをするが、決して自分がお節介であることを悔いているのではなく、お節介こそが人と人を結びつけているのかもしれないと考えるのです。
 
 お節介は、こちらはよいと思ってやってやるのですが、相手にとっては迷惑なことが多々あります。でも、私はお節介を自分の心情として経営士・コンサルタントとして何十年もやってきましたし、多くの損をしてきましたが、この主人公と同様に悔いてはいません。否、お節介こそ、経営士・コンサルタントには不可欠なことと信じています。 
 
 
十三日。 なし。

十四日。 なし。

十五日。 かくまで深き、

十六日。 なし。

十七日。 なし。

十八日。 ものかいて扇ひき裂くなごり哉 ふたみにわかれ

十九日。
 十月十三日より、板橋区のとある病院にいる。来て、三日間、歯ぎしりして泣いてばかりいた。銅貨のふくしゅうだ。ここは、気ちがい病院なのだ。(青空文庫より
 
 これは、太宰治の HUMAN LOST の冒頭の一節です。苦悩する太宰は、「われら生き伸びてゆくには、二つの途みちのみ」と述べています。ナポレオンと異なり「私の辞書に軽視の文字なかった」とある部分で、自分の人生を振り返り、12日に退院するその2日前に「笑われて、笑われて、つよくなる」と言っています。
 
 「人間というのは、人から馬鹿にされ、笑われて成長するのだ」と太宰から学んだような気がします。嘲笑は、私たちに非常なショックを与えます。言葉の暴力、最近はツイッターなどを通じた暴力、自分をさておき、他のみを攻撃する風潮が強くなっているような気がします。
 
 一方で、それをバネにして成長する人もいます。
 
 私が、当ブログで時々紹介する「知修塾」というのがあります。これは、日本で最も歴史の長い日本経営士協会の経営コンサルタント育成の場の一つです。
 
 「知識を修得するのに、人前で恥をかく」というのがコンセプトです。それをコンセプトと言うと少々言い過ぎですが、自分が学んだことを人前で発表します。経営コンサルタントというのは、人に自分の考えを伝えることで自分の仕事が成り立ちますが、そのための訓練法として、講師を務める経験を積むための場でもあります。
 
 知修塾を開講するときに、太宰の「笑われて、笑われて、つよくなる」を私の頭に描いていたことを想像できる方も多いでしょう。
 
 経営コンサルタントは「プロ」です。心身が強くなければやって行けません。知修塾は、他の塾員からの「嘲笑ではなくアドバイス」を糧に、プロとして成長する場でもあります。
 
 
 
一村は、互いに助け合い、互いに救い合う  02
 
・・・一村は、
・・・互いに助け合い、
・・・互いに救い合うの
・・・頼もしき事、
・・・朋友のごとく
・・・なるべし。
 
 上杉鷹山(1751~1822)は「伍什組合の仰出(おおせいで)」の中で、民衆のための相互扶助組合の確立の必要性を説いています。
 
 上記は、その中の一節で、人というのは一人では何ごとも成し遂げることは困難なので、農民組合の結成を主張しています。すなわち、助け合いの必要性を説いているのです。
 
 私は、内閣府認証特定非営利活動法人・日本経営士協会の理事長を拝命したときに「共業・共用・共育」ということを前面に出して、協会改革を実施しました。
 
 当時の協会は、新規入会者は皆無に近く、会員数が激減する中で、残る会員は高齢者ばかりになってしまいました。日本で最初にできた経営コンサルタント団体という伝統と格式のある組織にもかかわらず、この惨状は見るに見かねました。
 
 理事長の器にはほど遠い私でしたが、この風前の灯火惨状をどうにかしなければ、日本の経営コンサルタント業界に汚点を残して消えてしまうという強い危機感を覚えました。
 
 当時の役員はその現状をただこまねいてみているだけで、何の手を打つこともせず、心ある何人かの会員に担ぎ出されて引き受けました。しかし、落ちるところまで落ちてしまったために「経営士」という資格を知っている人は世の中にほとんどいなくなってしまっていました。
 
