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らんのいろは

主催者:世界らん展日本大賞実行委員会のサイトよりらんに関する情報をピックアップしました。

らん 栽培の歴史
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コチョウランやミニカトレアなど、今ではすっかり身近になった蘭。最初に蘭のブームが起こったのは、英国(イギリス)といわれています。

1818年、プラント・ハンターとして著名だったウィリアム・スウェンソンが、ブラジルから植物(苔や地衣類という説もある)を送る際に、厚手のしっかりとした葉を持つ植物を、他のもののパッキング材料として使用したのが、蘭だったのです。

それを送られたイギリスの園芸家、ウィリアム・カトレイはその植物を育てたところ、それが非常に美しい大輪の花をつけ、当時のイギリス人たちをビックリさせました。その後、この花について、植物分類学者ジョーン・リンドレイ(John Lindley、1799〜1865年)は、カトレイにちなんでカトレアと命名し、このことが切っ掛けとなり、貴族の間で蘭がブームとなったのです。

明治時代に日本に入ってからも高価で栽培も難しく、高嶺の花として扱われていました。このイメージが未だに引き継がれ、現在でも、高価、難しいと思われている感じがします。

しかし、1980年の半ばに、メリクロンという増殖技術が導入されてからというもの、一度に数万〜数十万の分身が作り出されるようになり、手軽に安価で入手出来るようになったのです。また、品種改良が進み、寒さに強い品種もふえた上に、一般家庭の暖房設備の向上で、今や蘭栽培は気軽に楽しめるものになりました。

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国内での歴史
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東洋蘭、日本の蘭と呼ばれるものは、国内での歴史は洋蘭よりも古く、特有の観賞の仕方や価値観があり、日本独特の園芸文化として発展しました。江戸幕府を開いた徳川家康や11代家斉は、蘭と深い関わりがあったと言われています。

@江戸時代の蘭
当時は年中花を見ることが出来なかったために、葉の柄や姿を観賞するという日本独特の園芸文化が育ちました。蘭は武家や公家など、特殊な層の人達に愛され、現在も古典園芸として受け継がれています。

A大名と蘭
●「駿河蘭」は、建蘭の別名で中国は福建省より、家康に献上され駿府に広がりました。

●多趣味の11代家斉は、富貴蘭も趣味の1つとして楽しんでいて、大名や武家の間でも流行っていました。手の油が付かないように、「ホヤ」(貴金属の金網)をかぶせ、刀剣の作法のように口には懐紙をくわえて観賞したとされています。

●富貴蘭は芳香があるので、大名等がカゴで移動するときに中につるし香りを楽しんでいたようです。

B格付け
蘭の持つ芸(葉の形や柄)を競い、相撲の番付表に見立てた物を作って、称号(大関、前頭など)を与えて楽しんでいたようです。また、江戸時代の蘭展のように、各地で品評会も行われていたようです。

C江戸時代のシンビジューム
既に東洋蘭は江戸時代には分類されていて、当時「葉蘭」と呼ばれていました。我が国では、30年位前までは「蘭」と言えば東洋蘭や日本の蘭を思い浮かべる人が多かったのです。

D江戸時代の品種名の由来
●富貴蘭(フウキラン):フウランの観賞用品種で、大名など身分の高い者が持っていたため。

●長生蘭(チョウセイラン):セッコクの観賞用品種で、薬草であったため長生きの蘭「長生蘭」と呼ばれる。

●錦蘭(ニシキラン):シュスランの別名で、柄を錦にたとえた名称です。びろうど蘭とも呼ばれていた。

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