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私のサイトへの訪問をありがとうございます。

へたの横好きで撮った写真をここにまとめておくことにより、必要なときに見やすいようにと考え、単なる思いつきで着手しました。

他人様に見ていただくというより、自分の作品を整理するためのページです。

 福井県 永平寺
http://zen-eiheiji.jp/
 関連資料
1244年(寛元2年)、道元禅師(1252年入滅)を開祖とした
曹洞宗の坐禅修行の道場です。

越前国の波多野義重(はたのよししげ)公の勧めにより、
領地である越前国志比庄に移り、
大佛寺を建立しました。

1244年(寛元2年)、道元禅師47歳のときに
「永平寺」と改められました。

道元禅師修行僧の指導とともに、
修行僧が守るべき規則となる清規(しんぎ)を定め、
現在も当時のままの修行生活が続けられています。

山門、仏殿、法堂(はっとう)、大庫裡(くり)、
僧堂、浴室、東司(とうす)の、
七つの堂が揃った七堂伽藍が立ち並んでいます。

 
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参  道

 数十年ぶりに訪れたのは2014年11月中旬紅葉が見事でした。

 正門前を右手に行きますと、紅葉のトンネルとなった参道がまっすぐと続いています。 


参道左側に石組みがあり、
その上に瑠璃聖宝閣や
吉祥閣があります。


参道は黄色く色づいた
トンネルが続きます。

 瑠璃聖宝閣は、2002年(平成14年)、道元禅師750回大遠忌の記念事業の一つとして改築した展示場と収蔵庫を兼ねた宝物館です。
  

傘松閣

参道を行きますと、左手に階段があり、
受付を済ませてから傘松閣に入ります。 
 
 道元禅師の750回大遠忌の記念事業の一環として、1993年(平成5年)から2年の歳月をかけて再建されました。1階は参拝者への説明や研修・宿泊にも使われます。



参道左手の階段を上がり
受付を済ませます。


入口右手は正面が鐘楼堂、
右手に祠堂殿があります。


傘松閣の広間で、参拝順路の説明や
注意を修行僧から受けます。

 傘松閣の正面には、大きな額と達磨大師の絵があります。
 その右に、達磨大師の彫刻があり、その右は違い段飾り棚となっています。

  2階は156畳敷きの大広間で、1930年(昭和5年)建築当時の天井絵を修復し、はめこんでいます。この大広間は別名「天井絵の大広間」と呼ばれ、花や鳥などを描いた230枚の絵が描かれています。昭和初期の著名な画家が描いた絵ですが、6枚だけ花鳥でない絵があります。参拝者が、それを見つけるのも楽しみの一つです。


欄間は透かし彫りになっています。


奥が写経道場です。
東司・浴場・僧堂

禅宗では、僧堂、東司、浴室を三黙道場といい、
言葉を交わすことが禁じられています。

東司とは、お手洗いです。

正面には「烏蒭沙摩明王(うすさまみょうおう)」を祀っています。

身や心だけではなく国土の清浄も示されています。
 

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 浴室には、水により悟りを開いたといわれる「跋陀婆羅菩薩(ばつだばらぼさつ)」が祀られています。

 水を大切に使い、身も心も清めるための大切な修行であるという考えのもと、入浴は作法に従って厳粛に行われます。禅宗では、4と9の付く日を「四九日(しくにち)」と言い、その日のみが入浴日と定められています。

 伽藍は、山の斜面にありますので、移動には階段が多数あります。 
■ 僧堂 そうどう

 僧堂は修行の根本を修行する場で、「雲堂」「坐禅堂」とも呼ばれています。
 坐禅・食事・就寝を行います。寝て一畳、立って半畳という狭い場所で生活をし、それも修行の一つです。

 堂内中央には智慧の象徴である文殊菩薩を安置され、164名の雲水さんが、座禅の修行を行うことができます。
山   門

1749年(寛延2年)8月に再建された永平寺最古の建物です。
中国唐時代様式の楼閣門
2階には五百羅漢(ごひゃくらかん)が安置されています。


山門正面


唐門から臨む山門内面
 修行僧が正式に入門する際に通る永平寺の玄関に当たり、正面の両側には「ここより先は厳しい出家修行の道場であり、求道心の在る者のみ門をくぐることが許される」という意味の言葉が記されています。