 それを挽回するためには、私一人ではダメであり、まずは経営士の資格を持つメリットを明確にし、それを確実にするために上述の「共業・共用・共育」を掲げたのです。
 
 それを知らしめるためには、当時、経営コンサルタントと言いながらインターネットを軽視していた当協会で、メールマガジン、メーリングリスト、ウェブサイトを核にパブリケーションを開始しました。
 
 身近にいる会員の必死の努力で、ようやく会員数が増加する傾向に転じ、まだまだ不充分ながら知名度も少しずつですが回復してきました。
 
 鷹山(ようざん)と比べるのはおこがましいですが、伝統があるだけに変革の難しさを身を以て体感し、鷹山の偉大さを実感しました。
 
 鷹山を知っている方は多く、信者とも言えるほど熱心な研究者の皆さんも多数いらっしゃいます。江戸時代中期、出羽国米沢藩の第9代目の大名です。前半種から引き継いだものの財政に窮し、領地返上寸前にまでに至っていました。
 
 それを再生させた名君と言われ、その手腕は今日の経営に通じるものがあると言われています。それだけに名言は多数残されています。
 
 誰もが知っている名言として「なせば成る 為さねば成らぬ何事も 成らぬは人の為さぬなりけり」というのがあります。
 
 鷹山が家督を譲る時に「伝国の辞」として、藩主の心得を説いています。
 
一、国家は先祖より子孫へ伝え候国家にして我私すべき物にはこれなく候
 
一、人民は国家に属したる人民にして我私すべき物にはこれなく候
 
一、国家人民のために立たる君にし君のために立たる国家人民にはこれなく候
 
 「国家」を「会社」とか「企業」という言葉に置き換えて考えてみると、一層理解が深まるのではないでしょうか。
 
 
 
 初心が魅力を作る  03
 
 「初心が魅力をつくる」は、城山三郎がその著「逆境を生きる」の中で述べている言葉です。
 
 「魅力」とは「人の心をひきつける力(広辞苑)」のことですが、「定義するのはむつかしい」と城山は本著で述べています。そして「魅力がない」と逆の方向からアプローチをしています。
 
 まずは、「型にはまった人」を挙げています。
 
 「型」を「椅子」に置き換えて見ると、平社員の時には小さな机が与えられます。学校を卒業して、初めて与えられた席に座って、「よし、これからがんばるぞ」と思い立って40年以上になります。(歳が知れてしまいますね)
 
 係長になると、大きめの机になりました。課長になると両袖の机となり、アームチェアになりました。それだけではなく、部下とは直角にレイアウトされ、全員の横顔を見ることになりました。
 
 残念ながら、中途退職して経営コンサルタントとなってしまったので、部長には馴れませんでした。部長席は課長の後ろに独立しておかれていました。木目調の机でした。退職する前に、社長が私を社長室に呼び寄せ、直接退職につて慰留をしてくれました。ローズウッドの大きな机が、広い部屋に置かれていました。
 
 入社したときには、「お客様のために」という強い気持ちがありましたが、上からギュウギュウと締め付けられるうちに、お客様と上司・会社との板挟みになってしまいました。別に会社に大きな不満があったわけではないですが、自分が目指すもとの、会社で仕事を続けることとのギャップを次第に感じるようになりました。
 
 城山の「初心が魅力をつくる」という言葉を見て、私が会社を辞めて、経営コンサルタントになったときのことを思い出しました。世話になった会社への恩返しは、常に初心に戻り、溌剌とした気持ちで仕事に取り組むことを教えられました。
 
 城山は、この著の中で、サミー・デービスJr.を引用しています。
 
 城山がラスベガスでサミーのショーを見た日は、ラスベガスにしては寒い日だったそうです。司会者が、「今日はものすごく寒いと思ったら、お前、ずいぶん縮んで出てきたな」と冗談を飛ばしました。
 
 サミーはすかさず「俺はこの歳になるまで子供服の売り場しか行ったことがないんだ。今日になって急に縮んだわけではない」とやり返したそうです。
 
 このやりとりで、サミーはラスベガスで何日も同じことをやってきているのに対して、その日の天候からの笑いで新鮮さを醸しだし、「今日初めてだ」というニュアンスを客に与えようとしていると城山は解説しています。
 
