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私のサイトへの訪問をありがとうございます。

へたの横好きで撮った写真をここにまとめておくことにより、必要なときに見やすいようにと考え、単なる思いつきで着手しました。

他人様に見ていただくというより、自分の作品を整理するためのページです。

カシャリ!一人旅
京都 初夏の旅 2015
国立博物館 方広寺 智積院
トロッコ列車と嵯峨野・天竜寺 妙心寺

青蓮院 
知恩院
 関連資料

 2015年5月末、2泊3日の旅でした。幸い、天気には恵まれましたが、暑さには参りました。
 初日は、国立博物館、方広寺、智積院という、半径100メートル強の範囲にあります。寺院等を回りました。いずれも、数回訪れているところですので、見どころもわかっています。しかし、行ってみますと、新しい発見がありました。
 2日目は、自分の庭くらいに馴染みのある嵯峨野でした。何十年ぶりかでトロッコ列車に乗りました。予約としていなかったので、JR嵯峨野線(山陰本線)で亀岡まで行き、当日券を購入しました。幸い、何とか希望の列車の切符を購入できました。20数分の旅でしたが、保津川沿いの冷風を充分に味わってきました。トロッコ嵐山駅で下車、天竜寺の庭園を堪能して来ました。何度来ても素晴らしい庭園です。その後、JR嵯峨嵐山駅まで歩き、時間調整にジオラマ館を回り、妙心寺まで脚を伸ばしました。
 3日目は、私の好きなお寺さんの一つ、青蓮院門跡(しょうれんいん)で庭園を散策、残念ながら国宝・青不動には逢えませんでした。(将軍塚に移動)知恩院は、御影堂はまだ修理中でした。大方丈庭園をゆっくりと見て回りました。円山公園から高台寺の方に脚を伸ばしましたが、特に何処も拝観せず、京都駅に向かい、帰京しました。


京都 青蓮院門跡

 日本天台宗の祖であります最澄(伝教大師)が、比叡山延暦寺を開く時に、山頂に僧侶の住坊を幾つも作りました。「青蓮坊」がその一つで、青蓮院の起源であるといわれています。
 伝教大師、円仁(えんにん、慈覚大師)、安恵(あんね)、相応等、延暦寺の法燈を継いだ著名な僧侶の住居となりました。
 平安時代末期に、青蓮坊の第十二代行玄大僧正(藤原師実の子)の時に、鳥羽法皇の御所に準じて京都に殿舎を造営し、青蓮院と改称しました。これが”門跡寺院”としての青蓮院の始まりです。
 江戸時代1788年に、大火によって御所が炎上しました時に、後桜町上皇は青蓮院を仮御所として、そこに避難されました。庭内にあります好文亭は、その際には御学問所として御使用されたものです。
 また、青蓮院は粟田御所と呼ばれており、「青蓮院旧仮御所」として国の史跡にも指定されています。
 門跡寺院ですので、明治に至るまで、門主は殆ど皇族または五摂家の子弟に限られていました。 < 青蓮院門跡公式サイトより作成 >

 


拡大


 
 
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京都市天然記念物 クスノキ

平安神宮の大鳥居から、ゆっくり歩いて10分ほどのところにさしかかりますと
樹高26メートルもありますクスノキが見えてきます。
12世紀末に親鸞上人により植えられたと伝えられていますが
現在地に青蓮院が移築された折、13世紀以降に植樹されたようです。
市天然記念物として5本のクスノキがあります。
 
 


親鸞上人得度碑


ゴツゴツとした枝振り


根の張り様は、
大ダコかイカの足を連想させます。


威風堂々
枝の張り方からも樹齢を感じます。


華は、菩提樹の華を連想させます。


左手が青蓮院入口、右は御幸門
明正天皇の中和門院の旧殿の門を移築したもの、明治26年の火災をまぬがれています。


御幸門近くのクスノキ
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青蓮院入り口

青蓮院入り口は、北西位置にあります。
右手が長屋門、大楠の木も見えます。


道路を背にすると
正面に通用門が見えます。
左手に根の張ったクスノキ


通用門をくぐりますと
右手に参道があり、
参道正面が大玄関横です


受付入り口横の小庭


大玄関横、右が大玄関
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華頂殿 三十六歌仙

 受付を入ったところが、華頂殿(かちょうでん) 客殿で白書院とも呼ばれます。
 三十六歌仙の額絵が二部屋に飾られています。また、木村英輝氏奉納の、蓮の襖絵も素晴らしく、全部で60面もあります。