 もちろん、私たち参拝者もこの門を通って境内に入ることは許されていませんが、門のある建物には回廊を通じてはいることができます。
 


吉祥山永平寺の命名の由来である
「吉祥の額」
両側には仏教の守護神である四天王が祀られています。
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鐘楼堂・松平公廟所

 除夜の鐘で有名な、5トンの重量がある大梵鐘が吊るされています。
朝・昼・夕方・夜の4回、修行僧が鐘を撞いています。

 一撞きごとにお拝をする梵鐘の音は、
深く響き、人々の心に清らかな安らぎを与えてくれます。

小さな鐘楼も山門近くにありました。
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唐   門

山門と仏殿の中間にあります
回廊(渡り廊下)の中央付近にあります。

山門や仏殿に見とれていると見落としてしまいそうな処に
静かにたたずんでいます。


中央が唐門
左が仏殿、右が大庫院


木の陰に隠れ、2灯籠を控えさせる
奥の建物は仏殿
← 山門から唐門を臨むが、モミジの陰  に隠れて見えない。


 ↓ 仏殿から山門を見ると、全容がよ ← く見えます。奥は山門


   ↓ 仏殿へ至る手前の回廊から
     臨む。奥の屋根は山門
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仏   殿

七堂伽藍の中心的建物で、1902年(明治35年)に改築されました。
屋根は中国宋時代様式の二重屋根に、
床は石畳となっています。
建築美が際立つ伽藍と言われています。
須弥壇(しゅみだん)と呼ばれる壇の中央には、
本尊の釈迦牟尼仏が祀られています。
右に未来弥勒仏、左に過去阿弥陀仏が安置され、
過去・現在・未来の三世如来が祀られています。 
欄間には禅宗の逸話が図案化された十二枚の彫刻がはめこまれています。


 ↓ 仏殿に登る石段


    ↓ 仏殿前の石灯籠
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大 庫 院

「大庫院(だいくいん)」は、一般の寺院では「庫裡(くり)」と呼ばれる台所にあたる建物です。道元禅師は食事の作法を尊び、その精神に準じて食事が作られます。

 2階は来賓接待の間、3階は和室の150畳敷の「菩提座」と呼ばれる大広間となっており、多人数の宿泊から上膳(あげぜん)、時には法話、講義も行われます。

1930年(昭和5年)に改築され、
1階には修行僧や参籠者の三度の食事を作る
「典座寮」と呼ばれる台所があります。 
玄関正面には足の早いことで有名な守護神「韋駄尊天」が祀られています。
 
庫院前に掛けられた「擂粉木(すりこぎ)」は、永平寺の三大名物のひとつとして知られています。

修行僧が、身を粉にして修行をすることを無言のうちに伝えているようです。

修行僧が私の所に駆け寄り、説明してくれただけではなく、写真を撮ってくれました。私をトリムオフした縦長の写真です。
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法   堂

法堂(はっとう)は、禅師様の説法の道場です。
一般の寺院でいう本堂に相当します。
朝のお勤めなどの各種法要がこの建物で行われます。
七堂伽藍の最も高いところに位置し、
四季折々の美しい景色が眺められます。
↑ 380畳敷の堂内は、中央に本尊「聖観世音菩薩」をお祀りし、階段の左右には阿吽の白獅子が置かれています。


← ご本尊と対面におかれた法要台
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祠堂殿・仏舎利殿

祠堂殿(しどうでん)は、宗派を問わず、
一般の人が納骨や供養などの法要を行うことができる殿堂です。
1930年(昭和5年)に新築され、
堂内には全国の信者から納められた位牌が安置されています。



祠堂殿内の閻魔像
この背後に、一般の人の
お位牌が安置されています。


法要段
左に一般の人のお位牌が
見えます。
 大数珠

 三大名物の一つの大数珠は、天井に付くような高さから飾られていました。
舎利殿(しゃりでん)は、祠堂殿の奥にある納骨堂で、
1863年(文久3年)に改築されました。
建物は寄棟造りで、中央には「地蔵菩薩」が祀られています。



祠堂殿から仏舎利塔を臨む 祠堂殿から仏舎利塔への階段 


帰路、傘松閣玄関から
出た正面


参道つき当たり右にある奇岩
静寂さを語る
 
 
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経営コンサルタント・グロマコン 
 日本コンサルタントアカデミー
 (特)日本経営士協会

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