 芸人は毎日やっているけど、わざわざきてくれた客に対して、「笑わせよう」と汗を流して懸命に努力をしているサミーの初々しさを褒め称えています。
 
 「今ある自分に安住しない」ことが初心に繋がると城山は言いたいのであろう。
 
 
 
 
 江戸後期の老中である松平定信(1758~1829)は、「花月草紙」の中で「友はその所長を友とすべし」と記述しています。
 
 「所長」とは、研究所など、「所」と称するところの長を指すことは我々のなじみ深いところです。ところが、広辞苑には、その項の次に「得意とするところ。長所」という意味が記載されています。
 
 このことから、「友達を選ぶときには“所長”すなわち“長所”を見て判断すべきである」と定信は言いたいのでしょう。
 
 当ブログでも、私も同様なことを何度か記述してきているのでお気づきの方も多いと思いますが、花月草紙を読んでいないので、定信の真意はわからないながらも何か通ずるものがあるように思えます。一方で、何となくニュアンスに違いがあるようにも思えます。
 
 定信は相手のよい点を認め、それを基に友となりたくてアプローチをすると相互に得るところがあってお互いによい影響を与え合え、お互いが成長してゆくということを言いたいように思えます。
 
 私は、相手の長所を見ると自然と相手がどのような人かを感じ取れるようになり、親しみを感じると相手もそれを鋭敏に感じ取ってくれ、人間関係が自ずとできていくと考えています。
 
 ほとんど同じようなことですので、気にする必要はないと自分に言い聞かせながら、類似する発想をもっていることが何となく嬉しく感じました。
 
 話は「花月草紙」に戻りますが、百科事典マイペディアによると下記のように解説されています。
 
松平定信の随筆。成立は1812年以後。6巻6冊156章。雅文。著者が老中辞職後,政治,経済,学問,自然現象,日常生活などについて記したもの。高い見識,深い学殖がみられる。
 
 
 
「人に用をいう習い度重なるや煩(うる)さかるらん」 仏の顔も三度  05
 
 「世の中は人に用をいう習い度重なるや煩(うる)さかるらん」は、室町後期の連歌師である荒木田守武(1473~1549)の「世中百首」の一節です。
 
 人様に何かをお願いすることがあると思います。人によっては、他人に何かを頼むことをよしとしないで、自分で何でもやってしまう人もいます。一方で、自分では何もしないで、他人にだけ色々とやらせる人もいます。
 
 頼まれれば、なかなか嫌と言えず、引き受けてしまいます。中にはお節介焼きな人がいて、人に頼まれると喜んで引き受ける人もいるでしょう。しかし、頼まれ事も度重なると気分がよいものではないでしょう。
 
 頼み事はほどほどにして、他人の好意に甘んじてはいけないということを飯田のでしょう。
 
 名大システム古典籍内容記述的データベースによると、「世中百首」については下記のように記述されています。
 
 荒木田守武作「世中百首」を配した狂歌絵本。「世中の親に孝ある人はたゞ何につけてもたのもしきかな」「兄弟うやまひをなしはぐゝむは誰もかくこそあらめ世中」以下「世中」を詠み込んだ教訓的な狂歌百首(実数102首)。序によれば世俗に「伊勢論語」と呼ばれた。半丁1図1首。上欄に教訓的解説を記す。巻頭に略系図・肖像あり。風俗画風の絵は必ずしも歌や解説に即していない。
 
 
 
 
 昭和の俳人であり私小説作家である滝井(瀧井)孝作(1894~1948)は、その「職務と信用という事」の中で、上述のように記している。俳句を河東碧梧桐に師事し、小説を芥川龍之介、志賀直哉に兄事していました。文化功労者です。(Wikipediaより)
 
 「相互が信頼関係で結ばれ、各々が自分の仕事に責任を持ってこそ各々の役割が果たされる」という意味です。
 
 経営コンサルタントとクライアントとの関係もそうです。
 
 ところが、経営コンサルタントをきちんと理解していない経営者も結構います。「経営コンサルタントは何をやってくれるのですか?」「経営コンサルタントにお願いするとかならず業績が上がったり、問題・課題が解決されたりするのですか?」という質問をよく受けます。
 
