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私が訪れた名所旧跡です。

ケイタイやスマホのカメラで撮影したものもありますので画質があまりよくありません。
私の限られた感性での写真ですので、たいした作品でもありません。
自分自身の作品を、自分のために整理したものです。
東京  港区 旧芝離宮恩賜庭園
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 東京に残る数少ない、小石川後楽園と共に、江戸初期の大名庭園の一つです。

 小田原藩主、大久保忠朝により造営されました。明治に入ると、宮宅の離宮として宮内庁の所有となりました。

 回遊式泉水庭園の特徴をよくあらわした庭園で、大泉水を中心とした地割りや、石組の配置が非常に優れています。




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旧芝離宮恩賜公園 石柱前から対岸を見る


石柱の対岸にあるあずまや



大島



大島から右にパンした
大泉水の一番奥



大泉水の一番奥の西土手にある
紅葉した桜



石柱横からもみじ道方向を見る



大泉水の一番奥の奥にある竹藪
真竹」で篠よりやや太めで、釣り竿に使われました

旧芝離宮恩賜公園 根府川山


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大泉水の一番奥から北方向を見る
右手は根府川山



大泉水の一番奥から根府川山の麓を北上する



根府川山の石群

石は、作庭者の大久保忠朝が、
ハンチから運んだものといわれています。



根府川山の麓から大島に渡る橋



大島に渡る「鯛橋
奥に東屋が見える



根府川山と大島の間を流れるせせらぎ

旧芝離宮恩賜公園 唐津山


作庭者大久保忠朝が、
唐津藩の名前をここに関した冠したといわれています。



唐津山全景



唐津山の石群



唐津山麓から入口方面を望む
旧芝離宮恩賜公園 東高地


唐津山の隣、東側最高地点より大泉水を見下ろす
左奥は中島



最高地点への階段



最高地点から唐津山方向を振り返る

旧芝離宮恩賜公園 もみじ道


もみじ道で最も紅葉していたかえで



もみじ道



紅葉すると素晴らしいというもみじ道



もみじ道を通り抜けたところで
大泉水を見る
中央の島は「浮島



ライトアップのランタンが点在

旧芝離宮恩賜公園 中島


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 中島は、大泉水の中央に位置し、
当公園では選任が住むという蓬莱山を表し、
作庭時の石組みをそのまま残してあります。



工事中で通れない八ツ橋



八ツ橋は、中島に通じています

旧芝離宮恩賜公園 潮入りの池


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作庭時は、海水を潮入りの池に引いていました。
その取り入れ口は今も残っています。



潮入りの池

昔は、ここから東京湾の水を引き込んでいた



潮入りの池の前から東屋を望む
右手は大泉水、左手はもみじ道

旧芝離宮恩賜公園 ライトアップ
 
私が訪れた日は、秋のライトアップの初日で
その準備が進んでいました。



池の縁を滝石組みと呼ぶ



ライトアップのランタン



ライトアップの準備が進んでいます
白い建物は、飲み物などを売る売店



小池奥の斜面におかれたランタン



小池と大泉水の間

旧芝離宮恩賜公園 西湖


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西湖の堤
<西湖は江戸の人達の垂涎の場所でした>

中国の杭州(現在の浙江省)にある湖、西湖堤は
風光明媚として知られるな西湖にかかる蘇堤を模した
石造りの堤です。
古来、詩歌や絵画の題材として珍重されました。



雪見灯籠から西湖の堤を見る



西湖の堤

小石川後楽園と共に、西湖をもしたところは都内では2か所
小石川後楽園では、堤を渡れませんが
ここでは中島への通路ともなっています



西湖にかかる石橋



中島へ続く堤

石柱前から中島方向を見る

旧芝離宮恩賜公園 中島


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庭園南方向、大泉水方向を望むと
東屋に右手が中島



中島の石群

仙人が住むと言われる中島にある蓬莱山の勇壮な石組



中島中央、最高地点には、石を積み上げたパゴダが見えます
小田原藩から作庭者の大久保忠朝が
持ち込んだものといわれます



四層に積み上げられたパゴダ
関東大震災でも崩れなかったといわれています



角のある石、丸みを持った石
いろいろです



中島から八ツ橋を見る



工事中で通れない八ツ橋
唐津山側から

旧芝離宮恩賜公園 庭園の石組み


夕陽の紅葉と白い燈籠



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