三十六歌仙の額が飾られています


木村英輝氏奉納の、青色の蓮の襖絵
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華頂殿 室内

応仁の乱で火災に遭いました。
江戸時代になりますと徳川幕府に知恩院とともに召し上げられてしまいました。
相阿弥の作と伝えられる龍心池を中心とする室町時代以来の庭園から
粟田山将軍塚(飛び地)にわたる境内は今日まで続いています。徳川幕府も殿舎の造営には力を致して東福門院の旧殿を移して宸殿を造りました。

華頂殿は、三十六歌仙や蓮の襖絵と共に
床の間や欄間などにもこった造作を見ることができます。



国宝とは?


透かし彫りの欄間


床の間と掛け軸


床の間左の違い棚


床の間、違い棚だけではなく
近代造形を連想させる窓


ここから眺める相阿弥作の庭は圧巻。
お抹茶のサービス(有料)が有ります
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華頂殿周辺

華頂殿の前には、相阿弥作の庭園が広がります。
周辺には華頂殿附属の小物を楽しめます。

 


一文字手水鉢
お抹茶もいただけます。


角度を変えてみる一文字手水鉢


華頂殿丸窓の外側


華頂殿と小御所の間にある石灯籠


華頂殿から小御所を臨む


華頂殿の円窓


庭から華頂殿の室内を見る


華頂殿ではお茶をいただくことができます
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華頂殿前に広がる庭園

華頂殿から眺める相阿弥作の庭園は圧巻です。


6月初めとはいえ、
ツツジが残ってました。


華頂殿から小御所への
渡り廊下の窓から庭園を臨む


華頂殿から小御所を臨む
ツツジが残っています


華頂殿から小御所への
渡り廊下の窓から龍心池を臨む


小御所より華頂殿を臨む


渡り廊下から小御所を臨む
 
 
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相阿弥の龍心池


花崗岩の切石二枚で作られた、半円形の反りの美しい石橋を跨龍橋と呼び、
滝を洗心滝といいます。
これらの配置は誠に妙を得たものです。
龍心池の中央には二千貫に近い大石があり、
あたかも沐浴する龍の背のようでと言われています。

 


沐浴する龍の背を思わせる大池


龍心池の左手奥には
名跡がちりばめられています


洗心滝と大石


渡り廊下から臨む


龍心池と右手の小御所


花崗岩の切石二枚で作られ、半円形の反りの美しい跨龍橋、中央奥が洗心滝
 
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小御所周辺
 
 小御所(こごしょ)は、大玄関の奥、華頂殿からは渡り廊下で繋がっています。本堂の北側に建つ、入母屋造桟瓦葺き(いりもやづくりさんかわらぶき)の建物です。

 平安時代末は門主の居間であったという記録があります。後櫻町上皇が仮御所として使った時に、使いました。

 東に龍心池を控え、庭全体を見渡せます。




小御所北側の松



華頂殿の東側縁から
龍心池、跨龍橋を望む


龍心池にかかる跨龍橋


跨龍橋の奥に
洗心滝が見えるはず
庭師さんの梯子の陰で見えません


小御所北側から華頂殿を望む


小御所北側から渡り廊下を望む


小御所東側、向こうは青不動堂


青不動堂から小御所東側を望む
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小御所

 小御所(こごしょ)は、大玄関の奥、華頂殿からは渡り廊下で繋がっています。本堂の北側に建つ、入母屋造桟瓦葺き(いりもやづくりさんかわらぶき)の建物です。

 平安時代末は門主の居間であったという記録があります。後櫻町上皇が仮御所として使った時に、使いました。

 明治時代に焼失してしまい、現存のものは、移築された江戸中期の建物です。東山の自然の山麓を借景とし、自然と人工の巧みな融合がすばらしく、是非ご覧になることをお薦めします。


華頂殿からの渡り廊下より
小御所室内を望む


青不動から小御所を望む


龍心池の畔から小御所を望む


小御所への渡り廊下から震殿を望む


震殿より小御所を望む
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青不動堂

本堂の東側半分が、国宝青不動が安置されていた青不動堂です。
青不動は、現在は、青蓮院の離れ堂、青龍殿に安置されています。
青龍殿は、将軍塚にあり、青蓮院からは徒歩で30分と離れています。
かつて、青蓮院を訪れたときに拝ませていただいてますが、
今は、非公開となり、お前立ちとしてその複製が祀られています。
本堂の東裏には国宝の青不動画像(複製写真)が安置されています。
その他、不動明王木像、薬師如来及び日光月光菩薩
十二神将像、歓喜天像、毘沙門天像、愛染明王像があります。
 