 「何かをするのは、経営コンサルタントではなく、企業の経営者や社員です。企業さんだけではでききれないような部分で、経営コンサルタントとしての経験から得たものをもとに、一緒に考えることが私たちの役割です」とお答えするようにしています。
 
 すなわち、目標が設定されたら、それを達成するために活動するのは企業の人達であって、経営コンサルタントではないのです。ですから問題・課題を解決するのは、経営コンサルタントではなく、企業の皆さんなのです。
 
 企業の皆さんが闇雲に行動するのでは、効率が悪かったり、見当違いのことをやってしまったりして、問題・課題解決に時間がかかったり、解決できなかったりしないように、経営コンサルタントは自分の経験や知識・知恵を働かせます。
 
 しかし、中堅・中小企業においては、取り組み課題の実行面での人材不足から、経営コンサルタントが実務にも手を染めることが求められることがあります。一時的に実務を行うこともやぶさかではありません。その場合に、結果責任は誰が負うのかを明確にしておかないと後でトラブルになることがあります。
 
 相互信頼関係ができていれば、それも大きな問題とはならず、よい方向にいくものですが、事前に両者で確認しておきましょう。
 
 
 
 
 山本常朝(1659~1719)の言葉で、「葉隠」(はがくれ)に記述されています。
 
 Wikipediaによると下記のように説明されています。
 
 「葉隠」(はがくれ)は、江戸時代中期(1716年ごろ)に出された肥前国鍋島藩藩士、山本常朝の武士としての心得について見解を「武士道」という用語で説明した言葉を田代陣基が筆録した記録である。全11巻。葉可久礼とも書く。
 
 常朝と言うと「武士道と云ふは死ぬ事と見付けたり」が有名で、そちらで常朝をご存知の方が多いと思いますが、私は掲題のことを自分の生き方の一つとしています。
 
 礼儀と謙虚さを忘れなければ、どのような人とも、初対面の時のように何のわだかまりもなく接することができると人間関係を円滑にする手立てを説いていると考えています。
 
 人間は、誰しもよい面、優れた面を持っていると信じています。その点においては自分より優れていることが多く、それをもとに相手に尊敬の念を忘れないように、誠意を持って接するようにしています。
 
 これに関連して、今ひとつ私が心がけていることが相手に対する「思いやり」です。
 
 相手に誤解を受けて、人間関係がこじれても、その態度を貫くと、多くの場合氷解してきます。もちろん、うまくいかないことも多いのですが、100人の人のうち100人とうまくやろうと欲張らないようにしないと、自分が悔回の念に押しつぶされてしまうのではないかと思います。
 
 経営コンサルタントにしろ、経営者・管理職にしろ、人との交わりなしには仕事を続けることはできません。自分なりの人との交わり方を意識することは大切なのではないでしょうか。
 
 
 
「笑はれるのを恐れるよりは心にないことを云ふのを恐れなければいけない」  08
 
 武者小路実篤(1885~1976)の「幸福者」の一節です。
 
 武者小路実篤は、Wikipediaでは下記のように紹介されています。
 
 日本の小説家。姓の武者小路は「むしゃのこうじ」と読むが、実篤自身は「むしゃこうじ」と名乗っていた。一般には「むしゃのこうじ」で普及しており、本人も誤りだと糺すことはなかったという。
 仲間からは「武者」という愛称で呼ばれた。位階は従三位。文化勲章受章。授与された称号には名誉都民などがある。日本芸術院会員。
 
 我々はしばしば外聞を気にして見栄を張り、時には大風呂敷を広げることがあります。そのようなことを言ってしまった後で、反省をしたり、良い気分でなかったりします。
 
 人間というのは、自分自身を偽ると決してよい気分ではいられません。世の中には、そうでない人もいるかも知れませんが、通常では自分自身を偽って平気でいることはできないのではないでしょうか。
 
