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私が訪れた名所旧跡ですが、皆様にお見せするというより自分自身の記録として作成しました。

ケイタイのカメラで撮影していますので画質があまりよくありません。私の限られた感性での写真ですので、作品ともいえません。

 吉野ヶ里歴史公園は神埼市(旧神崎町、旧千代田町、旧脊振村)と、吉野ヶ里町(旧三田川町、旧東脊振村)にまたがった公園です。  http://www.yoshinogari.jp/
 

 佐賀県の工業団地造成計画の中で、遺跡が見つかり、その価値が認識された結果、昭和61年に本格的な発掘調査が始められました。

 弥生時代の優れた文化的資産を復元し、発掘物を展示しています。あたかも弥生時代にタイムスリップするがごとく再現されています。
 弥生時代といえども、その中のいつ頃で、それがどのような時代だったのかを推測し、各建物の目的を考えての復元は至難の業ではなかったでしょうか。

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  ■ 発掘現場

 現在も公園北側では、佐賀県教育庁社会教育・文化財課によって調査が進められています。

 私が訪問したときは、運良く発掘調査現場を見学できました。

 炎天下、スコップのような物を使って丁寧に削り取ったり、刷毛のような物で土を払ったりしていました。

 調査が終了したのか、これから調査するところなのか、遺構部分はシートで覆われていました。
 
  ■ 発掘の苦労

 吉野ヶ里遺跡(吉野ヶ里歴史公園)の大切な遺跡を守るため、発掘をしている人は大変ご苦労をしているようです。

 遺構面の上に30cm以上の保存盛土をしたり、整備のためにさらに盛土をしたりしています。

 歴史的価値のある遺構を壊さないようにして、当時の場所の真上に、遺構復元をして、臨場感を出しています。
■ 復元物の調査

 建物の形や大きさに関する調査をし、それぞれの復元するために、全国の縄文~古墳時代の遺構や残された絵などの資料も参考にしています。

【吉野ヶ里遺跡ウェブサイトより】
  • •大型掘立柱建物遺構出土調査
  • •絵画、家形埴輪、家屋文鏡等調査
  • •民族事例調査
  • •建築部材出土例調査
  • •木製品、工具調査
  • •環壕・土塁・水田・畑・柵列・門・逆茂木等調査
 ■ 復元物の保存と建物の復元

 復元物をそのまま放置しておくと、折角の遺構価値がなくなってしまいます。そこで写真右手のように盛り土をしています。

 盛り土の中に入って、遺構を見学することができます。

 遠くには、復元された建物が見えます。

■ 櫓門[やぐらもん]

 南内郭の南には「南の守り」と呼ばれる環壕や土塁、柵があり、そこにある2箇所の出入口のうちの一方には大きな櫓があります。この櫓門の上には兵士が立ち、下の門を通る人々を見張っていたと考えられています。(ウェブサイトより)

 オベリスク状の建造物がありましたが、東西文化の交流は当時はなかったでしょうから、ふしぎですね。

■ 物見櫓[ものみやぐら]

 南内郭には4棟の大きな高床建物があります。これらは環壕の張り出した部分に対応するように建てられており、兵士が南内郭への侵入者を厳重に見張っていたと考えられています。(ウェブサイトより)

 弥生時代には、すでに土地の奪い合いが始まっていたのですね。
■ 王の住まい

 南内郭の北西部には柵などによって囲まれた特別な空間があります。ここにある竪穴住居は王の家をはじめ、その娘夫婦の家や妻の家であったと考えられています。(ウェブサイトより)

 すでに上下の関係ができていたのです。内部には玉座があるわけではない、シンプルな作りでした。

■ 北内郭 ~神への祈り~

 北内郭は、最も重要な場所であったようです。田植え・稲刈りやお祭り、「市」などの日どりを決めたり、儀礼的な話し合いと祖先への祀りをささげたりする場所といえます。

■ 主祭殿

 吉野ヶ里のクニ全体の重要な事柄を決める会議を行ったり、祖先の霊への祈りや祀りを行ったりした、中心的な建物と考えられています。(ウェブサイトより)

 中には、人形や道具などを飾ってあり、当時の様子がわかるようにされてました。

■ 周囲を囲む板壁

 北内郭が極めて重要な場所であるとの想定から、中をのぞくことができないよう、隙間のない板壁で復元されています。(ウェブサイトより)

 5メートルもあろうかと思われる塹壕があり、外部からの侵入を阻んでいました。

 
   
   
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