感謝の気持ち、人への思いやり
私の好きな言葉が並んでいます


将軍塚にある青龍殿(写真)


小御所側から青不動堂へ


不動明王木像、薬師如来及び日光月光菩薩
十二神将像、歓喜天像、毘沙門天像、愛染明王像があります。


青不動を挟んで、仏像と反対側


青不動は見られません
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震  殿

  大玄関奥に続く、入母屋造、桟瓦葺きの、寺内で最も大きな建物です。もともとは、徳川家康の孫である東福門院(後水尾天皇女御)の御所をここに移転したものです。しかし、明治26年(1893年)に焼失してしまい、後に復興下建物です。

 宸殿は、門跡寺院特有のもので、主要な法要はここで行われます。ここには、有縁の天皇及び歴代門主の尊牌が祀られています。宸殿前には、右近の橘と左近の桜が配されています。このことからも歴代尊儀が行われる場所であることがわかります。

 親鸞聖人が、第三代門主慈圓により得度(出家の儀式)をした場所でもあり、「お得度の間」ともいわれます。重要文化財の障壁画濱松図があります。



小御所への渡り廊下から震殿を望む


震殿より小御所を望む


華頂殿からの渡り廊下から
震殿を望む


華頂殿からの渡り廊下から
震殿東側を望む


小御所から震殿を望む


震殿から小御所を望む
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外から見た震殿

 前庭は、杉苔に覆われていますが、もともとは白砂が敷き詰められていました。
宸殿前には、右近の橘と左近の桜が配されています。
このことからも歴代尊儀が行われる場所であることがわかります。


本堂前から震殿を望む


右近の橘と左近の桜


左近の桜は、葉桜でした


右近の橘(たちばな)は、
黄色の実をたくさん付けていました。


杉苔に覆われていますが、
もともとは白砂が敷き詰められていました


桟瓦葺きの正面から見て左の飾り


右の飾りは狛犬のように見えます。


右近の橘、左近の桜
桟瓦葺きに上記写真の飾りの位置が
よくわかります。


青蓮院西南角に鐘楼があります。
鐘楼は誰でも撞くことができます。


震殿西の大玄関
孝明天皇ご使用の輿が陳列されています。



大玄関は正式な玄関で、普通の人は使えません。黒田正夕氏筆の襖絵「日月松桜百鶴図」があります。
 
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本堂 (熾盛光堂)

震殿東側のお堂は、宝珠がついた本堂で、熾盛光堂ともいいます。
本堂には、天台宗の四大秘宝の一つである熾盛光法の本尊が祀られています。
境内奥(南側)に西面して建つ方三間、宝形造の小堂です。
本堂といいますので、大きな建物を想像していましたが
青不動堂と背中合わせの小さな建物です。
堂内の厨子にはご本尊「熾盛光如来」の秘仏曼荼羅が安置されています。



神殿前庭から、本堂を望む
思っていたより小さい建物


ご本尊「熾盛光如来」は、秘仏です


ご本尊のお前立ち


ご本尊の脇侍
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西方浄土の石組み

小御所の西側に四方浄土の石組みがあります。
石組み法のひとつ「三尊石」を中心とし、
西方浄土をイメージして組まれています。


奥に見えます3つの石が「三尊石」で
これを中心に配石されています。


西方浄土の山、海、丘をイメージされた
造石でしょうか?
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遠州霧島の庭・大森有斐の庭

 相阿弥の庭、龍心池の北側、青蓮院の北東に小堀遠州咲くと言われます霧島の庭と大森有斐の庭があります。庭園内には、後桜町上皇が当院を仮御所として御使用の際、お使いになったご学問所であります好文亭があります。

 裏側山裾斜面から一面に霧島つつじが植えられています。このことから霧島の庭と呼ばれるようになりました。この庭は相阿弥の庭園と比べ平面的ですが、統一感と調和感ある庭です。

 


 後桜町上皇が当院を仮御所として御使用の際、お使いになったご学問所であり、明治以降茶室として活用していましたが放火で焼失してしまいました。
 本格的数寄屋造、四畳半の茶室三部屋と六畳の仏間、水屋等からなっています。障壁画十三画は上村淳之画伯の御奉納による花鳥図です。詳しくは「好文亭」のページ


好文亭の桔梗
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