 お恥ずかしながら、「幸福者」を読んでいないので真偽の程はわかりませんが、実篤は、自分を偽って針小棒大に言うのではなく、自分の気持ちを素直に表現することがよいと言いたいのではないでしょうか。
 
 自分自身に嘘をついたり、偽ったりし続けることは、他の人に気づかれないかも知れませんが、自分自身を騙し続けることはできませんね。むしろ嫌な気分が残ります。それがわかっていながらやってしまいがちです。
 
 一方で、マーケティングというのは、現実にある物やサービスをいかに効率よく販売するようにするかを考えることです。物は見る角度により異なって見えることを利用して、欠点を長所として紹介することもできます。
 
 グーグルが日本でサービスを提供するようになってから、「経営コンサルタント」をキーワードで検索すると私のサイトがトップまたはその直下あたりにリスティングされます。
 
 以前は、それを人に言うことをあまりしませんでした。自分の自慢話をするように思えたからです。しかし最近は、周りの人のアドバイスを受けて、逆に積極的にこのことを紹介するようにしています。その効果かどうかはわかりませんが、結構色々な人から声をかけられたり、メールをいただいたりするようになりました。
 
 一方で、それが為に「自己顕示欲が強く、嫌なやつ」と思われている面もあるのではないでしょうか。
 
 ものごとの両面性を認識し、何ごともほどほどにするのがよいのではないかと、自分にも言い聞かせているこの頃です。
 
 
 
 自なくして他なく、他なくして自なし  09
 
 安部能成(1883~1966)は、対象・昭和期の教育者であり、哲学者でもあります。彼の「学生に対する一般的助言」の一節です。
 
 学生が相手ですので、どのような人生を歩んだら良いのかを考えさせるという意図で、社会人としてのあり方を説いているのでしょう。学生時代も人との関わり合いは難しい面がありますが、基本的には似た年代であり、学生であるという基本部分で共通しているところが多いと言えます。
 
 しかし、社会というのは、年齢幅が学生時代に比べると格段と広がり、経験も異なり、当然のことながら価値観も違うわけです。そのような中で、他者の存在の重要性を説いている一説です。
 
 今日、学生に限らず多くの人が自分という狭い中での思考が多すぎるような気がします。道を歩いているときに、ぶつかりそうになる直前まで何もしない人が多く、ぶつかりそうになって初めて回避行動を起こすのです。回避行動すらしない人も結構います。
 
 狭い路地から自転車で急に飛び出してくる人の多いこと、それも若者だけではありません。狭い路地には人がいなくても、広い道に出たら人がいる可能性は高いわけです。ところが、自分の世界だけでの思考ですから、他人がそこにいるという思考がないのです。
 
 電車の優先席で、ケイタイに夢中になっていて、目の前にお年寄りが立っても、自分が席を譲らなければならないという意識はありません。「私の妻は身障者なので、席を譲っていただけませんか?」というと席を立ってくれる人がいると言うことは、優先席が何たるかをわかっているからでしょう。
 
 妻が病院に行くのがちょうど通勤時間帯にぶつかってしまいました。混雑する電車に乗るのが怖いようですが、優先席に座れば大丈夫と言い聞かせて電車に乗りました。席を譲って欲しいと声をかけましたが、だれも席を譲ってはくれませんでした。それどころか、通勤時間帯になんで身障者が電車に乗るのだと言わんばかりの雰囲気が漂った気がしました。(被害者妄想かも知れません)
 
 他人を思いやる気持ちが、今日では薄れているように思えます。
 
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安寧昇竜

今年は昨年の各種の問題が解決し、安心して日々を送れることを願って「安寧」を期待しています。
安寧だけではなく、常に成長できる世の中であることもねがい、辰年にあやかり「昇竜」という言葉を加えて、「安寧昇竜」という言葉にしました。

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経営コンサルタント歴35年 
 コンサルタントのためのコンサルタント
 若手経営コンサルタント育成に東奔西走
 内閣府認証特定非営利活動法人・日本経営士協会理事長
 わかりやすい語り口で講演・セミナーや社員研修に引っ張りだこ